こちらも新型コロナウィルスの感染拡大に伴い休止していましたが、29日4年ぶりに開催されました。善通寺駐屯地の元は、1898(明治31)年にここに置かれた『旧陸軍善通寺第11師団』。この頃、明治29年軍備再編として全国に6つの師団が置かれました。第7師団(旭川)、第8師団(弘前)、第9師団(金沢)、第10師団(姫路)、第12師団(小倉)であります。
歴史的背景は、明治政府が力点を置いた富国強兵策の第1歩として1871(明治4年)陸軍省創設、23年後の1894(明治27)年『日清戦争』翌28年三国干渉から、更に29年新たに6師団の創設決定。1904(明治37)年日露戦争、38年日本海海戦と続きます。
本日の観閲式から模擬戦闘訓練展示の間のナレーションでも、『善通寺』が駐屯地として選ばれた理由が語られていましたが、ハッキリとした理由は未だ不明と言われていましたが、先の6師団の駐屯地を見ても、県庁所在地でもなく、お城の周辺地でもなく、神の声で決まったとしか言いようがない。特に善通寺駐屯地初代師団長は、あの『乃木希典(のぎまれすけ)』であります。
かみさんが、乃木希典師団長が実際に使用していた建物を保存した『乃木館』の中を見たいというモノで、入ってみました。『明治天皇と乃木希典』と言われるように、ここでも明治天皇陛下との関係資料が数多く展示されています。また乃木大将と言えば、日露戦争における旅順攻囲戦の指揮や、明治天皇を慕い、あとを追って殉死したことでも知られる。最終階級は陸軍大将。栄典は贈正二位勲一等功一級伯爵。明治天皇より第10代学習院長に任じられ、迪宮裕仁親王の教育係も務めた。人々より「乃木大将」や「乃木将軍」と呼ばれて深く敬愛され、「乃木神社」や「乃木坂」にも名前を残している。
祝賀会食も行われましたが、弁当でした。会費が3000円、席には自衛隊幹部も同席していました。私の隣は『軍曹』の階級の北海道からの自衛官でしたが、どの位の位か失礼ながら聞いてみました。『ヒラ社員のトップ』との説明は、非常に分かりやすい。先の沖縄での自衛官殉職者の地位を聞いてみましたが、全自衛官のTOP10に入る人たちだったそうです。加えて副将も、かけがえのない自衛官ばかりだったようです。冥福をお祈りします。
善通寺辻村市長によれば、旧陸軍第11師団創設から125年、善通寺旧偕行社(公益財団法人偕行社は、日本の公益財団法人。大日本帝国陸軍元将校・士官候補生・将校生徒・軍属高等官および、陸上自衛隊・航空自衛隊元幹部の親睦組織)設立から120年。空海生誕1250年、市制70年。そして何よりも『国立善通寺こどもとおとなの病院』が開院から125年、善通寺駐屯地開設と同時です。