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熊野神社清掃当番7月2024
夏は落葉も少なく、参道の清掃も比較的楽であります。従って当番も月一になっています。しかし出かけて行って現場を見てみると、折れた枝もかなり散乱しています。小雨が降っていますが、飛倉喬神社責任者や川西澄夫事務長さんら毎回参加している者は、「このくらいの雨は催行」が常識のようであります。われわれレベルは、恥ずかしながら理由を付けて休みたがっています。

今日の一番の話題は、『蚊対策』です。私以外の皆さんはズボンは勿論シャも長袖、私の畑仕事の出で立ちです。環境整備で少なくなったとはいえ、この季節は蚊の大量発生期であります。梅雨が明けきらない今が、彼らの活動期です。もっと温度が上がれば、蚊の活動も収まります。動くのは、朝夕と限りが出てきます。私は体温が高い方で、蚊に狙われやすい体質です。酔っ払いに蚊が群れると言われていますが、蚊はアルコールの臭いに反応するのではないようです。

身軽に出かけた私に総代は、「社務所の中に蚊防止のスプレーがある」と教えてくださいました。ありがたい、これを買うための賽銭も入れなくてはと改めて感謝と決意をします。1時間程度の作業で解散になり、帰宅しますが、途中で『てんやわんや』のおかみさんの姿を見ました。九時前に、居酒屋(昼も営業中)の仕込みが始まるのですね。コロナ禍が治まったと感じていますが、飲食店の労働時間は長い。一日も早く回復(コロナ期の借金)すれば、良いですね。



神社掃除が終わって帰宅した私に、しばらくして1本の電話が架かってきました。「広瀬勉さんが孤独死として発見された」という内容で、かつて広瀬さんと一緒に来たことがある十河(新潟県在住)さんです。広瀬さんと6親等とかで、自分に大阪堺市役所から問い合わせが来たのですが、もっと近しい人がいないか探しているとのことでした。広瀬勉さんは、府営住宅でした。

広瀬勉さんは小欄でも紹介したことがありますが、私の母親が死去した際にここで紹介したのですが、その日の夜に通夜式の会館にわざわざ足を運んでくださり、何十年かぶりに再会した人です。拙宅の南の家で、高校(高松工芸)卒業までここで暮らしていてよく遊んでくれました。5~6才上で、その頃は上下の隔たりなく遊んでいました。拙宅へ来た頃すでに「ガンです」と告白されていました。今年の年賀状は、届いていません。

電話の主の十河さんは、広瀬さんの親戚で当時は同居されていました。もともとこの家は広瀬家の商家で、土地は高徳寺のものです。拙宅もそうですが、このあたりは借地が多く、建物の売買が転々となされていて、広瀬家はコンニャク作りの家でした。今の住まいしている私が生まれた土地も、借地であったのですが、私が宅建業を始めてのちに買い求めたモノです。わが先祖を辿ってみれば、数キロ離れたところに旧家があると言われて、訪ねたことがあります。

そこから2カ所借地の家屋を買い求め、段々に広い家に移り住んだようになっています。明治戸籍ですから、江戸末期までしか追えません。その前はどこで何をしていたのか、先祖捜しは不明のままですが、私はこれで由としています。侍でもない限り先祖伝来と言ったところで、150年かよくて200年前しか分かりません。しかし人類誕生の150(137)億年というスパンに比べたら、微々たるモノです。

神社掃除をしてのちに、広瀬勉さんの訃報に接し、ある意味ありがたいことです。かみさんが、「孤独死だった勉さんのことサチ子(母親)さんの仏前に報告してきたら」。これには私も逆らわず、蝋燭線香で手を合わせました。ご冥福をお祈りしています。


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| 社長日記 | 11:36 AM | comments (0) | trackback (0) |
夏の陣始まる高松商の初戦は高松西
第106回全国高校野球選手権香川大会が10日に始まり、まだ梅雨が明け切らぬ合間を縫うように進み、第3日の13日(土)10時から高松商の初戦が高松市生島町のレグザムスタジアムで行われた。対戦相手は『高松西』で、試合前からモノ凄い勢いの応援でやる気を感じました。共にエールの交換は応援団の女子だった。時代の変遷を感じる。

高松西 000|002|000| 2
高松商 100|101|22X| 7

試合結果は一方的に見えるが、現場で観ていた者には接戦で面白い対戦でした。6回表に2-2と高松西が追いついた後、その裏の高松商が1点突き放したのが試合の流れを作ったと言えよう。勝利した高松商は、次につながる戦いだったと思う。負けたとはいえ、高松西は健闘した。守備は外野を中心に、堅守が光った。『飛ばないバット』の威力を、高松西の堅守がまざまざと見せつけた。

攻撃は紙一重、1回表高松西の攻撃、1番井出選手が高松商先発佐藤晋平右腕の2球目ストライクを獲りに来たところを、鮮やかにセンターへはじき返し出塁、しかし2番佐藤捕手がサードゴロでダブルプレー。3番福家投手がファーストゴロでアウト。結果3人で終わった。高松西としてはセオリ通りやっていては勝てないという思いがあったと思うが、立ち上がりは難しい。

