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新千歳空港至近にラピダスの製造工場が建設中
Rapidus株式会社は、日本の東京都千代田区に本社を置く半導体メーカー。 2022年8月に、日本の主要企業トヨタ自動車やNTTなど国内大手8社の支援を受けて設立。経産省も、昔の通産省のように力を入れている。もはや民間企業に、国は関知しないという姿勢ではなくなってきている。ラピダスは北海道千歳市に製造拠点を設け、人工知能(AI)や自動運転といった分野で需要を見込む2ナノ(ナノは10億分の1)メートルの線幅の次世代半導体の量産を、20年代後半に予定している。

最先端半導体の国内生産を目指すラピダスは4月25日、北海道千歳市で計画する新工場の建設を始めると発表した。鹿島が受注して9月に着工、2025年1月の完成を予定する。ラピダスは「2ナノ」と呼ばれる最先端半導体を、20年代後半に量産することを目指している。鹿島は熊本県菊陽町で台湾積体電路製造(TSMC)の施工を手がけており、実績が評価されたとみられる。熊本のTSMC新工場は、23年中の完成を予定している。

西村康稔経済産業相は4月25日の閣議後の記者会見で、次世代半導体の国産化を目指すラピダスが北海道に建設する新工場に対して、経済産業省が2600億円を追加支援することを決めたと発表した。国際競争が増す最先端の半導体製造を支援し、経済安全保障を強化する。原資は、2022年度の第2次補正予算に計上した半導体支援事業から支出する。支援額は既に決めた補助額と合わせ、計3300億円にのぼる。

先の『東千歳駐屯地及び千歳基地研修』で、新千歳空港内の管制塔建て屋へ案内された。エレベーターでは『3階』と表示されていたが、地上30m(10階)位はあるだろうか。この管制塔で、民間機(1日400機)と自衛隊機及び海上保安庁機の発着を自衛隊員が管制している。管制部はこの上にある。勿論ここの見学も、厳重な監視の中で行われ、写真撮影も禁止されていてやむなく、このラピダス工事現場を目に焼き付けた。厳重監視エリアでの見学、動き質問すらままならない雰囲気だ。

広報班担当官がさりげなく、「あのクレーン群はラピダス工場です」と言った。「え、こんなに近いの」私は激しく反応した。鈴木直道北海道知事は、「世界最先端、最高水準の半導体を北海道から世界に届けていく前例のない壮大なプロジェクト。一緒に挑戦していくパートナーとして、道民の理解と共感を得て、スピード感をもって全力でサポートしていきたい」と積極誘致している。異例の企業勧誘ですが、北海道のこの地は経済安全保障の観点からも大きな意味を持つと思います。

ここ新千歳は、千歳基地に隣接(極近い)しており、自衛隊の警備が常にされている場所。ある意味、北海道のみならず日本国内で一番安全なところと言える。働く者の邁進さえなければ、安心して大量生産ができる。国や都道府県市町村まで行政は、『平等機会均等』を旨としているが、歴史を俯瞰しても世界各国はまず自国の利益を再優先して常に行動している。屁理屈は、後付だが実に巧妙だ。思わず勘違いするほどだ。

北海道という土地は、自然環境さえも様変わりしていて、米作や造り酒屋も誕生している。台風や梅雨がなく、クーラーはいらないというのが二十世紀の常識だった。サケとにしんの豊漁の地が、北海道だった。地政学上は今も昔も変わらず、最重要地だ。先人が命がけで、大戦前後の北海道分割のソ連の野望を打ち砕いた。そのお陰で、今の北海道がある。

日本を守るも攻めるも、北海道が要だ。スクランブルのF15が、爆音と共に警戒飛行へ飛び立つ。モノ凄い音で、遅れて空気の揺れが来る。エンジンはIHI(旧石川島播磨重工業)製だと聞く。日本の経済安全保障は、この地が東の要だ。経産省もスクランブル体制で、全面的バックアップすることを期待する。





