■カレンダー■
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
<<前月 2024年05月 次月>>
■お問い合わせは■
松野不動産電話番号:087-888-0011
■過去ログ■
社長日記過去ログ
■メニュー■
松野不動産ホームページ
■管理者■
ADMIN ID:
ADMIN PW:
■新着記事■
■カテゴリー■
■月別アーカイブ■
■リンク■
■その他■
■来訪数■
合計: 2423725
今日: 1564
昨日: 7301

屋島四国村の讃岐手打ちうどんわら家からRNC・KSB両放送局
高松市の景勝地屋島の麓にある『讃岐手打ちうどんわら家』をネット検索してみると、「ざいごうどん 本家 わら家」で、1975年(昭和50年)に創業された老舗のうどん屋と書かれています。店舗は、古民家を改造し利用しており、屋根は昔のままで、見るだけで趣があります。店名になっている『ざいごうどん』は、田舎にいるという意味の「在郷(ざいごう)」という言葉がなまったものなので、田舎にいるような気持ちでうどんを食べてほしいという創業者・加藤達雄氏の想いがあります。

一方四国村は、香川県の屋島山麓にある野外博物館で、江戸時代から大正時代に建てられた33棟の建物を移築復元しています。四国村ミウゼアムと呼ばれるこの博物館は、住宅や作業小屋、寄合い所、芝居小屋、米倉、醤油醸造所などがあり、いずれも実際に人が住み、使ってきたものです。四季折々の豊かな自然を感じながら散策すると、鳥の声や滝の音に癒され、また現代人が失ってしまった何かにふと気づくかもしれません。四国村には、安藤忠雄氏設計の『四国村ギャラリー』や、古民家を改築したうどん店『四国村わら家』、神戸の異人館だった『四国村カフェ』など、多様な魅力を持つスポットが点在しています。

便利な世の中になりました、ネット検索で、私が説明しようとしたことが、余すことなく書かれています。数字だけ拾おうと検索したのですが、ご覧のようにプロが書いた説明で、私のそれより数倍分かりやすい。昔は本の中からこれらを探し出し、これを引用させてもらったものだが、今では数秒で欲しかった情報が手に入る。『会長日記』も、もう用なしかも知れません。無意味を感じたら、静かに消えることにしています。

さて四国村は次ぎの機会に紹介するとして、一角にある『わら家』ですが、今では『ざいごうどん 本家 わら家』の表示はありませんでした。標題のように、『讃岐手打ちうどんわら家』でした。オープンから47年経過で、私は開業当時の古いわら家を覚えています。東かがわ市引田の『かめびし屋醤油』を使い始めた頃で、社主の岡田国義とはその前にハム(アマチュア無線)仲間として面識がありました。あれからもう、半世紀が過ぎています。

屋島下山後、年内に一度行ってみたいと願っていましたが、店内は昔のおも影を残しながらリニューアルされて小綺麗になっていました。ここはシンプルに、『釜揚げうどん』だけのメニューです。サイズは大中小ありますが、ファミリー用『たらいうどん』が一番の人気商品で、5玉ぐらい入っています。つけだしは、1升徳利に入ってきて黒色の大口お猪口に取ります。お猪口は何個取っても良いので、3~4人で『たらいうどん』をシェアした方が安上がりだと以前から考えていました。

レジ係はこれでは商売にならないと、トッピングメニューを薦めます。結局私は釜揚げ小540と、とり天700を注文しました。両方で1,240円ですから、晴れの日でないと毎日は食べにくい価格帯です。観光客やサラリーマン出張客が多いのでしょうか。スーツネクタイ族も散見されます。昼が2千円で納まれば、添乗員さんは喜びますよね。大型バスも、来ていました。

うどんの味は昔ながらの味で、味変は感じませんでした。今ではこの付近でも牟礼町牟礼の『山田家』や牟礼町大町の『郷屋敷』などの大型うどん店も出来ましたが、ここわら家が観光客向けのうどん店の第1走者でした。カトーレック㈱の創業者である加藤達雄が屋島の麓に社員の第二の職場として、店の建屋として徳島県祖谷地方の古民家を移築し、うどん店「わら家」を開業しました。その際、加藤は古民家の美しさに魅了されるとともに、滅びゆく貴重な建築物の保存を考え、民家の収集を始めてやがて四国村に繋がります。

この先は蛇足ですが、私の知る限りの歴史を後世のために印しておきたい。私は歴史専門家ではなく、裏取りも不十分なところは否定しません。カトーレック㈱の創業者である加藤達雄氏は、先代加藤常太郎氏の娘婿さん。『四国村』建設には、政治力が大きく関係していると考えています。日本初の国立公園の一角に、建物を建設するのは素人目にも難しいことだと想像出来る。

加藤常太郎(加藤海運社長・参議院衆議院議員・元労働大臣・勲一等旭日大綬章)氏は、高松商から満州奉天の専門学校を卒業しています。海運業で大成功され、政治では神戸の海運王河本敏夫の『河本派』に所属し満州利権で度々登場する岸信介元首相の揮毫が、屋島水族館の入口にあります。単なる偶然かもしれません。

平井太郎(四国新聞社、RNC西日本放送社長)とは、小学校の同級生で、参議院議員になったのは一期早いが次の選挙で平井が当選。加藤は落選の憂き目に遭う。その後、衆議院議員に返り咲いたが、政敵の平井とは何かと因縁が深い。平井が地元に帰ると西日本放送が熱心に報じるのに対し、加藤はまともに取り上げられないことに業を煮やす。国会の逓信委員会に所属して委員長を務め、立法府における郵政・逓信族の実力者となり1967年(昭和42年)、郵政省にねじ込んでテレビ免許を獲得、KSB瀬戸内海放送を設立する。初代社長は弟、次は息子と加藤一族のテレビ局とすることを成功する。現社長の加藤宏一郎さんは、孫にあたります。

西日本放送は『日テレ系』、KSB瀬戸内海放送は『テレビ朝日系』と住み分けが出来て、1県1放送局の常識から中四国の瀬戸内海圏では香川2局岡山3局で落ち着いている。首都圏5キー局放送が流れているが、首都圏以外でこれほどまでの放送網を持つのは、この香川岡山圏だけ?私らは、日常生活から『リトルTOKYO』の中で暮らしています。









| http://nobuchin.0011.co.jp/index.php?e=6196 |
| 社長日記 | 09:15 AM | comments (0) | trackback (0) |

PAGE TOP ↑