勤労感謝の日の今日が会場が空いていて、この日になったという『香川県中小企業家同友会の監事・野田勝利』さんの生前想が、丸亀市アイレックスで行われました。私はもう15年くらい前に退会し、入れ替わりに次男が勉強させて貰っています。野田勝利さんとは彼が入会してきた1992年から、私が退会するまでの17年間何かとご縁があって、同友会活動に励んできた仲であります。あれから早、30年が過ぎていきました。
一番の記憶は、彼が副代表で私が共同求人委員長、今から20年前の事ですが、四国から中国地方の大学に『卒業生を(香川県に)寄こせ』と直談判に行ったことです。2泊3日ぐらいで、岡山県・広島県・山口県へも行ったかいの野田さん。その頃も学生の売手市場で、大学の就職課はあぐらをかいていました。そのツケが、昨今の入学生不足、学校の存続に多少影響を与えていると思います。
野田勝利さんは、その頃からも『経営指針を創る会』に心血を注いでいました。愚息もそのお陰で、『経営指針書』を作成できています。熱い男で、多くの若者に多大なる影響と迷惑を与えています。息子からの連絡で、今日の騒ぎに押しかけました。数年前に前立腺がんを患い、今年に入って手の施しようがないと医者から宣告されて、今日の騒ぎになったと発起人の矢野俊郎(矢野団扇)さんが説明します。
矢野俊郎さんの懐かしい『毒舌』が、久しぶりに聴けました。同じく世話人の香川重義(香川フードサービス)さんや東秀憲(東新電機)は紳士で、野田勝利さんをねぎらう言葉が多く出て来ます。私も32歳の1984(昭和59)年に入会し、経営のイロハはこの同友会で学びました。同友会の教えは『経営指針書』を創り。ここでの学びが、今日の私の立ち位置に役立っていることは間違いない。
私はあとからの参加組で25テ-ブルですが、総数150人ほどの参加者です。本人がどうしてもやりたいという願いから、今日のしつらえが出来たようですが、質素にして心のこもった生前想になりました。音楽も『Let it be,そのまま』、私は余命宣告を受けたと聞きながら、『奇跡の水』を持参しました。併せて今度は、『重曹とクエン酸』の混合液も直前に調合して、2本のボトルを彼の奥様に渡しました。
そもそも奇跡の水は塚田修一さんに頂いたモノですが、最近書物で、『重曹とクエン酸』の混合液もガン対策に大事だと知り、塚田さんの解説書も同封しましたが、すぐに飲める混合液の現物も差し上げました。書いたモノより、自分が毎日飲んでいる現物が手っ取り早い。年寄りには、時間がないのです。2026年に同友会全国交流香川大会が開催されるそうですが、開会宣言を野田勝利実行名誉委員長がやるという。隣席の尾庭恵子さんは、神戸からわざわざ。頑張れ野田勝利さん!!!奇跡は必ずおきる。