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第1493回例会L香川明俊を偲びL池田義幸喜寿を祝う会・高松栗林LC
7日、高松栗林ライオンズクラブの例会が、レストラン香松で新年例会として開催されました。例会開催は7月の新体制スタート段階で計画されたモノでありましたが、L香川明俊を偲ぶ会になろうとは、本人のみならずわれわれも全く考えることなく進行していました。標題の通り、正月の祝賀としてL池田義幸の喜寿を祝うセレモニーも行われました。

L香川明俊はレストラン香松の経営者として1972(昭和47)年9月に、当時の辻正太郎会長のスポンサーで入会しています。在席52年の会歴、クラブでも最古参の中に入ります。今日の挨拶の中で、「栗林と言えば酒豪のL吉村屹(S49.9)、ゴルフのL香川明俊(S47.9)、(料亭二蝶のL徳永孝明(S45.1)、歌手のL塩田博志(S51.10))と代名詞になっていた」と言うほど、ゴルフはL香川明俊体の生活の一部になっていました。

なくなる1週間前も、志度カントリーでクラブチャンピオン4連覇を達成し、ご満悦だったとの証言をあちらこちらで聞きます。ライオンズクラブでも、ゴルフ同好会のメンバーで、また県内での東京六大学対抗戦は、明大チームに香川明俊の名があるかないかで、順位が予想されたように聞いています。私はゴルフが出来ませんが、後輩として先輩の勇姿は鼻高でありました。

また長男高俊さんは、高松商の後輩です。ご夫人香川和子様の御礼の言葉でも「松野と(香川明俊)のバトルに陰で聞いていてハラハラした」と言うほど、私は比較的近い縁でありました。幸い香川家は、兄弟姉妹嫁も交えて総かかりでやっています。過去には高松中央公園前、番町交差点角ビルの最上階で営業をされていて、昼間はサラリーマンの御用達、夜はカップル家族連れの憩いの場として愛顧されていました。

特に1987(昭和62)年12月からわがクラブが提唱した『高松冬のまつり』が、眼下の中央公園で始まりましたが、イルミネーション点灯開会式後の例会がここレストラン香松で行われ、特に第1回冬のまつり例会は、人生で思い出に残る例会の一つになりました。その後レストラン香松は今のこの場所(発祥の地)に、帰ってきました。今後は香川高俊さんら、後継者にかかっています。頑張れ後輩。

続いてL池田義幸の喜寿を祝う会です。L池田義幸も高商の先輩で、浅からぬ関係です。池田花店を先代から引き継ぐ老舗の店主ですが、コロナで苦しみました。昭和24年生まれですから団塊世代、この年の高商卒はいまだに団結力が旺盛で、同窓会紫雲会を引っ張ってくれています。人柄も誰からも親しまれ、2011(平成23)年にはクラブ会長として結成50周年記念事業の下地を築かれました。

最後にL黒川保の退会報告が委員長からあり、喜び悲しみが交差する新年会例会でした。今日のビンゴは比較的早く上がり、福袋(家庭用台所用品)を頂きました。花田千万里事務局さんが自らドネーションしたり、企画準備で執行部を支えてくれています。過渡期に差し掛かっている高松栗林ライオンズクラブ、新年例会でした。






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| 社長日記 | 10:19 AM | comments (0) | trackback (0) |

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