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讃岐うどんの起源空海説に異論不易流行by岡原雄二
讃岐うどんに警鐘を鳴らす!「不易流行」の出版への熱い思いは、さぬき麺機㈱会長の岡原雄二氏によって、2020年1月に小松印刷から初版発行されています。編集は、㈱羽野編集事務所(代表取締役羽野茂雄・はねのしげお)が担当しています。羽野氏は明治大を卒業後、四国新聞記者の後、主に香川県にかかわる出版に尽力されています。

約1200年前に、空海がうどんの製法を中国から持ち帰ったとする説は、讃岐つながりで有名な、「空海」と「讃岐うどん」の両方をひっつけただけの結果で、間違いではないのかとさぬき麺機㈱会長の岡原雄二氏は、その著書の中で繰り返し言っています。氏は、「塩」の歴史から讃岐うどんの起源を探り、そのルーツは韓国の「カルグクス」ではないかと考えています。新説の登場で、面白くなってきました。

14世紀後半(欧州で黒死病=ペストが流行した頃。ペストも中国発生で、シルクロードを通ってベネティアへ入り、各国へ広がったと言われています。今の新型コロナウィルスと同じで、歴史は繰り返すようです)の室町時代から江戸時代にかけて、李氏朝鮮から日本に派遣された外交使節団の朝鮮通信使により、韓国の家庭料理として親しまれていた「カルグクス(カルは包丁・ククスは麺の意味)」が日本に伝えられたのではないかと。

確かに麺の発祥は中国かもしれませんが、小麦粉を使用した「粉食」として麺が現実に日本に伝わった、石臼(いしうす)も小麦粉も韓国から伝わったことからすると、中国ではなく韓国からとする説が現実的かもしれません。氏が韓国でカルグクスを初めて食べた時は、目から鱗で本場讃岐の「打ち込みうどん」そのものだったと書いています。

副題にもあるように、岡原雄二氏は塩の発祥存在が、讃岐うどんのそれからに大きく寄与していると考えています。塩づくりは、1200前の平安時代から始まり、大量に製造されるようになったのは17世紀の江戸中期(約300年前)、忠臣蔵主人公浅野内匠頭の兵庫県赤穂市で始まった「入浜式製塩方法」からです。

これは別の本でも読みましたが、高家吉良家が赤穂に隠密を送り込み、その隠密は捕まったモノの逃げ帰り、その情報で吉良の三河湾に「入浜式塩田」が作られたのです。それでも情報不足のためか、赤穂のような「良品」の塩が作れず、改めて「高家指南」の代わりに「秘伝書」を吉良が浅野内匠頭に求めたから「刃傷」に及んだという説もあります。

話がますます本題からそれますが、吉良家の三河湾の隣接が、弱小徳川家でした。徳川でも製塩づくりは行われていたようで、忠臣蔵ストーリー展開には徳川幕府が加勢したとも言われています。弱小徳川も、高家吉良にはいじめられていたというのです。「高家」というのは、歴代天皇家とつながりがあり、武士でありながら、公家との窓口になっていました。それが、代々世襲されていたわけです。

その後赤穂をはじめ、瀬戸内一円(約10カ国で製塩された)に塩の生産が高まり、その塩は1636(寛永13)年から始まる「北前船」で、東北から北海道に運ばれました。ちなみに、讃岐うどんの本場香川県の坂出の海岸に、入浜式塩田が出来たのは意外と遅く1829(文政12・約200年前)年であり、江戸時代後期に発明家・久米通賢により作られたのです。

日本で本格的に塩を量産できるようになった江戸時代に、「うどん」はようやく広がり始めたと岡原雄二氏は結論づけている。江戸時代、金比羅宮(香川県琴平町)の門前で、讃岐うどんを食べた参拝客が全国各地に伝える役目を果たした可能性があるという。

その後1959(昭和34)年からは、その10分の1の労力で2倍の生産能力を持った「流下式製塩」が始まり、その後の1965(昭和40)年に「イオン式交換膜製塩」により、大量生産の時代となり今日に至っています。塩化ナトリウム(化学式 NaCl で表されるナトリウムの塩化物である。 単に塩(しお)、あるいは食塩と呼ばれる場合も多いが、本来「食塩」は食用、医療用に調製された塩化ナトリウム製品(点滴やポカリスエット)を指す用語である)の登場です。

この塩と水の割合は昔から、「土三寒六常五杯(どさんかんろくつねごはい)」と言われて伝わっています。私もうどん職人の端くれで、これは知っています。「土三寒六常五杯」を実際に検証すると、夏場の暑い土用頃は塩1×水3=20.5度ボーメ(ボーメとは水銀が底に入った比重計量棒のこと)、冬の寒頃では塩1×水6=11.5ボーメ。讃岐うどんの場合、夏季で、小麦粉25㎏に5%(10度ボーメ)の塩は、1.25㎏~6%(12度ボーメ)では1.5㎏の塩の量になります。

平たく言うと、夏場は塩分が濃くて、冬場は塩分が薄いということ。正確には丸亀製麺のように、毎日各店でうどんを作る時、微妙に温度湿度を調整すれば、素人でも「美味いうどん」が作れる。そのレシピを、丸亀製麺は持っていると私は思っています。その時、さぬき麺機の機械を使えば(私も使った)、失敗なくうどんづくりの麺が完成です。

讃岐は、原料の小麦粉・塩に恵まれ、出汁のイリコや醤油も揃っていました。ほんの一部しか紹介で来ませんでした。宮脇書店で、1500円+税でお買い求め下さい。これは持って帰って、暇しているかみさんにも紹介したい。これなら、一気に読める。



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| 社長日記 | 09:09 AM | comments (0) | trackback (0) |
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