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稲盛和夫塾長お別れの会
盛和塾生には通い慣れた、盛和塾世界大会が行われた国立京都国際会館で28日(月)、京セラ創業者で8月24日死去した稲盛和夫名誉会長のお別れの会が行われた。午前は親交のあった著名人らが献花のために出席し、午後は一般参加者が参列した。京セラを今日までの企業に生み育て、KDDI設立や日本航空再建を手がけた戦後を代表する経営者の死を悼んだ。私は新型コロナ療養中で、何とも動けない。旧盛和塾生も、何人か集まったことだろう。

日航が経営破綻した2010年当時、国土交通相だった前原誠司氏(衆院京都2区)は、『日本航空の再建時は晩節を汚すリスクを負いながらも、日本を救おうという一心だった思う』と振り返った。稲盛和夫塾長は、日本は二大保守政党の政権のやり取りが活性化を生むとして、野党民主党政権に期待をしていた。自民党を出た小沢一郎氏も、神奈川県横浜市での世界大会には駆けつけて、講演をしていた。

稲盛和夫塾長も律儀な人で、非自民の実力者(当時)の一人だった小沢一郎氏に礼を尽くし、小沢一郎氏もまた『人たらし』で、稲盛和夫塾長にすりすりしていた時代であります。時の政府に異論を言うのは、経営者として当然リスクがある。それでも稲盛和夫塾長は、全国紙一面の意見広告をその就任前後に出していました。

あの時が自民党政権であれば、稲盛和夫塾長は、国土交通相前原誠司氏や再生機構からの依頼は受けていなかったと思う。過去には前原誠司氏の後援会長もやってという。民主党政権の仕事は、稲盛JAL会長就任と尖閣国有化の二つだけではなかっただろうか。とりわけ、JALの再建のトップは稲盛和夫塾長しかいなかったと思うし、それで日本経済も、航空行政もJALの従業員も救われた。

お別れの会は、『京セラ』『KDDI』『日本航空』『京都財団』の共催。喪主は金沢しのぶさん、今日の参加者は3100人だが、12月の開催時にはもう少し集まるように思います。JAL再生応援団は50万人でした。5千人の塾生が、100人の従業員家族関係者を巻き込んで、大応援を繰り広げました。盛和塾は2019年に解散しています。共催にはありませんが、元塾生はそんなことにはこだわりなく、各自が稲盛和夫を葬送しています。


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| 社長日記 | 10:53 AM | comments (0) | trackback (0) |
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