内田茂氏は、昭和14年に東京都千代田区神田淡路町に生まれた。明治大学から下ったところが神田淡路町で、古本屋や出版関係の企業が多い。一角には、「かんだやぶそば」もある。消失したが、今は新しい店舗で営業している。この界隈は、今でも営業している古い飲食名店が散見される。
内田茂氏は、4人兄弟の長男だという。親の職業は、野菜の行商と鮮魚売り、額縁職人と諸説あるようだが、下町の江戸っ子気質は、氏のある意味言動にも表れている。一言で言えば、昭和の政治家どぶ板選挙というイメージで、小池百合子東京都知事とは一線を画す。
1956年に、東京都立九段高等学校を中退した。中退した理由は「先生をぶん殴ったため」という。高校中退後は、テキヤ(神田明神が近くにある)に出入りしたり、雀荘を経営したり、鳩山威一郎の下足番になったりした。その後梶山静六議員の秘書から、選挙に打って出たと聞いている。
余談だが梶山静六氏は、国家公安委員長時代の昭和63年に、昭和53年からの日本海沿岸アベック失踪事件は、北朝鮮政府が関与した拉致だとはじめて国会答弁した人でもあります。あれから40年近くが経過している。安倍晋三首相も拉致被害者の解決を声高に言うが、金正男の殺害を見たら一層怖じ気づいたか。
そして内田茂氏を一躍有名にしたのが、小池百合子東京都知事。小池百合子氏が都知事選で自民党の公認申請をしたが、小池百合子候補の公認を内田茂幹事長が認めなかった。そんな内田茂氏の影響力を敵に回して東京都知事になった小池百合子氏が、逆に内田茂氏を悪人呼ばわりした。
先の千代田区長選挙でも、内田茂氏は小池百合子東京都知事の推す候補に大敗した。内田対小池の選挙での勝負が、もうついた感じがする。1975年今から40年以上前になりますが、千代田区議員に当選以来、1989年からは都議として6期努めて、梶山静六譲りの官僚操縦術を都議会で大いに発揮した。
2009年が民進党の飛躍がブームとなり、自身もあおりを食って落選したのだが、何とそのまま自民党東京都連の幹事長の座にしがみついた。自他共に必要としたのだろうが、あり得ないことです。その位内田茂氏は、発言権があったようだ。このあたりは、政治を私化している。
週刊誌ネタですが、再挑戦の選挙ではビール券を配ったと言われています。明らかに公職選挙法違反です。しかし氏は、起訴猶予となっている。だが、そのドンに新たな疑惑が浮上した。内田氏は落選中、地元・千代田区に本社を置く「東光電気工事」の監査役に就任し、現在も都議と兼職している。
同社は五輪特需で業績を伸ばし、今年1月には東京都発注の2つの競技施設建設を大手ゼネコンと共同で受注した。しかし、地方自治法92条の2では、地方議員がその自治体の事業を請け負っている企業の役員を兼ねることを禁じており、違反すれば「その職を失う」(147条)と定めているのだ。
次の選挙に立候補をして、小池百合子東京都知事の刺客にとどめを刺される前に身を引いた感じがするが、それでもこの人は影響力を発揮しようと政治の世界は引退しないようです。こんなことがまだまかり通る東京都議会は、伏魔殿と言われても致し方ない所のようです。
悪く言われる内田茂氏だが、私はこんな人が分かりやすくて好きだ。あくまでも仲良しであることが前提ですが、馬が合えば、こんな面白い人もいないのではないか。アメリカを見ててそう感じるのだが、政治はマスメディアからソーシャルメディアへ舞台を移している。