これに対し高松商は1番山田圭介三塁手(右)がライト前ヒット、2番西村賢太二塁手(左)は犠打で送り、3番村山由空左翼手(左)がライトへ安打、4番橋本琉稀斗選手(右)が四球で1アウト満塁。5番高藤快渡右翼手(左)が、センター前ヒットで1点。問題は次の6番市ノ瀬夢蔵左翼手(右)のレフト前のあたりを、高松西の選手が前へ飛び込んで好守。この時ランナーが慎重にタッチアップしていれば初回にもう1点貰えていた。

高松西の堅守を褒めるべきだが、甲子園で勝つことを考えているチームとしては、初回の立ち上がりだけに惜しまれる得点機だった。続く和泉翔太捕手(右)のライトフライで三者残塁。ここで畳みかけていたら、もう少し楽な序盤戦になったと思うのです。初回3安打1四球で1失点ですから、むしろ高松西の選手を褒めるべきか。

安打数は高松商13安打、高松西6安打、エラーが高松商2で高松西は3でした。高松商の投手陣は先発が佐藤晋平右腕で、6回まで被安打4、失点2。二番手筒井羽琉投手(右)は7回8回を1安打3三振、2回をゼロ封、最終回は小原健跳投手(左)が西高代打陣を押さえて終了。最後の打者は龍雲中出身の河地藍希選手でした。高松西が健闘し、高松商が無難に勝ち上がった試合でした。 

その他の試合は、優勝候補の一角尽誠学園1-2丸亀で尽誠が惜敗、英明は香川高専高松と対戦し、香川高専高松1-8英明。





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| 社長日記 | 01:37 AM | comments (0) | trackback (0) |
行きつけの開業医でにわかにマイナンバーカード保険証を
6月末で退職し、健康保険証を返納してから常備薬の買い溜を忘れていたコトに気づき、社会保健労務士の久保雅子さんにお願いし、次の手配をお願いし2週間弱、ようやく保険証が届きました。高血圧を押さえるための薬を、近くのかかりつけの医院で処方して貰っています。L浅田善太郎の紹介です。その薬が効きすぎてか眠くて、フラフラはしないのですが再調整をお願いするところです。

昼前に新しい保険証を持って医院へ出向いたのですが、「マイナンバーカードをお持ちならそちらで」とつれない言葉。過去にはこれと逆のことを、言われたのでした。唖然としながら車まで取りに戻り、「マイナンバーカード」を提示しました。1ヶ月前にはこんなことはありませんでした。「マイナンバーカード」で良いなら、慌てて保険証を作ることもなかったのか。

おまけに今日は、先月通告された採決の日です。献血49回の私ですが、今でも注射器が怖いのであります。ベテラン看護士さんと「昔は複数回使うために針が切れなくなって痛かった」などの会話をしながら、さすがベテランは仕事が早い。臆病な私を観察しながら声がけして、予定の血液量を採取しています。新品の注射器が良いのか、腕が良いのか痛くありません。

医院の会計を済ませて調剤薬局へ出向くと、またぞろ『マイナンバーカード』と『お薬手帳』を求められました。ここでも保険証がいらない、どうなっているのか。前回と扱いが明らかに違うが、言われた通り提示し処方箋を渡します。今日から薬が変わります、お薬手帳への書き込みをしてくれたようです。『マイナンバーカード』に変更になっても、紙の手帳はいるみたい。

昼を過ぎていることでもあり、どうなっているのかただすことはしませんでしたが、新しい保険証には「ジェネリック医薬品を希望します」のステッカーを貼っていました。ジェネリック医薬品が安いのは知っています。私は同じ効能、もしくは近い効能を得られるなら、ジェネリック医薬品で良いと考えています。私の新しいスタートに関して、これまでの人脈をフル稼働しているのに気づいています。

大苦戦のパソコンの載せ替えも、ついにプロに頼みました。旧四国パソコンの横沢氏を頼り、ウェブズ工房の佃俊一郎さんを紹介されました。このところの『つかえ』から解放されました。ありがたいことです。72年生きて来て、無駄はなかったようです。


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| 社長日記 | 01:36 AM | comments (0) | trackback (0) |
紙のタウンページ廃止・電話帳130年の歴史に幕はアナログ時代の終焉か
最近会社も事務所が変わり、いろいろなことが40年ぶりに起こっています。昨日も丁度、タウンページで探していたところです。紙情報はやがて消え去り、デジタル化されることは自明。私の好みから言えば、昔の『104』番号案内です。それも個人宅を地元のオペレーターが応対してくれる方式が、一番よかった。個人情報(50音順)の公表が終わり、企業組織編(職業別)のタウンページも消え去ります。電報もなくなり、次の手段へ辿り着かなければ生きて行けない。

