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ユダヤアークの秘密の蓋を開いて日本からあわストーリーが始まります
何とも長いタイトルの、これまでに聞いたことがない内容が綴られた本であります。何かの講演の中で、講師がほんの少しだけ漏らした情報をインターネットで調べてみました。今の時代、これは実に便利ですね。本にしても、タイトルの一部が分かれば検索することが出来ます。盆休みの徒然に、甲子園野球も中止でやる事がありません。読んでみました。そして、のめり込みました。

著者は香川宜子(よしこ)さん、徳島市生まれで内科医師。そして、文庫本になった本を書いた小説家です。私も経営者の端くれですから、トランプ大統領と同じように結論から先に言います。この本の内容を一口で言えば、「邪馬台国」は四国にあって、その元の倭(やまと)が阿波(徳島県)の剣山系にあったというのです。これまで九州説や畿内説、そして山陰説までいろいろ言われていた中に、四国説はありませんでした。

中学校の教科書でも習いましたが、「魏志倭人伝(きしわじんでん)」に邪馬台国の位置、様子が記載されています。倭(阿波国)が勢力を伸ばして四国をほぼ平定した頃の名前を、別名「邪馬台国」と言いました。畿内にも九州にも合致する部分の地名がありますが、「翰苑(かんえん)」には、「海中洲島の山に絶在し、四面が海にそびえ立ち、周囲の長さは五千里あまり、戸数は七万戸余りの大国」という、ある特定の場所(四国)にしか存在しない特徴を備えた記載があります。

時代は一気に進みますが、松平元康(後の徳川家康)が天下に名を上げると、家系を鴨族末裔(鴨族とは高天原忌部氏の祖)と称して徳川幕府は、「阿波藩は徳川の一字をとって徳島藩に改名するように」と命令を下し、阿波は徳島という地名になったとか。

更に「邪馬台国には青玉と丹(あかつち)がある」と書かれているが、昔から阿波には青石があり、日本最古とされる弥生時代の「丹(硫黄と水銀の化合した赤土)の採掘場・若杉山遺跡もあります。また航路についても途中で「四十五度舵を取る」という記載不足を除けば、剣山までの距離、航行時間などとほぼ一致することも分かっています。(大杉博著・邪馬台国はまちがいなく四国にあった)

そして今年復活の年となった「阿波おどり」の発祥も、蜂須賀の殿様時代から始まったと言われていますがこの説は間違いで、卑弥呼が隠れた天の岩戸で神々親戚一同が踊り歌った歌は、「ひい、ふう、みい、よ~」と言うのですが、私たちは一から十までの読み方として教わりました。これも隠された古代ヘブライ語で、「誰がそのうるわしい女神を出すのやら。誘いにいかなる言葉をかけるやら」という意味だそうです。阿波おどりの始まりは、ここにあるのだそうです。

書けば切りが無いのですが、もう一つだけ。712年(和銅五)、「偽りを削り、真を定め後世に伝えんと欲す」という勅命が発せられた。奈良(大和やまと=大倭おおやまと)に移住した後に、ようやく都の基礎が固まった大和朝廷の第43代元明天皇が、いにしえの先帝たちの歴史を正しく伝えんがために、「磯上乃古事記(いそがみのふることふみ)」を編纂しました。私たちは単純に「古事記(こじき)」と言っていますが、正式名は「磯上乃古事記」なのです。

ところが、わが国の国号が「日本(にっぽん)」になったのは603年、小治田宮(おはりだのみや=推古天皇)、聖徳太子の時代ですから、712年には「日本乃古事記」と題名が付けられてもおかしくないのです。それを磯上乃古事記と題したのは、「古事記」が日本全体の歴史ではなかったと言う事なのです。

いにしえより、日本人のDNAにはユダヤの血が入っていると言われています。私は常に、千円札と1ドル札を持ち歩いている。千円札は明治時代の写真家岡田紅陽が、箱根本栖湖で撮影したものをデザインしていますが、逆さ富士は、カタチが違っています。上下逆にしてみれば、違いが分かります。イスラエルのアララト山だと言われています。1ドル札には、フリーメイソンの真実を見通すと言われる「フォロスの目」が印刷されています。

「君が代」にも隠されたヘブライ語の訳があり、「クムガヨハ チヨニヤチヨニ サッザリード イシュノ ニワオトナリッテ コケノムシュマデ」と歌い、その持つ意味は、「立ち上がれ!神を讃えよ!民の選民である我々は人類を救う残された民として喜べ。やがて人類に救いが訪れ、神の予言は成就した。全地あまねく述べ伝えよ」という燦然たる意味があるのだそうです。

「剣山に隠されたユダヤアーク伝説」は、戦前にもあったようです。この本は、邪馬台国は四国にあり、ユダヤが大切にしている「アーク」「契約の聖櫃」あるいは「キングソロモンの秘宝」呼ばれるモノは、金銀財宝ではなく、天皇家に伝わるという三種の神器と同等の有り難い宝と言える。それが剣山に、埋蔵されているというのです。

74回目の終戦記念日の今日、戦禍に倒れ戦陣に散った多くの御霊に感謝すると共に、時代は違えども、日本の歴史がどうなっているかの一端をのぞいた気がしました。死んだ人が、われわれ生きてる者に何か大きな課題を投げかけているようです。



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| 社長日記 | 09:38 AM | comments (0) | trackback (0) |










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