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石原慎太郎作家はなぜ政治家になったかby中島岳志
2019(平成31)年11月25日に、NHK出版から第1刷が発行されています。中島岳志氏は大学教授で、専門は日本近代政治思想。石原慎太郎氏の死去に伴い、いろいろなところから評論が出ています。確か新聞記事で拝読した先生で、面白そうな論調だったモノでその著書を取り寄せてみました。私は石原慎太郎に、心酔している者の一人ではありません。人気者を、むしろ冷ややかに見る側の人間であります。

確かに石原慎太郎氏は、一橋大学在学中の1955(昭和30保守合同で自由民主党が誕生した)年に『太陽の季節』を執筆、『文學界』7月号に発表。秋に文學界新人賞受賞、翌昭和31年1月、『太陽の季節』で第34回芥川賞受賞と、若くして作家として成功した。この成功が、彼の才能を『ごっこ遊び』に誘った皮肉なターニングポイントになったと中島岳志氏は評している。中途半端な人生が、石原慎太郎の幸であり不幸であった。

『太陽の季節』は、無恥と無倫理の物語として酷評を浴びたと言うが、その前に私はこの作品が、2歳年下の実弟・石原裕次郎のやんちゃ生活の一端をそのまま小説にしたという自身の告白から、彼の『着地しきれなさ』虚無を感じます。負けてはならない、例え弟でも、その意識が強すぎた。それは、早く世に出た作家の悲運でもあったと思うのです。テーマ性から、たまたま受賞したのかも知れない作品。

江藤淳、大江健三郎、三島由紀夫、曽野綾子、開高健、高橋和巳、谷川俊太郎、羽仁進、浅利慶太らそうそうたる作家文化人群の中で、確かに若くして燦然と輝いていたのは石原慎太郎だと思います。その後の作品を見たら、作家としての技量は石原慎太郎が最下位かもしれないが、とにかく彼は、時代の波に上手く乗って高く泳いだ。戦前の価値観や権威が急速に崩壊し、高校生の授業ボイコットが起こったりと、のちの60年安保につながる「下克上の風潮」が広がったのも戦後直ぐの時期でした。

権力や旧来のモラルに反抗するのが「かっこいい」とされ、その象徴となったのが、サングラスやアロハシャツというスタイルの『不良少年』達だった。石原のデビューは、有名作家に弟子入りして指導を仰ぎ、その推挙で文壇入りするといった、それまでの形とは全く異なった。誰の弟子になるでもなく、突然ぽんっと出てきて賞を取ってしまった。それ自体が、従来の封建的な社会集団が崩れてきていたことの象徴とも言える。そんな石原の立ち位置を中途半端と私が評したら、おどろおどろしいか。

作家として自分探しが出来なかったことから、国会議員の立場に救いを求めた。中途半端としか言いようがない。反面可哀想そうだ。そして国会議員生活25年間で、石原がやった功績と言えば成田空港への直通電車を通したことぐらいか。飽き足らず都知事に就任し、尖閣問題、築地市場移転、歌舞伎町浄化作戦など難問を俎上に載せた。ディーゼルエンジンの排気ガス対策では、先頭打者ホームランをかっ飛ばした。

石原の姿は、成熟しきれないでいる日本という国の『戦後』そのもののように思える。この日本の戦後を、石原慎太郎の人生がそのまま体現しているのではないか。成熟しない。臆面も無い。結局のところ、アメリカに依存し、アジアに対しては横柄な態度で接する。声高にナショナリズムを叫ぶ。着地しない。

文学的価値とは何か。政治家としての実績とは何か。そこに決定打はありません。突出した業績を問われると、これと言ったモノを上げることができない。しかし、日本人のほとんどが知っている人物。戦後を代表する人物。それが石原慎太郎です。若き石原が抱いた焦燥感やニヒリズムを乗り越えようとする意志は、よく理解出来るのですが。



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| 社長日記 | 09:15 AM | comments (0) | trackback (0) |
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