昨年の研修旅行は新型コロナウィルスの感染拡大に伴い、実施するかしないかの判断で、一喜一憂しながら結果中止となりました。満を持して本年、時期を2月から11月へ前倒しして、実施しました。行程は前回と同様、一泊二日で山陰へ出掛けました。高松をゆっくり出て、『出雲大社(一般的には「いづもたいしゃ」ですが、正式には「いづもおおやしろ」です。』を目指しますが、その前にもう昼食です。
『島根ワイナリー』での昼食でしたが、ここも過去に訪れたことがあります。創業36年とか言っていた通り、大きな変化は感じませんでしたが、ワインの試飲が以前来たときより盛りだくさんのように感じました。飲まなくなった男には、そう映ります。長崎島原の南風楼でも、ロビーでコーヒーやビールが宿泊者限定ですが、飲み放題となっていました。
そうそう時間を早まきしますが、本日の宿泊先は、『御宿野乃松江』。インバウンド(訪日外国人客)向けの、新しいタイプのホテル旅館です。ここでも個室の風呂はシャワールームのみ、11階の大浴場で風呂の提供をしています。男女湯を出たところに、大型のマンガ書棚とアイスクリームの無料提供、マッサージ機の無料利用もここでは15分程度自由に。何だかリニューアルした島原の南風楼と、新築の『御宿野乃松江』には通じるモノを感じます。
話を戻して『出雲大社』ですが、縁結びの神様としてつとに有名ですが、今月11月は神無月つまり日本全国の神様がここ出雲の地に集まってこれから日本をどうやって快適にするかの相談をすることから、神様がいなくなるのです。その神々が19日の『神等去出祭』で、それぞれの国へ帰ります。夕刻4時、出雲大社境内にある東西の十九社にあった神籬が、絹垣に囲まれて拝殿に移動されます。
拝殿の祭壇に2本の神籬、龍蛇、餅が供えられ祝詞が奏上されます。その後、1人の神官が本殿楼門に向かい門の扉を三度叩きつつ「お立ち~、お立ち~」と唱えます。この瞬間に神々は神籬を離れ出雲大社を去られます。出雲大社の神在祭が終わると、斐川町の万九千神社で直会(なおらい・宴会)をされた後、神々はそれぞれの国へお帰りになるといわれています。
神々はなぜ出雲に、なんのためにお集りになるのでしょう?大国主大神が天照大神に「国譲り」をなさったとき、「私の治めていますこの現世(うつしよ)の政事(まつりごと)は、皇孫(すめみま)あなたがお治めください。これからは、私は隠退して幽(かく)れたる神事を治めましょう」と申された記録があります。
この「幽れたる神事」とは、目には見えない縁を結ぶことであり、それを治めるということはその「幽れたる神事」について全国から神々をお迎えして会議をなさるのだという信仰がうまれたと考えられます。
もう一つ出雲では神在祭のとき、「神在餅(じんざいもち)」を振舞っていました。その「じんざい」が出雲弁(ずーずー弁)で訛って「ずんざい」、さらには「ぜんざい」となって、京都に伝わったといわれています。 ぜんざい発祥の地が出雲であるということが、江戸初期の文献、「祇園物語」や「梅村載筆」(林羅山・・・儒学者)、「雲陽誌」にも記載されています。
もう一つ、2礼4拍手1礼の参拝方法は特異です。一般的には「2礼2拍手1礼」ですが、出雲大社の正式な参拝作法は「2礼4拍手1礼」となります。ご本殿以外のご社殿をお参りの際にも、この作法にてご参拝下さい。 4拍手をする理由ですが、ここで最も大きな祭典は5月14日の例祭(勅祭)で、この時には8拍手をいたします。
数字の「8」は古くより無限の数を意味する数字で、8拍手は神様に対し限りない拍手をもってお讃えする作法です。ただし、8拍手は年に1度の例祭(勅祭)の時のみの作法としています。平素、日常的には半分の4拍手で神様をお讃えする4拍手の作法としていますが、お祈りお讃えするお心に差はありません。
出雲大社へ近づくとまず目に入る、大きくたなびく国旗の大きさはどの位か?掲揚塔の高さは47メートル。平安時代の御本殿の高さは48メートルと伝えられていますが、それよりも少し低く作ってあります。国旗の大きさは、13,6 m×9 m、畳75畳分の大きさです。何と言っても立派です。NHKテレビの放送開始映像は、たなびく国旗からですが、私はこの国旗掲揚台の映像だと信じています。
夕食は地元の居酒屋です。『隠岐の味鶴丸』のカニ料理コース、これを目当てに坂井家は3人の子どもさんが同伴。総勢30名も、満足してくれたようです。新しい団体旅行のカタチです。