2024,07,31, Wednesday
独立開業し、1ヶ月が経過しました。40年前の創業時とは明らかに、システムが違っています。その昔の最初の契約書は、カーボン紙を挟んで手書きでした。何度も何度も書き間違えて、1部作るのに、契約書綴りの半分ぐらいを使っていました。そしてこの7月からの第二創業で、大型荷物は4月中頃に移動させていて、ハード面は比較的早くから準備が進んでいました。
ところがパソコンの新旧入れ替えを同時にしたものですから、Wi-Fiルーターの違い、プリンターの変更を伴い、この1ヶ月でどうにか以前の状態に復帰した感じがします。今でもeメールの送受信と、外部キーボードの接続が出来ておりません。そんな状態でも、継続案件の取引の精算書を作っていましたが、他人任せが長くて、もうすっかり忘れています。 ITデジタルの発達で、紙の資料はデーターで送りますから持ち込みの手間がかかりません。ところがその資料を作るのに、貼り付け等がデジタル技術で処理ですから、これがなかなか私の考える構図が具体的に完成しません。それでも後ろ向きでは前へ進みません。人に聞いたり、ユーチューブを観たりいろいろ学習しています。ビジネススキルですから、アマチュア水準ではいけません。 出来ない中でモンモンとしながら、今日は初めて、ケーズデンキ春日店へ立ち寄りました。電動歯ブラシのヘッド部分、つまり歯を磨く交換ブラシを買いに寄りました。日頃は多肥の高松本店で買うのですが、通りかかりの出入りがし易そうでした。要するに購入した商品が合わなくて、交換に行きました。気持ちよく交換に応じてくれて、前のPayPay(ペイペイ)記録を抹消し、新しい購入で精算が終わりました。 こんな場合にITデジタルは、私からの説明は冒頭のほんの少しだけで、後は購入記録がデジタル情報として私のドジ加減を立証してくれています。しかしこの次、私は果たして店頭へ来るのだろうか。間違いを防ぐために、今使っている商品の製品番号を見ながら、該当する電動歯ブラシのヘッド部分を通販で買っているのではないだろうか。まとめ買いで1年は大丈夫のようだが、買うものがはっきりしていたら通販になるのかな。 今日1日の反省は、「慎重に行動すること」の再確認でした。考えることのスピードは減速しながらもまずまずですが、動きが極端に遅くなり、その分時間がかかって自分では「こんなはずじゃなかった」とジレンマに陥っています。それでも仲間に助けられて、どうにか今日の仕事を終えることが出来ました。こんな毎日が暑い夏中続き、そして寒くなりましたねという挨拶をする日まで続くのでしょうね。 |
2024,07,30, Tuesday
新聞報道によると、主食用米の民間在庫量が過去最少になったという。米あまりが一つのキーワードになって久しいが、ここへ来て米の消費が高まり在庫が減少しているようだ。今も稲はこの暑さに耐えて、大きく成長している。昨日の小欄にも書いたように、この時期になると水田への水が不足しないかと心配する。米作は各農家の産業であり、ある意味『家業』と呼んでも良いものだが、なんとなくたわわに実った稲をみると、地域の財産だと思ったりします。
土地関係の仕事ですから、農家の米作りに元気がないと日頃から感じています。後継者がいないから、70歳を過ぎて自分一人で1町歩の耕作を続けているという話しはよく聞く。私も農地の宅地化は、ここ高松周辺ではもう需給のバランスの山にあるように思います。大西秀人高松市長もそのあたりの動向に敏感で、開発行為の規制に入っています。もっとも『都市再生特別措置法』という法律の制定から、高松市でも『立地適正化計画』を策定し、持続可能なまちづくりを目指す重要な取り組みとしています。 と言うふうに転用に規制をかけても、農業をするしないはまた別問題です。