岩波書店から平成29年1月に、山田朗(あきら・明治大学文学部教授)氏が上梓した話題作です。私も買い求めて暫く、暖めていました。きっかけはなんと言っても、「昭和天皇実録」が宮内庁から随時刊行されたことです。まだすべてが、出尽くしたわけではありませんが、解説本が次々に世に出てきています。
2016年11月末現在、「昭和天皇実録」を検討対象・史料にして刊行された単行本はこの本以外に、13冊に及びます。日本のみならず、世界の歴史家が垂涎の的としている「昭和天皇実録」。山田朗氏も、その一人ですが、「昭和天皇実録」に記載されていることが全くその通りとは言っていない。そのために副題にあるように、残されたこと消されたことがあると書いている。
「実録」は、天皇・宮中を中心に描いた詳細な「昭和史目録」の機能を持っていて、歴史学研究にとってもその意義は大きいといえる。しかし天皇のお心は表出することがほとんどないが、天皇は、1937年の盧溝橋事件から始まった日中戦争について、陸軍をはじめ皆がその見通しを誤り、それが現在(1940年10月)まで響いているとわざわざ侍従武官がいない時に、宮中の側近に感想を漏らしている。
また実録では、天皇の発言を裏付ける資料「真田穣一郎少佐日記」があるにもかかわらず、また、そういった資料を確実に参照しているにもかかわらず、歴史叙述として採用されずに消されてしまっている。史料批判の結果、「真田穣一郎少佐日記」の当該箇所は採用しない、という判断は歴史叙述の常として当然あるだろう。
しかし、本書で検討するように「実録」においては、天皇の戦争・戦闘に対する積極的発言と見なされるものは、極めて系統的に消されてしまっているのである。あえて消されてしまっている部分があることは歴史叙述としては確かに問題があるが、そのことをもって「実録」の資料的価値が低いと断じてしまうのは早計だろう。
検証の仕方によっては、「実録」は、「植民地支配と侵略」や天皇の戦争指導といったことを考察する上での貴重な資料になり得ると考えられる。なぜならば、昭和天皇の「正史」としての「実録」に何がどのような観点で残され、そして何があえて消されたのかを検証することで、戦後70年以上経過した時点での<戦争の記憶>の<公的な継承>の到達点と問題点(欠落点)が見えてくるからである。
私は戦後処理などの、昭和天皇とGHQの葛藤の様子を期待していたのだが、1945年9月頃までの記録で終わってしまっている。続きを期待したい。