新聞報道も標題の廃止に話題が及び、新聞ネタとしては小さい扱いだが、1890(明治23)年の国内初の電話帳『電話加入者人名表』発行から今日までの、時代の変遷と言える『電話帳』の歴史に触れている。しかし廃止反対の論調は、どこにもない。極端に言えば、紙情報廃止は国民の総意とまで言えそうだ。早速記事を読んで、次の手段が『Iタウンページ』だと書かれているので、検索してみたが希望する情報は得られなかった。

懐かしがっていてはもう年だと言われるが、地域別の発刊された『タウンページ』は広告媒体としても有効だった。先輩不動産業者は、大きい枠ほど前へ掲載されることから、1ページ全部に広告を出し、多くの新規顧客を獲得したと豪語していた。これにリンクするのは事務所の場所ですが、架かってきた電話で場所を告げて、迷わずたどり着ければ間違いなく報酬になったそうです。

またある意味、ここに掲載されることがステータスの時代もありました。わが家は製麺所をやっていたことから、電話の架設は初期の頃だと聞いています。『175』が最初の番号で、これが今ではわが家の番号として一部使われています。いまコロナ禍を契機に、世の中が大きく変動しています。コロナ禍が原因とは思いませんが、丁度きっかけになったのではないだろうか。そんな気がしてなりません。

嘆いていては生きて行けませんし、もう72才だったらある程度静かに生きたらどうかとも言われています。一人親方ですが、親方は世の中の動きをある程度判断せざるを得ない環境にあります。名刺に『隠居』と書くことにも、密かなわくわく感があります。しかし私は『さぬきうどん』ならず、『さぬきマグロ』です。死ぬまで動いていることでしょう。空き家空き地が散見される昨今の状況下では、まだ少しはお役に立てるのではないかと、研鑽を始めました。

それでもITデジタル化の世の中、本を読んで独学の時代ではないようにも思います。ここが今と創業の頃との愕然とする差であります。使えれば便利な時代ですが、高嶺の花にならないように、日々研鑽を重ねないと生きて行けないのを思い知りました。ガソリンカードが届きました。ガソリンカード一枚にこんなに苦労するとは、思いもしませんでした。


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| 社長日記 | 10:11 AM | comments (0) | trackback (0) |
宅建高南地区夏季会員研修会2024は『フラット仏生山』
公益社団法人香川県宅地建物取引業協会の高南地区会員研修会、令和6年夏季が11日『フラット仏生山』2階研修室で開催されました。地区長松本信一(㈲まいすぺーす)さんが地区長に就任されて、初めて企画する研修会でした。内容は、われわれ会員が一番に触れる『契約書・重要事項説明書』に関する、ITデジタル化された新システムの解説でした。

講師は協会事務局の葛西修さんらで、最も身近で関心の高いシステム解説でした。さすが良いところを題材に、それも常日頃電話で確認する人から説明を受けます。ややもすると製作者の解説を聞いたりする説明会もありますが、日常づかいしている会員の意見を聞いて対策している人の説明が、実にわかりやすい。私も七月から一兵卒に戻り実務に携わっているだけに、話しが興味深い。

思い出してもこの40年余、ITデジタル化はどんどん進みました。まさに時代の寵児のように、デジタル化は業界を闊歩してきました。紙情報ですが『売情報』を不動産流通センターに集め、会員に毎朝FAXなどで配布することから始まりました。この頃はFAXも十分普及しておらず、情報がほしければFAXの導入が必要でした。

初期のFAXは専用紙を指定箇所に挿入し、受信が始まるとしばらくしてFAXから煙が出て、画像を作っていました。当然臭いもきついモノがありました。感熱紙ですから、時間の経過と共に、見えなくなって。この頃は、同時に1週間分の印刷された物件資料も郵送されてきました。勿論費用は、種類に応じて応分の負担がありました。多少の費用はかかりましたが、全国の流通センターの誕生は、今から考えても画期的なモノでした。

背景には、建設省の行政指導がありました。法律の改正も、5年おきには大きく変わります。彼らは、米国の流通システムに学ぶところが多くて、物まねとは言いませんが、良いとこ捕りのようでした。私も早く、アメリカ流の仲介の学習に1995(平成)7年から協会から行きました。今から約30年前の話しです。その頃から米国では、コンピュータ化の胎動が始まっていました。

さて研修の内容ですが、『ハトサポ』という全国宅地建物取引業協会連合会(全宅連)が全国10万社会員のために作成したシステムの解説でした。これまでにも公益社団法人香川県宅地建物取引業協会独自のシステムがありましたが、時代と共に進化しています。いずれにしても消費者に、よりわかりやすく説明するための手段としてシステムが開発されてきています。土地の取引には、境界確認が必須です。これは土地家屋調査士に依頼して、間違いがないように手配します。

中古住宅の売買に際しては、建物現況調査(インスペクション)がより一層求められています。人口減も重なり、空き家空き地が急速に増えています。われわれの責務がより一層期待されるように時代が進んでいます。研修会の後に、仏生山の森でBBQをやり、親睦を深めました。勉強の後のコンパは喜ばれました。




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| 社長日記 | 12:25 PM | comments (0) | trackback (0) |
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