2022,06,03, Friday
もうあれから31年になりますか、私も古希を迎えたので、月日の経過は間違いない。長崎県雲仙の普賢岳で消防団員や警察官、報道関係者ら43人が亡くなった大火砕流から31年。麓の島原市では3日、犠牲者を追悼する一日となった。『ひげの市長』として知られた鐘ヶ江管一元島原市長(91)も足を運び、「島原はおかげさまでここまでなりました。また頑張ります」と述べたと報じられています。
31年前の私は、高松栗林ライオンズクラブ第29代幹事として、7月1日から就任のためライオンズ界の猛勉強中でした。正直遠く離れた長崎県の大火砕流に対しては、対岸の火事として関心がありませんでした。地元は大変だろうなと言う、漠然とした思いだけでありました。その6カ月後、私のこれまでの人生でも大きなターニングポイントを迎えるとは、想像もしていませんでした。 当時高松栗林ライオンズクラブは、1987(昭和62)年に始めた『高松冬のまつり』が継続したメインアクティビティーでした。その年の12月21日、第5回の開会式の壇上に島原第4小学校からの被災者30人を登壇させることに成功しました。紆余曲折はありましたが、私にとってライオンズクラブでの思い出は、これに尽きます。 39才で、会歴10年目のライオンに回ってきた試練でした。当時鐘ヶ江管一元島原市長をはじめ、島原ライオンズクラブメンバーには迷惑をおかけし、同時に感動と多くの涙を頂戴しました。その島原ライオンズクラブ結成65周年記念式典が、今年11月にあると聞きました。また図々しく押しかけることでしょう。 人の営みと同じようにライオンズクラブも、成長発展していますが、人に命の限りがあるように、ライオンズクラブも歴史を刻みながら、そのメンバーが若い人に替わっていきます。そのためには、新入メンバーを招聘して、次のアクティビティーへとその力を結集して下さい。ライオンズクラブという組織がなくても、世の中は動いていきます。そこには潤いしかないのかも知れませんが、その一助を担っているなら私は幸せです。 仕事で忙しいのはみな同じですが、忙中閑あり。少しの時間でも工夫によって、少しだけでも世の中に役立つことが出来れば望外の喜びであります。遠くからではありますが、被災者の皆さま関係者の皆さまに対して、こころよりご冥福をお祈りしています。 |