御陰様で、今年も無事に年の瀬を迎えることが出来ました。27日は社内大掃除、長く留め置いた団体の総会資料などを業者処理してくれると言うので、表紙やバインダーを丁寧にとって段ボールに入れて、ここからは若者に運んでもらいます。ここにいるのももう少しだけ、思い切って捨てました。若者の足手まといになってはいけません。昼は今年最後の『うどんの田』、なぜか社員数人に遭遇、考えることはよく似ています。
28日は、午前中に電力会社と丁々発止。アパートの空室に料金滞納があるから通電できないと言われるのですが、最近『債権回収会社(サービサー)』からの督促が届き、慌ててコンビニで支払いました。このネタは先に紹介しましたが、6月の美装使用分からの未納で、金額は6ヶ月で1,500円程度ですが、滞納期間が長くてサービサーに売られました。サービサー登場は、概ね6ヶ月が目安の期限です。
当然その前に電力会社から督促が来ていましたが、気がついて開封したら期限切れでコンビニの彼に諭される始末。最近はこのようにタチの悪い消費者に、電力会社も鉄拳を下します。債権回収会社に売り払って、縁を切ります。安く売りますが、差額は損金計上でチャラ。電力会社もサラ金化しています。長い電話の末入金の証明が出来たようで、最速3時間後の通電となりましたが、言わない人は少なくても今日の通電はありません。
29日は氏神さま『熊野神社』の参道清掃、来年は今年購入したチエンソーを使って新しい枝切り等をやってみたいと、まだまだ欲が多いですね。その後は仏生山コミュニティセンターで、商工振興会の抽選会の手伝い。年末大売り出しも、今年が最後かもしれません。大売り出しがなくなれば、当然抽選会もなくなりますよね。寂しさも予想できますが、自分の身体の可動領域不足を考えたら、それも致し方ないかな。
30日は近くの『日山(ひやま)』へ登ってみました。何十年ぶりの日山ですが、今年は途中の6月から元土地家屋調査士のK氏の主宰する『屋島組』に加えてもらって、月曜日には屋島登山をしていました。屋島組の年末休止に、地元里山の登山を試みてみました。そのあとは、墓掃除。正月用の花を、竜雲学園正月花特売場で購入してそのまま墓場へ。このタイミングでは、いつも以上に丁寧に草抜きも出来ます。
そしていよいよ大晦日は、『熊野神社』と仏生山町民の氏神さま『ちきり神社』へ挨拶。仏生山町は、地番の『甲』が『ちきり神社』の氏子、『乙』が『熊野神社』のそれになっています。勿論周辺の香川町も同じ滕神社、一方会社のある出作町も熊野神社となっていて、単独ではありません。神社があって、町制が後追いで出来て一つの町内が二つの神社に分かれているのは、他には例の少ないことです。戦前からの習わしと聞いていますが、私も年始には両神社へお参りしています。
そのあと大晦日恒例のすき焼き用肉を、前回畠山敏明先生宅へ運んで好評だったかわい先輩店の肉を自分用に求めました。お昼前には、ホテルパールガーデンへ。カメラマンの加世田和美(K-2Pro)さんが、公益財団法人オイスカ四国支部の収益向上策があるというので、ランチミーティング。帰りに予約していた『おせち』を受取、元L横関一也やL櫻井和臣(ホテルパールガーデン勤務)に挨拶して帰宅。昼は加世田さんにご馳になりました。
このようにして年の瀬を、忙しそうにすごしました。この時期になると、必ず『麺職人』だった頃を思いだします。これはいつまでも変わらないと思います。今となっては良い思い出ですが、母親や祖母には苦労をかけました。なおかみさんには、いまだに苦労をかけています。目覚めれば、恐らく新年を迎えています。大勢の皆さまに感謝し、年末最後の会長日記とさせていただきます。良い年をお迎え下さい。ありがとうございました。