私も先祖伝来のわずかばかりの畑に、この時期の草の繁茂と戦っていますが、私は狭いところですから箱庭感覚(ままごと遊び)で楽しんでいますが、300坪(=1反)の土地が10枚ある1町歩となると、遊びじゃ出来ません。またこれまでは政府が『休耕地政策』として、作付けしない土地に対して奨励金を出して抑制をしていました。 私も最近なって、夜にも『米』を食べることにしています。その方が後の体重測定の結果が良いのです。この年になると数値が気になり、体重は〇〇kg、血圧は〇〇、体温〇〇と自分なりの標準値をもっていて、キープするように心がけています。それで夜は『米』を食べなかったのですが、逆に『ご飯』を食べた方が結果が良くて、改めています。第一今のご飯は、実に美味しいのです。 好みから言うと、JR富山駅前で食べた焼き肉屋の『富山米』が人生の最高でしたが、最近はどこでも及第点です。本当に『米』が美味しくなっています。このような背景に、インバウンド(訪日外国人客)需要が増えて、何と24年6月までの1年間で主食用米の需要は、前年に比べ11万トン増えたという。内3万トンが訪日客の押し上げだというので、日本人が米を食べている結果が現れている。 JAグループなどが業者に卸す際の『相対取引価格』は6月に、60キロ(1俵)あたり1万5865円と約11年ぶりの高値を付けた。米はまだまだ安いと思うが、主食だから高くなりすぎては困るのだが、若者が『後継者もどき』でやってみようかという意欲にはつながると喜ぶ。オイスカの中野與之助初代総裁が、日本軍が先の大戦で蹂躙した地に米を植え、作物の種を蒔き、木を育て、人材も育成して60年間やって来ています。 やはり米は日本のみならず多くの国で『主食』として、古来から作られてきています。数字が向上するのは、元気が出ますね。若者がだめだというのではなく、やる気になるメルクマールが多くあれば良いですね。 |
2024,07,29, Monday
世間では、2024パリ五輪での日本人選手の活躍が報道され、100年前の前回パリ五輪の時代はどうだったかと思いを巡らせます。当時の報道は2~3日遅れて、メダルどころか入賞すらなかった五輪だと想像しますが、それでも日本人が世界の強豪国選手に伍して戦う姿に、国民は今と同じように歓喜したと思います。前年は、関東大震災が発生し、復興は道半ば、そんなときの五輪だったと思います。
パリ五輪はマスコミ報道に委ねるとして、今日の小欄は、かねてから私が題材として書いている『香川用水』に関するネタであります。昨今は東北までもが豪雨という『水問題』で苦しんでいますが、過去のそれは西日本地方の特許のように、台風・豪雨・渇水と充足不足を問わず、西日本地方の出来事でした。特に香川県は日本一小さい県で高い山もなく、おまけに降雨が極端に少なく、水不足に苦しんだ長い歴史があります。ため池が多いのも、その現れであります。 標題の50周年は、1974(昭和49)年5月30日の『香川用水上水道の通水開始』から数えて50年だと思います。総工費は、3200億円(内県負担1154億円)という当時の金額として大枚をはたいて完成させました。ちなみにこの年の香川県民所得が、初めて100万円の大台突破と報じられています。 これには布石がありまして、前年の昭和48年7月に当時『高松砂漠』と呼ばれた大渇水が発生し、断水63日を記録し、高松まつりが中止となりました。私も『明大連』として総おどりに参加予定で、踊りの練習にも参加し、この頃の世相をよく覚えています。暑い時期の渇水は、辛いモノがありました。せめて水があれば、生活に元気がでます。 またこの昭和48年11月には、昭和40年着工の早明浦ダム(高知県)が8年の工事で完成し、香川用水の全貌が見えるようになってきていました。だからこの香川用水上水道の通水開始は、県民の悲願だと言えたと思います。蛇足ですが、昭和49年は10月に『長嶋茂雄』氏引退し、「わが巨人軍は永久に不滅です」の名台詞を残しています。