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気に掛かる高松環状道路
昨年の12月11日に、高松環状道路に関する『2024時事通信+四国新聞・合同世論調査』の結果発表記事が掲載されていて、結果数字は賛否拮抗とありそれ自体はさほど気になりませんが、高松環状道路そのものについて私は、気に掛かることがあります。年末の慌ただしい日中に、だらだら駄弁を弄しても社会悪以外の何ものでもない。そんな気がして、少し遠慮していたところです。

今すぐ高松環状道路が必要かと問われたら、私も明確な答えを持ち合わせておりませんが、明確な理由を述べなくても善いのであれば、是非もなく高松環状道路が必要で、今すぐ取り組む課題だと思います。必要だ是非必要だという意見は、交通渋滞が慢性化し、二進も三進も行かなくなってわれわれが感じること。都市計画マスタープランは、10年先50年先100年先を展望してかつ今取り組む仕事です。

『地域高規格道路』は、高速道路を補完する形で拠点へのアクセスや物流の円滑化を図り、時速60キロ以上で走行できる道路。その一つである高松環状道路は、高松市中心部を円で囲むように整備し、サンポート高松や高松道のインターチェンジ(IC)、高松空港などの拠点をつなぐ計画。高松環状道路は1994(平成6)年に計画策定されていて、昨年3月に国が具体的3ルートを提示したモノ。

私は最近高松道(高速道路)の高松西インターチェンジ(IC)と高松中央インターチェンジ(IC)間を走って、「よくこの間を北へ曲げたモノだ」と感心しています。高松西インターチェンジをまっすぐ東進すれば、今のような大きなカーブを作る必要もなかった。そうすることで、地元仏生山町周辺にインターチェンジ(IC)が出来たかもしれないと「国土交通省役人は机上論に終始して現場を見ていない」と本気で馬鹿にしたものでした。

あれからおよそ20年、2003年3月に高松中央ICから高松西IC間の開通により、高松自動車道が全線開通しました。確かに高速道路は大きく北へ蛇行して、事故の心配もありましたがこの21年私は事故の報告を聞いたことがありません。そして高速道路下には東西へ、3車線の道路が整備されました。高松市内に南北道路は北の端に拠点があることから、ほぼほぼ整備されていますが、東西の幹線はありませんでした。

ここに国土交通省の技官の先見性が発揮されたと、今になれば私もそう気づきますが、当時は一度決まった高速道路計画で立ち退きの人々も渋々協力しましたが、1995(平成7)年の『阪神淡路大震災・兵庫県南部地震』の高速道路倒壊から、さらなる橋脚の拡大のため立ち退きにあい、土地買収は困難を極めました。「ここまで売ってください」と言いきった交渉が、さらにとなると二の句が継げません。こんな苦労をしながら、今は毎日数千台の車両が助かっています。

話しが飛躍しましたが、まだ必要を感じてない今だからこそ、先を見て高松環状道路計画をしなくてはなりません。例え少子化で走行する車両が減ったにしても、災害警戒や復旧には環状線道路が要ります。四国新幹線と同じように、国土強靱化基本法の主旨からも、高松環状道路は必要かと思います。これが私の、浅はかな考えです。


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| 社長日記 | 08:49 AM | comments (0) | trackback (0) |

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