島原ライオンズクラブの結成65周年記念式典が、6日(日)に南風楼で行われます。なのに前々日の金曜日、それも4時起床、JR高松駅発5:35マリンライナー4号から今日がスタートしました。岡山駅から山陽新幹線で博多まで、ここで在来線『みどり11号』に乗り換えて武雄温泉駅まで、ここからいよいよ長崎新幹線『かもめ』の搭乗。わずか20分少しで諫早駅到着。ここから島原鉄道で1時間、ここが島原駅であります。6時間半くらいかかりました。
過去には、岡山駅から九州新幹線『さくら』でダイレクト熊本まで、ここからフェリーで対岸の島原半島、60分程度で島原港へ到着したことがあります。今回は何としても長崎新幹線『かもめ』を、L山本純幹事が手配してくれました。部分開通(9月23日)で、博多からのアクセスがまだのようです。途中の佐賀バルーン駅では、バルーンフェスティバル会場風景を覗くことが出来ました。
これを見ると、ますます四国新幹線が欲しくなります。当然私が独占するわけでもありませんが、時間は代えがたい価値があります。それの対極にあるのが、島原鉄道です。わが街高松琴平電気鉄道のコトデンのような、ローカル線であります。コトコト走って、お昼前ですから高齢者が多く乗っています。交通系電子カード(スイカ等)は使えません。良いじゃないですか。
島原駅で、65周年実行委員長・山口隆司さんと事務局女史の出迎えを受け、昼食会場へ島原城へはたまた武家屋敷やコスモス畑、ジオと火山の体験ミュージアム『がまだすドーム』(雲仙岳災害記念館)へ。松尾錦二さんの車を借用し、高松からの4人を含めた6人で、快適に観光見物させてもらいました。私は何回か島原へ来ていますが、3人は初めて。高松を早く出た甲斐がありました。手配師・L山本純幹事に感謝。
昼食の『具雑煮』は、姫松屋本店(島原城内)で頂きました。L姫野英治が経営する老舗日本料理店で、市内に支店が幾つかあるようです。出汁が何とも表現しづらい美味で、昆布とさかな出汁かな。小さな白餅が、数個入っています。高松が逆にあん入り餅の白味噌だし、こちらが変なのですが、ここの『具雑煮』は一般的な日本雑煮の一つでしょう。
夜はプレ前夜祭、明日の前夜祭の前日祭です。出迎えは、平野嗣雄さん。確か35周年幹事をされていました。間をおかず、松尾錦二さんが酸素ボンベに引っ張られる感じで、やって来ました。病人だと言いながら、顔色はすこぶる良い。ゴルフが出来なくなったと言うから、それまでは酸素に引っ張られながらプレーしていたのか。驚くべきライオン、島原ライオンズクラブは今も100人のメンバーだという。
島原ライオンズクラブとのご縁は、1991(平成3)年普賢岳噴火火砕流発生で落ち込んでいる小学生を、第5回高松冬のまつりに招待するというアクティビティーを実行するため、当時幹事の私と前幹事平井大資さんの二人で、ここ島原へ乗り込んできたことから。あれからもう、30年が過ぎました。
その後の高松砂漠と言われ渇水に苦しんでいた1994(平成6)年の高松に、島原から吉田謙治さんと松尾錦二さんの二人が散水車を運転して来高された。1ヶ月ばかり毎日貯水槽へ、水を運びました。その散水車は、長男賢士と二人で熊本(サチ子の実家)経由で島原まで、散水車を返しに来ました。私が返せない恩は、息子よ頼むという思いから。ちなみに松尾錦二さんは、息子さんもライオンズメンバーです。
今日は二次会まで、松尾錦二さんの酸素量が赤色ゾーンに近づくというので、散会しました。「帰らない」という錦ちゃんを、私と山本幹事がタクシーで送りました。L白石由美子会長とL尾崎康宏は、明日のゴルフに備えて、一次会でホテルへ帰りました。こうして長い一日は、静かに終わりました。コスモスが大好きというL白石由美子、喜んでいました。島原のみなさん、ありがとうございます。