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| 社長日記 | 09:20 AM | comments (0) | trackback (0) |
東千歳駐屯地資料館の『日本の終戦はいつですか』という展示
先の小欄で紹介しましたが、陸自東千歳駐屯地資料館の『日本の終戦はいつですか』という展示は興味深いモノでした。帰宅して資料を読み返して、再度ここに書き残しておきたいと考えました。太平洋戦争の末期、地上戦が行われた日本領土といえば沖縄を思い浮かべますが、千島列島最北東端の島『占守島(しゅむしゅとう)』でも激戦が行われていたのです。1945(昭和20)年8月18日未明、日ソ不可侵条約を一方的に破棄して突如ソ連軍が対日参戦してきました。

このあたりの状況をフリー百科事典ウイキペディアにみると、昭和20年(1945年)8月8日夜に、ソ連のモトロフ外務人民委員が、佐藤尚武駐ソ連大使を招致し、そこで佐藤大使にソビエト政府の対日参戦を宣告する。そして、翌日の8月9日未明にソ連軍が満ソ国境を越えて攻撃を開始したとあります。最終的には日本の降伏を招いたが、(15日を終戦とするなら)終戦後もソ連赤軍は侵攻を続け、現在の北方領土を占領した。

また、その過程でソ連軍による日本人の捕虜や民間人に対する苛烈な強姦や虐殺が行われ、現在でも日露両国間で禍根を残している。ソ連は満洲・樺太・千島侵攻のために総兵力157万人、戦車・自走砲5,556輌、航空機3,446機を準備し、8日夜に宣戦布告、9日未明に満洲への侵攻作戦を、11日に樺太への侵攻作戦を開始し、第二次世界大戦における日本の降伏を決定付けた。

北海道を守備していた第五方面軍(樋口季一郎中将)、千島列島方面を守備していた第九十一師団(堤不夾貴(つつみふさき)中将)のうち占守島には、第七十三旅団(杉野巌小将)と、戦車第十一連隊(池田末男大佐)の約8,500名がいた。速やかに戦闘配備につき、ソ連軍と戦った。そして、北海道上陸(留萌―釧路以北を占領)をもくろむソ連軍を8月23日まで拘束し、北海道への上陸を阻止した。

戦闘は日本軍の激しい抵抗で優位に推移するモノの、軍命により21日に日本軍が降伏し停戦が成立。23日に日本軍は武装解除された。捕虜となった日本兵はその後、大勢が法的根拠なく拉致され、シベリアへ抑留されたのです。今もなお、ロシアに実効支配されており、その存在すら日本の学校では教えられることはありません。祖国を守るべく戦い、ソ連軍を撃退したこの戦いを後世に語り継いでいきたいと思います。

この後に、第五方面軍司令官・陸軍中将樋口季一郎が詳しく紹介されています。ソ連軍が占守島に上陸したとの報を受けた樋口は、指令を出します。「断固、反撃に転じソ連軍を撃滅すべし」と。第九十一師団長・陸軍中将堤不夾貴(つつみふさき)の「師団全力をもって、敵を殲滅せよ」、戦車第十一連隊長・陸軍少将・池田末男と続きます。

ソ連(ロシア)の今を語るつもりはありませんが、昭和20年8月15日前後のロシアの行動は、このようなモノでありました。『実効支配』は、ロシアの常套手段で、お家芸かも知れません。先祖伝来謂わば民族のDNAのようなモノかも。『実効支配=正義正論』が、ロシア人の血かもしれない。2000年の戦いの歴史では、言う前にやるのが鉄則かも知れません。









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| 社長日記 | 09:07 AM | comments (0) | trackback (0) |
航空自衛隊千歳基地見学が最終日程
本日は、航空自衛隊千歳基地を見学します。目玉は航空自衛隊が管制する民間機の新千歳空港と、自衛隊と海上保安庁が使用する千歳空港の両方を航空管制塔する自衛隊のその管制塔の3階にある見学フロアーまで上がります。そこは3階と表示されながら、通常階の10階相当の高さにあります。管制塔の下ですから、勿論360度を見渡すことが出来ます。

