お馴染みの高松栗林ライオンズクラブですが、今年7月から結成60周年の節目を迎えます。ここ3年ほど、新型コロナウィルスの感染拡大に伴い、例会も委員会理事会もリモートや持ち回りとか、これまでの50数年は何だったのかと見まがうばかりです。特に第58代L吉峰公博会長執行部の1年、そして第59代L橫井靖司の執行部は、コロナ禍から解放されて通年の年に戻る見込みでスタートしましたが、大変でした。
ライオンズクラブばかりではなく、非日常が当たり前になってしまった世界も多いでしょう。専門学校・短期大学は、コロナ禍以外何があったかわからないままの卒業もあったことでしょう。この先もすぐに改善するとも思えず、その中で組織の意義存在、その中での己の立ち位置を手探りながら見いだせなければ、本当にナッシングで終わってしまいます。
そんな鬱蒼として気分の中、コロナ前には松島小中校と高松栗林ライオンズクラブで、『ライオンズ少年農場』を運営していました。来期は60周年記念アクティビティーもあることから、農園は一年間封印すると今月14日に地主さんと合意し、15日(日)の牛窓クルージングの際にメンバーに報告したところでありました。
ところが17日(火)に緊急で、『ライオンズ少年農場』についての役員会が開催され、次期担当委員長である私は、地主さんとの交渉等の経過をあらためて報告しました。もちろん先の理事会で『一年間休止』という合意の上で、交渉に臨んだのでありました。その理事会でも、「おしまいは寂しいね」という意見も複数あり、継続に含みを残した交渉をしました。
それが17日の緊急役員会で、次期会長候補のL白石由美子から、「是非ライオンズ少年農場をやりたい」との意志表示があり、急遽23日(月)にL尾崎康宏(現三役会計)が農機具を現場に持ち込み耕すことが決まってしまいました。と言いながら21~22日は、現三役が複合地区年次大会で広島へ行ってしまいます。次期委員長の私は、大いに慌てました。
結果20日(金)にオイスカ四国研修センター(香川県綾川町)に依頼し、草刈りを頼みました。研修センター安部副所長が大型草刈り機を持ち込み、一反(300坪)弱の草刈りをやってくれました。そして21日(土)メンバーが集まり、刈草の始末など、耕作の準備を無事終えました。サツマイモ150本の手配も終わり、残りの心配は畝作りをどうするか、耕耘機にそのアタッチメントがついてない。困ったどうするか。
次の課題は残るモノの、これまでのドタバタ劇は日頃の付き合いで何とか解決しました。地主さんへも急転直下の展開を詫び、使用料等の話しは後回し、作付け後の水は隣の専業農家から拝借する話しもL喜多俊雄の努力でどうにか使えるようです。ライオンズクラブと子どもたちが、野菜作りに共に汗をかくというのは、ライオンズ綱領でも良しとされ、書き込まれています。
私は前三木町ライオンズ農場から携わっていますが、その後自分の畑でサツマイモ類の作付けをしていて、ライオンズ少年農場にまで手が回らず、死んだふりしていたのです。『ライオンズ少年農場』のこれまでのそれに、オイスカの海外研修生が加わる計画は、新しい展開を導きそうです。両組織は、互いに60年を迎えています。相乗効果を期待しています。