快晴の一日でした。会場はホテルパールガーデン(高松市福岡町)2階讃岐の間、所属リジョンを超えて、多くのクラブメンバーが集まっています。このような記念式典祝宴は、「高松国際ホテル」と決まっていたかのようでしたが、高松源平ライオンズクラブは、敢えてここを選んだのは、ここの料理やサービスがまさっているためか。わがクラブのL横関一也は、パールガーデンの総料理長です。当然合同委員会は、ここを使っています。
高松源平ライオンズクラブは、1993年12月、八栗ライオンズクラブのスポンサーにより誕生して、今日まで25年間、地域奉仕活動を続けています。今年の周年記念アクティビティーは、市立古高松小学校に本棚寄贈、市立古高松南小学校体育館に、30年ぶりの新緞帳を寄贈しています。市の予算では緞帳まで手当てできず、動かず難儀していたと、枽原美佳校長先生が謝辞で述べておられました。
高松源平ライオンズクラブはメンバー23名ですが、7月から第2副地区がバナーを出します。3年後には当然地区ガバナー(四国州知事)となり、その後は生ある限り、公式イベントに参加が義務づけられています。それだけシンボルとしても、リーダーとしても、四国内会員5,257名の頂点に立つ役柄です。それを23名で支えるのですから、本人のみならずメンバー全員、大した覚悟です。
ライオンズクラブもご多分に漏れず、日本国内ではメンバー数を減しています。10年前20年前30年前と比べると、半減しているクラブも散見されます。それでいてクラブ内でも、次期会長などの役員選出に苦慮しています。そんな中、高松源平ライオンズクラブはこれから地区ガバナーを出そうとしています。
今日は関野拓夫地区ガバナーも臨席されて、来賓祝事を述べられていました。7月からの6ヶ月で任期の半分が終わったと安堵されていましたが、上海で夫婦パスポートを紛失したと、心の隙間の恐ろしさについて吐露されていたのが、とても印象的でした。関野拓夫地区ガバナーの方針は、No try No change(挑戦なくして成功なし)。会員増が目標というのですが、やってくれそうな雰囲気を感じました。