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週刊金曜日2012.10.19大震災から一年半の石巻魚市場
宮城県石巻市の宮本嘉二氏から、FAXが届きました。週刊金曜日という雑誌に高成田亨氏が書いた、「水産業の復興を妨げているものは何か」をコピーしたものです。石巻魚市場の社長から貰ったと、手書きのメモが添えられていました。(私が)いろいろなところへ行けて羨ましいとも書かれています。ゴメンな。

水産加工団地を後背地に抱え、震災前は全国でも五指に入る水揚げ量を誇っていた宮城県・石巻魚市場。競りも行われ加工工場も再開しつつあるが、関係者の間では先行きを危ぶむ声が強い。それはなぜか。

昨年7月から、旧市場に隣接する場所に仮設の市場を建て、取引を再開した。石巻の買受人は、仲買だけでなく、自分で水産加工業を営んでいる人も多い。被災者に、「最近は何をしているのか」を尋ねてみたら「ひまだから横流しみたいなことをたまにやっている」と答えた。買受人にとって仲介業(仲買)は正業のはずだが、加工業が本業の人にとって仲介は、「横流し」なのだ。

最終的には、水産省の漁港整備事業の一環でかさ上げ費用が出ることになり、多くの企業は元の場所での再開を決めた。ところが自力で再建した先行組は、盛り土の高さを抑えていたことから、団地全体のかさ上げ水準も低く設定されることになった。このため、周辺の道路よりも工場が低く、多くの工場が水はけのために排水ポンプを使うことになった。

政府の決断が遅れたため、工場の再開も遅れ、地盤のかさ上げも不十分というちぐはぐな結果になった。地元では、もっと早く政府が決断するか県や市町村に一括交付金のような形で裁量権のある資金が供与されていれば、再建も早くできたと悔やむ声は多い。

沖合底曳きが漁獲したイカなどの入札場で、買受人の宮本嘉二さんを見つけた。自前の加工場で、切り身などにして販売してきた。震災で工場は流されたが、別の場所で臨時の加工場を立ち上げ、営業を再開させた。今年は寿司ネタのサーモンなどになっているギンザケも扱ったという。海のなかにある養殖施設は(イケス)は津波で全滅、少しずつ復活しているが、8月で終わった今季は価格が震災前の半値となり、漁業者は復活の出鼻をくじかれた。

買い手がノルウェーのアトランティックサーモンやチリのギンザケなどを、すでに手当てしていたのと、放射能を心配して三陸の魚を敬遠する消費者心理が原因だという。高い放射能が検出された例はなく、漁業者にとっては「風評被害」を受けたことになる。

このため漁業者は、価格の下落部分を政府から補填されることになったが、これが価格の下落に追い打ちをかけたという。漁業者は市場の価格を見ながら、出荷を調整していたが、価格補填が決まってからは、出荷を急ぐ漁業者が増えたからだ。

宮本さんは元の場所に工場を再建中で、年末の操業を再開する予定だ。国の「グループ補助金」制度を利用するため、再建費用の75%の補助金が受けられるが、それでも冷凍・冷蔵の施設を持つ工場を再建するためには、大きな借金を背負う。

来年還暦を迎えるが、返済にはあと20年かかる。「ケンさんの精神だよ」。80歳を過ぎて主役を張る高倉健のことだった。高倉健は明治大学の先輩。無意識だろうが、宮本嘉二も絆を求めている。



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| 社長日記 | 08:37 AM | comments (0) | trackback (0) |

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