あの時代の頃の話しであります。 翌昭和50年3月、徳島県の池田ダムが完成し、香川用水の都市用水(上水道)と農業用水の本格通水が始まっています。都市用水と農業用水の分離(工業用もあります)がどうなっているのか疑問は私の中に残りますが、これで以て6月『香川用水全長106キロ』に及ぶ本格給水が始まり今日に至っています。この完成で水不足はまず起きないと考えられていたのですが、高松も都市化が進み、再び『高松砂漠』がありながら今では中間貯水施設『宝山湖』などを作りながら、一方では『節水』の徹底と管理技術の向上などで、今日の早明浦ダムの貯水率は96.4%で安定して県民は安心しております。 何度も書きますが香川用水は香川県独自のモノと思われがちですが、高知県の早明浦ダムに貯めた水を、徳島県の池田ダムを経由して香川県の財田町の施設で受けて、香川県内津々浦々まで供給されています。一番長い旅は、100キロを越える旅をして、県民の生活水として恵みを貰っています。高知県の皆様、徳島県の皆様、本当にありがとうございます。感謝! |
2024,07,28, Sunday
2024パリ五輪が始まりました。開会式もこれまでの競技場開催から、街の中心部全体を会場に、これまでの五輪では見られなかった嗜好で行われた。テロ行為等が多いと言われているパリで、警備担当は大変な思いをしながらの開催だったと思います。さすが先進国の、100年ぶりの五輪開会式でした。また100年ぶりという歴史も、流石フランスです。
そして前後して、競技が始まっています。勝った選手や競技はTV再生で何度も見ることと思いますが、私は柔道女子52キロ級の阿部詩(24)選手の2回戦敗退に感じるところがありました。やはり連覇は難しいですね。4年の歳月を経て臨む大会で、前回同様に勝ち進み優勝するということがどんなに大変か、彼女の試合を観ていて感じました。調子は良さそうでした。 前回優勝選手は、世界中の52キロ級選手から手本にされ、打倒目標として研究され尽くされます。特に柔道のような瞬間技を競う試合では、次の巻き返しの機会がありません。その一瞬にかけて詩(うた)選手も勝ってきたのですが、敗者復活がない2回戦敗退はその瞬間でやられたら、もう取り返しがつきません。阿部詩さんは号泣していましたが、どうしてやることも出来ません。 過去に柔道で2連覇した女子48キロ級の谷亮子さんがいますが、それだけに阿部詩選手も出来ると信じてこれまで苦しい戦いをしてきたはずです。反面2連覇のかかる兄の阿部一二三選手は、男子66キロ級で優勝しました。こちらはどうでしょう、妹の負けを肥やしにして臨んだと思います。もし柔道に男女混合チーム対決があれば、恐らくこの二人が優勝していたと思います。 一人で戦うトーナメント戦、勝つも負けるも紙一重。阿部詩選手は、絶好調だった。稲盛和夫塾長は、「絶好調も試練ですよ」と言いました。「調子が良いときこそ気を付けなければ」と盛和塾で、われわれ経営者相手に人間性の大切さを説いていました。一方講道館の嘉納治五郎先生は、柔道を通して精神を磨き、高めて、それを以て世の中の役に立つ人材を輩出していくという目的で柔道を始めたと語っています。 今の阿部詩選手にこんなことを言っても理解されないと思いますが、問題は阿部詩選手の2回戦敗退から観ていたわれわれが何を学ぶかではないか。反面阿部詩選手に52キロ級の代表を奪われた角田夏実(31)選手は、それでもあきらめないで48キロ級で金メダルに輝いた。軽量でどうしたら間違いなく勝てるか、考えた末に導き出した『巴投げ』と『関節技』。素人が観ても合点がいくが、考えを実践に移す練習のたまもの。減量と心の葛藤は、地獄を見たのではないだろうか。明暗悲喜こもごも、良い試合を二人が見せてくれました。これぞまさにスポーツの力、オリンピックの成果の一つでした。 |