マキノ不動産開発の槇野正男会長が昨年11月10日に逝去され、本日2月19日14時から高松市三条町のベルモニー会館で、『お別れの会』が執り行われました。坊主なし宗派なし香典なしで、献花だけが行われました。ただその前に、村上彰社長(コロナ感染で立仙功代読)・中橋政彦高商柔道部OB会長と私めが弔辞を読み、不愉快になった参列者もいらっしゃったことでしょう。
私と槇野正男さんの間には、異業種から不動産業界に飛び込んだことと、母校が高松商業だという共通点がありました。槇野先輩は、警察官から不動産のそれもまったく未知の『建売住宅』を始めたと聞いております。長兄の槇野畳店の義夫社長のアドバイスから取り付いたとも聞きましたが、五十年が経過し、現社長に引き継ぐ前頃には、県下有数の『建売注文住宅のマキノ不動産開発株式会社』となっていました。
槇野先輩が不動産業界入りした動機は多くに聞いても分かりませんでしたが、「口下手なお前に出来るものか」という御尊父・槇野与一様との、共に柔道家としてのこだわりが背景にあって、10人兄弟の長兄義夫様の助言で決断されたのではあるまいか。何より流石高商卒業生、文武両道で、警察官の職務を全うしながら『宅建取引主任者』試験に合格していたことが人生を決めたのだろうかと考えます。
村上社長弔辞の中の『高松発、初めて注文住宅を凌駕する建売住宅』という言葉通り、新ジャンルを開拓し、人生一度のマイホーム購入者の声に真摯に耳を傾ける姿勢は、高松初であったと推察します。このような文言で入りましたが、弔辞とはどうしても沈みがちな文章になり、読み方も自然に暗くなります。今日は涙なく最後まで読めましたが、聴く側からすれば長い駄弁だったことでしょう。
今日初めて、一粒種の長男・槙野裕通さんと孫さんとも話しができました。故人妻・槙野栄子さんもお元気でした。享年78歳ですから若すぎます。弔辞を頼まれ話しを聞きたいと、不動産業界の先輩にも多く電話しましたが、県下若手の不動産仲間集団REG『香川県不動産同友会』総勢40数名の中の有志10人で始めた『物件情報コンピューターネットワークグループ』・『インフォテックAN』ですが、もう30年前のことですがその頃の10人中死亡が4人、入院が2人、不明1人、どうにか生き残っているのは僅か3人。ストレスからか、長くは生きられない業界のようです。
いずれ劣らぬ、酒豪が多い業界でもあります。私は2年半前に初期の食道ガンから救命され、以来断酒ですが一歩手前の予備軍でした。飲んで顔が赤くなるなどアルコール分解酵素の働きが弱い私などは、口内や食道の癌のリスクが非常に高くなるという公的報告があります。まさに、その通りでありました。今日は会場で久しぶりの人とも会談しましたが、商売の話しと暴飲暴食を慎み運動に勤しむ人がもう少し生きると意見が一致しました。
槙野正男様のご冥福をお祈りして、拙い弔辞をお詫び申しあげます。ありがとうございました。