写真撮影が禁止されていていささか残念ですが、ここからは民間機の離発着から自衛隊機のそれも見渡すことができます。民間用の2本は雪が降る季節を除いて、離陸と着陸の滑走を分けています。雪が降ると除雪の関係から、1本の滑走路の併用となり、遅れが生じるようになるそうです。北海道には、独特のルールがあるようです。

今日も資料館へ行きました。昨日の資料館もそうでしたが、こういう所には国の予算も付きにくいのか、師団や基地内の予算配分でわりを食うのか内外共に貧粗です。その中にあって、写真のようにF15戦闘機のパイロット姿の羽目絵がありました。実は私も中学生の頃、自衛隊へ行って飛行機に乗りたいという思いがあって、真剣に勉強し始めた頃がありました。

住宅事情が悪く、恐らく照明が的確でなかったのでしょうか1.5あった視力がみるみるうちに落ちて、0.7にそれにもまして左右の視力がバラバラになってしまいました。当時は裸眼で1.2と言われており、今のようなメガネ可のような条件ではありませんでした。学力が足りないと言うのなら努力もありますが、視力回復はなすすべがありませんでした。遺影にしてもらおうかと、考えています。

次ぎに海難救助隊のヘリと、F15戦闘機の内部を見学します。ここまでの至れり尽くせりは、独自の見学では叶いません。充実した見学コースが設定できたのも、第7師団長・遠藤充陸将のお陰です。随行の隊員が証言するから間違いなし。流石北海道です。昨日に引き続き、食堂で香川出身の隊員にうどんを差し入れて、激励します。

藤原寛1等空尉と長尾尚徳1等空尉は共に、香川町出身だそうです。われわれからも身近な存在に感じるし、隊員も遠路からの思わない激励に感動している様子。うどんで英気を養って下さい。海難救助機は滑走路に駐機しています。そこまで歩きますが、滑走路に落とし物がないように、スマホ撮影は禁止とここも厳しい。途中で何の前触れもなく、爆音が響きます。F15が飛び立ちます。数機が編隊を組むようで、次ぎ次ぎに離陸して行きます。そのあとに爆音がとどろきます。全体の空気が揺れています。

最後に基地内の、厚生施設(売店)に立ち寄ります。昨日は陸自で今日は空自で、迷彩服の色も違います。『広報』担当が基地内移動車に同乗しますが、「私の儲けにはなりませんが、基地は多少潤います。新千歳空港売店の10%引きです」のアナウンスに、私も『白い恋人』を買いました。流石自衛隊、数にモノを言わせて5本指靴下もヒートテックの下着も安い。

こうして2泊3日の自衛隊研修が終わりました。キャンセルがあって奇しくも参加できた香川県防衛協会の北海道研修でしたが、初めてのことばかりで驚きの連続でした。この年になっても、人生初めてのことが何と多いことか。死ぬまで勉強だと誰かが言いましたが、自分の足で歩いて自分探しをこれからもして見たいものです。

それにしても疲れました。平時の半分ほどの歩数ですが、睡眠が悪いのか疲労感が眠気を誘います。それほどまでに自宅は、快眠のオアシスか。2泊のホテルは悪くはなかったのですが、やはり自宅に勝るものはありませんね。抱き枕が俺を待っている。










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| 社長日記 | 10:32 AM | comments (0) | trackback (0) |
陸上自衛隊恵庭演習場見学と東千歳駐屯地訪問
昨日の夕食に第7師団遠藤充師団長(令和5年3月まで第14旅団『善通寺』勤務)をお迎えし、親交を深めたわれわれに師団長は、『北部方面隊戦車射撃競技会』の観戦をプレゼントしてくださいました。私は仮設テント内の来賓席の最前列に、平賀博氏ら5人と並んで座ったのです。0720から競技が始まったが、一番手4戦車1組のチームで車両1両の実弾装填にトラブルが発生し、初手から隊長は作戦を変更せざるを得なくなりました。

