2023,11,19, Sunday
ランチョンセミナーとは聞き慣れない言葉ですが、ネット検索してみるとそもそも医療系の学会で、お昼にお弁当を食べながら発表や宣伝活動を聞くことを指すようです。一般的には、医療機器メーカーや医薬品メーカーがスポンサーとなり、壇上で話をする形式です。この時間には、参加者は食事をしながら話を聞きます。医療関係の学会では欠かせない要素であり、医師に売上を促進する機会を提供します。
今日のランチョンセミナーと題された小和田哲男先生の講義は、静岡大学名誉教授・小和田哲男先生ご講演&ホテルランチと言うべき記念イベントの一つと称した方が実態を良く表していると思います。話しを聞いたあとで、食事をします。タイトルは、『信長・秀吉・家康 戦国三英傑に学ぶ経営戦略』。戦国争乱に終止符を打った信長・秀吉・家康は他の戦国武将とどう違っていたのかを、経営戦略を切り口に見ていきます。 信長の情報戦略、秀吉の広報宣伝活動、そして家康の歴史を学び、歴史を経営に生かした戦略についての講義です。学生時代を思いだします。 2023年今年のNHK大河ドラマ、『どうする家康』の時代考証も担当する静岡大学名誉教授・小和田哲男先生ですが、1944年静岡市に生まれ早稲田大から静岡大学。公益財団法人日本城郭協会理事長、岐阜関ヶ原古戦場記念館館長。専門は日本中世史、特に戦国時代史。この先生の話を、この地で聴ける偶然。今回の大会の目玉だと考えて、楽しみにして参加しました。 まず織田信長に学ぶ 情報で勝つことが出来た桶狭間の戦い 信長はこれまでの常識だった武功(一番槍・服部小平太、首獲り毛利新助)よりも、桶狭間での今川軍の位置情報をもたらした簗田政網(やだなまさつぐ)を一番手柄と褒めた。常識の逆をいった信長だが、信長のインフラ整備、例えば川に橋を架ける、道を広げることで商人たちから『矢銭(やせん)』を徴収したりした。 また信長にとって撤退は早めのリセットで、『金ケ崎の退き口』から姉川の戦い。金ヶ崎の戦い(かねがさきのたたかい)は、戦国時代の1570年(元亀元年)に起きた、織田信長と朝倉義景との戦闘のひとつ。金ヶ崎の退き口(かねがさきののきくち)または金ヶ崎崩れとも呼ばれ、織田信長の撤退戦である。 次ぎに豊臣秀吉に学ぶ 秀吉が信長に抜擢されたのはなぜか 秀吉は元セールスマンで、行商体験が豊富、話し上手を戦略に取り入れた。一方秀吉は、失敗から改善点を見いだすことにたけていた。『播磨三木城攻めの失敗』は、秀吉の兵糧攻めの失敗。三木城には兵隊だけが留まり、日頃備蓄した兵糧でながく抵抗を続けた。反省した秀吉は、後年の因幡鳥取城攻めでは先に農家から米を相場より高く買い上げ、城に大勢の民を城に入れた。兵糧米がないところに人数が多かったために、早く降参することとなった。 また特筆される秀吉の広報宣伝活動 『惟任退治記(これとう)』は本能寺の変から山崎の戦いまでの流れを知る物語で、タイトルからわかるように、秀吉が石田光秀(「惟任」の姓を賜っていたので)を討伐するストーリー。『柴田合戦記』は、賤ヶ岳の戦いとその前後の事情、秀吉の大坂城築城などを記述する本。活躍をまとめた本を作って、会ったこともない東北大名にダイレクトメールするなど、自分の存在を広報宣伝活動で一生懸命喧伝した。 最後に徳川家康に学ぶ 人を生かして使った家康 適材適所の人事/三方原の敗北が家康を強くした/家康の身代わりとなって討ち死にした家臣たち 家康は先を走った先輩の失敗を教訓として修正しながら、天下統一。豊臣秀頼が6歳(幼少)だったことも、家康に味方した。 記念講演会は、『我が野球人生・川上憲伸』氏の講演でした。