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日本史に学ぶマネーの論理by飯田泰之
あるテレビ番組のコメンテーターとして、発言を聞いた飯田泰之氏。面白いことを言うなと感心しながら経歴を見ると、『明治大学政治経済学部准教授』。加えて東京大学経済学部卒と、同大学院博士課程単位取得と書かれている。明治大のキャンバスも近年変わったと感じていましたが、教授・准教授の質と数が大きく向上しています。驚きました。

しかし本書の内容は私が期待した分野のモノではなくて、学術的で難しい内容でした。学生への研究教材もしくは、教科書として上梓したモノかも知れませんが、それであれば最適な教材であり、うまくまとめられたら、『優』間違いないでしょうね。2019年6月11日第1版第1刷ですから、『古代貨幣』から『仮想通貨』のことまで言及されています。

あとがきに、本書は貨幣の歴史を題材として、現代の貨幣、さらには未来の貨幣を考える論理の抽出を試みるとしている。歴史から経済学的な知見を導き、検証しています。逆に、経済的な知見によって歴史を解釈していない。これであると、ニーハーには面白いのだが。専門的なところは除くとします。私も今さら『優』をもらっても、学籍簿は変わらず第一面白くないですから。いつものように、面白い話題についてピックアップしてみたいと考えています。流石に資料豊富であります。

この本で議論している時代区分は、7世紀(古代律令制期)から19世紀(江戸期)。日本における貨幣誕生前史を語るにあたり、663年の『白村江(はくそんこう)の戦い』からスタートする。百済(ここではクダラではなくヒャクサイと読ませている)国滅亡後の復興運動において、唐・新羅(シンラ)連合軍と、倭国・百済残存勢力連合国の間で戦われた戦役の最終局面が『白村江(はくそんこう)の戦い』であります。学生時代に、聞いたことはあります。

軍容は倭国軍4万強・百済5千と伝えられており、主力はむしろ倭国軍であった。『日本書紀』に書かれていることから判断すれば、作戦らしい作戦もなく、勢い任せでバラバラに唐軍に突撃したら、瞬く間に壊滅した戦いであった。危機の倭国はこの後、統治システムの抜本的な改革を迫られる。その目指したモノが、中央集権国家の樹立であります。白村江の敗戦は、まさに『日本』の始まりだったという始まりです。

やはり面白くなるのは、江戸時代。17世紀前半から19世紀後半にかけて、260年の長きにわたって対外戦争はもとより、大きな内乱さえも経験せずに安定的な統治が続いた。安定的な政権の存在に支えられた農村・商工業の発展により、江戸後期において、日本は一人当たりの所得で、アジアでもっとも豊かな地域となった。

1804(文化元) 年の記録では、一膳飯屋(今日の居酒屋か)を含めた江戸市中の飲食店数は6,165軒と言われており、千人あたりの飲食店数は現在の東京23区よりも多い。「五歩に一楼、十歩に一閣みな飲食の店ならざるべし」という賑わいは、動力革命なしに到達し得る最大限の繁栄に、江戸の日本があったのではないか。江戸期を通じて、貿易と貨幣発行は幕府の経済運営の要でありました。

江戸幕府には、大きな強みがある。中世の政権とは異なり、経済関連の制度を一元的に掌握している。ここで、古代の皇朝十二銭を巡る議論を思い出して欲しい。直接の徴税権が及ばない地域・業種から広く税を集める方法が、貨幣発行益の活用である。さらに律令制国家の時代と異なり、貨幣経済は中世銭貨の普及を経て全国に広がっていく。かくして、江戸期の経済を考えるにあたって、貨幣政策、なかでも財政運営策としての貨幣改鋳(かいちゅう)が、大きな意味を持つことところとなる。

1688(貞享5)年に刊行された井原西鶴の『日本永代蔵』によれば、日雇いや行商で働く亭主の稼ぎについて、「一日の稼ぎは37文から38文、45文から50文」とある。仮に日当が40文だとすると年に300日働いて1万2000文。元禄初期の一両は4500文から4800文ほどであったため、2両2分から3分程度の年収となる。

また武家の下級奉公人である中間の年契約額も、1両2分から2両(ただし住居つき)程度であった。ちなみに、技能労働者である大工の日当は180文から200文。同じく年300日働くと12両ほどになる。賃金・所得との比較からすると、一両小判は現代の感覚では『百万円札』のようなもので、商取引や耐久財の購入といった場面以外ではそうは使われなかった。

昨日のBS鬼平犯科帳に登場した三両の賄賂は、大工の年収が2,000万円とすると、500万円ほどになるか。「おぬしも悪よな」となる額だ。



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| 社長日記 | 09:47 AM | comments (0) | trackback (0) |
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