私は過去に富士総合火力演習を観に行きましたが、あれはデモストレーションで見せる演習ですが、ここ恵庭演習場のそれは真剣勝負らしく、地元第7師団の連覇が係るとか、真剣勝負ですが、至近で発射された砲弾に私も驚き思わず重いヘルメットを悲鳴と共に落としてしまいました。鉄製のヘルメットは、重かった。耳栓も全く効果なしでした。

今の戦車は10式戦車(2010年製)らしく、乗員は僅か3名。先の装填のトラブルは、自動装填の機械アクシデントで、ヒューマンエラーではないが、それでも3人の乗員は落ち込む。過去の戦車は4人乗員で、一人が砲弾の装填係だったが、ここでも人手不足があり、新規導入の戦車では大半が3人乗りとなっているそうだ。

戦車というと相手を制圧し、傷つける武器でもある訳ですが、昨今の世界を見ていると、このような防衛策も必要だと思わざるを得ない。国連などは、話し合いで解決するというのですが決してそんな甘い考えで、世界の平和統治が出来るとは思えない。勿論話し合いが必要だが、背景には政治力や経済力がいる。そうそう大きく言うと『影響力』が、世界統治には必要ではないですか。

このあと競技会場を出て駐屯地内で、隊員らと親しく交流が出来ました。90式戦車体験搭乗も、大きな声では言えませんが5人一組で9回、試乗4分でしたが初めての経験をさせていただきました。加えて最後に「おかわり席」があり、私が希望し改めて堪能しました。2度目はなんとなく視界が違います。違うモノが見えます。

ショートピッチの揺れが、何とも表現しにくい快感ですが最高スピードは70キロも出るそうですが、ここでは時速20キロ程度で折り返し、超信地旋回により方向転換して発進地に戻ります。1リッタ600mと言うからふかしすぎと思われがちですが、戦車は射撃後その場所を速く離れないと逆襲を食らいます。ディーゼルエンジンですが、ここで燃費を論議しても意味がないと思いました。

盛りだくさんな見学の次は、資料館見学。ここの館長は一人で管理説明をしているそうですが、北海道に3つある師団の存在をみても北海道が特別な場所であることがわかる。特に印象的だったのは、『日本の終戦はいつですか』という展示。1945(昭和20)年8月18日未明、日ソ不可侵条約を一方的に破棄して突如ソ連軍が対日参戦しました。

私も中学校の授業で、ソ連が北海道へ攻め込んで来たとは聞きましたが、先生もそのあたりはぼかしていました。「試験には出ない」が表向きの理由でしたが、触れたくないという教育委員会の意向も大きかったと思いました。だからアメリカ統治がよかったと主張する人がいるのですが、これは飛躍しすぎでしょう。

第7師団東千歳資料館の花田義将館長は、説明に命を懸けています。よく勉強されていて、冬は雪と戦っています。決して立派な建物ではありません。内容の充実の前に、建物の現状維持が先にあるほどに気の毒になりました。ここにも戦う自衛官がいます。このあとは香川県出身隊員へ、『さぬきうどん』の差入儀式をしてバスで札幌へ移動です。

私は2年前に食道ガンに侵され、それ以来断酒が続いています。それでも『ススキノ』へは行ってみたい。既知の平賀博さんにおねだりして、4人で行きました。電話したら寒い街頭まで、出迎えがあり田中裕美子ママの着物姿が横断歩道の向こうにありました。何とも素晴らしいママです。新型コロナウィルスの感染拡大に伴い営業自粛中も、「従業員の生活を守る」として営業を続けたとか。『原価チエーン』の経営者、サービス精神満載の道産子です。ありがとうございます。







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| 社長日記 | 07:56 AM | comments (0) | trackback (0) |
高松から羽田経由で新千歳空港へ入り北海道ボールパークまで行く
久しぶりのフライトですが、高松空港0630集合の団体旅行です。香川県防衛協会創立60周年記念の東千歳駐屯地及び千歳基地研修で、総勢42名でやって来ました。私は自衛隊大好きジイジイで、昨年でしたか同会に入会しました。従って研修は、初参加です。空港到着後、直ちにここ北海道日本ハムファイターズのホームグランド、北海道ボールパーク(エスコンフィールド)へやって来ました。

