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吉田道数さん死去75歳
26日香川県内の病院で死去したと、四国新聞で報じられています。大変驚きました。数日前高松商の会議室で、何かの弾みで吉田道数さんと奥様吉田洋子さん(共に高松商卒業生)の話になり、「さらなる協力をお願いしたい」という結論に達したところでした。近況については全く聞いておらず、突然の訃報に愕然としています。28日通夜で、29日が告別式、共に公益社西館です。

吉田道数さんは、昭和24年1月8日生まれ。早生まれですから誕生日を迎えて76歳になります。42年高松商6組卒、石の山田賢二さんらと同窓です。先代からの吉田食鳥を引き継ぎ、さぬき地鳥で有名な今の吉田食品工業の工場を香川町に新設し、飛躍的に業績を伸ばしました。現在は妻洋子さんが社長であります。

私との出会いは1976(昭和51)年、今から48年前に吉田道数さんがタウン誌『ナイスタウン』を創設し、高松の巷の情報を写真と活字紹介する組織を作ってからです。私もデザイナー猪子進氏の紹介で、家業の合間を縫って写真を撮って記事を書いていました。無給ですが、自分の取り扱った情報が活字になる喜びをかみしめていました。その後多くのタウン誌が生まれましたが、生き残りは『ナイスタウン』だけでしょう。

勿論時代の走りでしたから、経営的には大変だったと思っていました。アイアイイズズさんはその頃の一番客でした。写真のきれいなお洒落なタウン誌でした。全国誌の『ノンノンやアンアン』の地方版ですから、採算がとれるまでには時間がかかったと思います。鳥で稼いで雑誌につぎ込んでいました。私も幾つか企画を出しましたが一番当たった企画は、草野球のチームを紹介する企画でした。

吉田道数さん自身も草野球をやっていたと言う久米龍之介さんも、突然の訃報に驚いていました。洋子さんと結婚式にも参列したほどの仲だったようです。その特集の成果として、大北敏博(元巨人軍)の取材に後楽園取材の褒美をくれました。大北敏博がホームランを打った後で、私も巨人軍の取材許可証を腕に巻いて球場内をうろうろしていました。選手専用のトイレで、王貞治選手のサインをもらえたのも、吉田道数さんのお陰です。

また洋子さんともご縁があり、私が高松商で教育実習をしていた時の3年生でした。活発な高校生で、今現在の公的(高松商工会議所女性部)活躍は、あの頃を知る私には、「さもありなん」の思いです。冥福をお祈りしながら、『吉田食品工業』と『ナイスタウン』のますますの隆盛を期待しております。



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| 社長日記 | 09:47 AM | comments (0) | trackback (0) |

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