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太平洋戦争の戦緒真珠湾攻撃から80年の節目で考える
1941(昭和16)年12月8日(現地時間7日)、日本国海軍が米ハワイを奇襲し、太平洋戦争の戦端を開いた真珠湾攻撃から8日で80年となった。テレビでも特集が組まれ、その焦点は『なぜ日本国が戦争を始めたか』に集中している。国力の差、欧米各国の考え方からも、枢軸国・ドイツ・イタリア・日本が敵視されていたなか、どう考えても日本の勝機は見いだせない。最終決断は、12月1日の御前会議で開戦と決まったようだ。

その時の時代俯瞰が、テレビでも行われていた。最終的に判断したのは、昭和天皇はじめ、東條英機内閣構成員や過去に内閣総理大臣を務めた重臣らが寄り集まって慎重審議の後、「開戦やむなし」となった。その席にいたわけではない私がとやかく言うのもおかしいが、聞くところ読むところでは、積極的に戦争を声高に主張したモノは誰1人いなかった。

その当時の日本国内に流れていた『空気・風・雰囲気』が、つまり国民の総意が「開戦やむなし」をつくり出し、東條英機内閣もこの声に押しきられたという状況であったと総括されている。昭和16年から始まった日中戦争で、すでに陸軍は戦争をしていた。海軍が、アメリカへ向け戦端を開くかどうか。この時の蒋介石ら中国軍は、アメリカが日本との戦争に加担することを切に願っていた。もちろん日中戦争が、自国有利になるとふんでいた。

そのアメリカのルーズベルト大統領は、「アメリカの若者を戦争に参加させない」と主張して大統領に就任していた。ルーズベルトは戦争したら勝てるとふんでいたが、自ら戦端をひらくことは出来ない。それで『ハル・ノート』が日本へ突きつけられ、開戦に誰言うとはなく進んだ。その後の日本とアメリカの戦火は、多くの国民が知るところであります。

私も考えたのですが、「戦争反対」の声はその頃もありました。しかし無責任な『空気・風・雰囲気という世間の声』があったのも事実でしょう。国民の間には、元寇以来日本国は負けたことがないのであり、僅か0.1%の可能性にも神風で、神国日本に奇跡を起こしてくれると勝手に期待する。その結果が80年前の開戦であり、その後の悲惨な結果であります。このような世間の声に、これからも抗えるのだろうか。

この時期に不謹慎ですが、80年前に日本が戦争に踏み切らなかったとしたら、今頃の日本は中国は論外で、欧米諸国を大きくリードしてGNPも世界一、世界各国からも「あんたが大将」と言われていただろうか。歴史を語るのに『たら、れば』は禁句だと言われていますが、過ぎた過去を直視し、この先どうやって世界の中の日本でやっていくか考えざるを得ないと思います。

80年前に戦端を開いた日本とアメリカ。来年の思いやり予算(米軍が日本に駐留することに対する日本からのお礼)が、300億円追加になると報道されている。まるで極東の米国軍を日本が傭兵化しているように、私には思えるのです。2026年までに米軍は、日本から撤退とも言われています。アメリカ軍の駐留にもお金がかかりますが、いなくなっても、国防予算はもっと増えることでしょう。


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| 社長日記 | 09:54 AM | comments (0) | trackback (0) |
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