エスコンフィールドHOKKAIDO(エスコンフィールドほっかいどう)は、日本の北海道北広島市のFビレッジにある屋根開閉式の屋内型野球場です。プロ野球・北海道日本ハムファイターズが、2023年より本拠地として使用している。スタジアムを含めた北海道ボールパークFビレッジの一部を成し、パーク内に宿泊施設・商業施設・レストラン・マンションなどが建設されている。国内初だろう。

不動産屋としては、JR札幌駅からJR北広島駅まで約17分、駅からバスで約5分、ここを歩くと20分の所に北海道ボールパークFビレッジがあるのですが、日本一地価が高騰している所です。周辺に分譲マンションが建ち始めていますが、何と億ションだという。こんな所と言ったら叱られるが、街づくりが始まったばかり北広島市。にわかに信じられない話題地だが、今もマンション建設が続いている。

北海道ボールパークFビレッジの一角に、北海道ボールパーク(エスコンフィールド)があるのです。開閉式の球場内は、大谷翔平選手の活躍で最近見るようになったアメリカ大リーグの球場のようです。東京ドームが比較的新しい野球場だと思っていましたが、比べようもない。計算され尽くした球場で、イベント会場で野球をしている感じがします。確かホームベースとその後ろバックネットまでの距離が短すぎると、クレームがついていましたあの球場です。

今はシーズンも終わって閑散としているはずだが、日曜日という時間軸も影響していると思われるが、沢山の家族づれで賑わっている。予想する通り、駐車場に駐車している車が多い。公共交通網には、決して恵まれていない。ここであれば、JRの駅を横着け出来なかったのか。そう考えると、若者中心のクルマ街が出来ているのか。しかしボールパークFビレッジの施設だけで、果たして街づくりが出来るモノだろうか。

これまでの経緯を俯瞰してみれば2018年末、日本ハムはスタジアムの設計と詳細を発表した。収容客数3万5千人(座席数:2万9千席、立ち見等入場のみ:6千人)の野球場はアメリカ・テキサス州ダラスの設計事務所HKSが設計し、開閉式の屋根と天然芝を特長とする。2019年10月に日本ハムの子会社として設立された、株式会社ファイターズスポーツ&エンターテイメント (FSE) が所有・運営し、建設費は約600億円と発表された。

ちなみに『エスコンフィールド』はネーミングライツ命名権によるものであるが、他の球場とは異なり、命名権に基づかない正式名称は登録されていない。2020年1月、新球場を含めたボールパークエリア名は北海道ボールパークFビレッジ (HOKKAIDO BALLPARK F VILLAGE)、新球場は日本エスコンが取得した命名権によるエスコンフィールドHOKKAIDO (ES CON FIELD HOKKAIDO) とする、と発表された

球場は札幌市と争った北広島市が提案する36ヘクタールの広大な敷地に、競技場と周辺施設の両方を建設する案が優位となり、北広島市はこのほか、インフラ整備費の負担、日本ハムへ土地無償賃貸、球場その他の公園施設に対する固定資産税と都市計画税を10年間免除することで合意した。こうしてみると、北広島市の英断が勝利したと言えそうだ。

スタジアムツアーはベーシックツアーが大人2,300円。入場は無料だが、タワーイレブン(ダルビッシュ有の背番号)・ミュジアムのチケットは、800円。私の昼食代は、『ビーフプレート』1,380円とQooジュース380円。加えてプルコギ1,080円。私ひとりで約6,000円、野球場がらしくない新しいかたちで誕生した球場が、成長しています。

そうそう会場を退去しようとしていたその時、偶然ですが日本体育施設㈱の奥裕之さんとばったり。私は天然芝の養生でフィールド内に段差ができすぎていて、これでは試合にならないと思うと彼にいいました。奥裕之さん曰く「シーズン前に刈り込みをしたら問題ない」とのことでした。彼はフィールド管理のプロです。高松の屋島陸上競技場も、彼の自信作です。







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| 社長日記 | 10:06 PM | comments (0) | trackback (0) |
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