中高野球選手時代の話し、明治大学での野球まで、最後に星野仙一監督が登場し中日での野球を話していました。これまで聞いたことがなかった話でした。その後会場を戻して、楽しみの懇親会です。800名の参加で、立食ビッフェスタイル。壁面には、『ひつまぶし』『きしめん』などの名物が並んでいます。フーズロスがMCから喚起注意がありましたが、効果は残念ながらさほどなかったようです。 圧巻は、現役応援団チームが登壇。音楽隊、チアーガール隊と応援隊の3つが揃って応援団。これは迫力があり、見事でした。応援隊の中には女子がいましたが、ピンチの時の応援です。全身全霊、声を身体に被せて激しく上下します。女子も身体全体を折りながら、腰で手拍子で表現します。これには勇気をもらいました。『正調明大節』も登場、正調は卒業以来50年ぶり、至れり尽くせり。最後は校歌斉唱。こうして次の開催県『香川県』が紹介されました。 |
2023,11,18, Saturday
18日土曜日朝0720(正確には0708マリンライナー10号以降)から、高松駅から岡山への瀬戸大橋を通過する鉄道は強風のためすべて運転を中止し、早い便で1540のマリンライナー号から再開となりました。私も0708のマリンライナー10号に乗車予定で高松駅へ向かっていましたが、財布がないことに気づき、致し方なく引き返し結果0708便に乗車が出来ませんでした。
高松駅近の24時間パーキングで便利なところは、建設用地と変わり果て、想定内ですが似たような駐車場を探して3日分を支払みどりの窓口へ急ぎましたが、0708以降は1540まで瀬戸大橋線利用のマリンライナー42号(その他松山・高知からの列車も同じ)は運休と知らされました。宇高連絡船の時代は、台風などの強風は様子を見て運転開始でしたが、昨今は天気予報を精査し、開始時間をハッキリ決めて公表します。 強風のためにJRで足止めを食らうのは、30年ぶりぐらいですか。飛行機は比較的に欠航が多いのですが、多い分、警戒もして臨みます。今日は17時から名古屋マリオットホテルで、明治大学全国交友会大会の前夜祭が行われ、『香川県組』は来年の『香川大会』への案内に役員が出向くようになっています。仕切り直して、再度名古屋を目指します。 遅参した会場入り、当然前夜祭は始まっていました。受付には2つの名札が残されています。詫びて案内をしてもらい、指定席に座ります。いました香川の皆さまが。舞台では挨拶が終わり、寺澤ひろみさんのハーモニカ演奏が始まっていました。会場は開始から1時間経過ですが、最高潮です。ここは『名古屋マリオットアソシアホテル16階アゼリア』ですが、名古屋駅直結でありがたい。元盛和塾生の竹中右門さん、お別れの会があった会場です。 最後に全員が輪になり、校歌斉唱。地元の応援団OBが先導し、至福の時間であります。私は高校が高松商ですから、ここでも校歌は日常にあります。明治大学校歌も、児玉花外作詞・山田耕筰作曲で全国的にも知られたそれです。学部を卒業してないというつわもの(部活動に追われて)も、校歌だけは誰もが歌えます。 ここを出てチェックインのため予約ホテルをスマートフォン(スマホ)で探しながら、急ぎます。香川組の2次会へ行くモノもいますが、私は今日の誘いは遠慮し、ホテルへ急ぎます。駅周辺には多くのホテルが、林立しています。ここでも安そうな飲食店が、沢山の集客をしています。外からも見えます。楽しそうですね。 今日の前夜祭会場ですが、当然コンパニオンさんがいます。一人に聞くと、「明治のカラーが紫なので、いつもは赤色のスカートですが、今日は特別に紫で揃えました」というので、責任者へ確認しました。そのツケが次の香川へ回されたら大変だ(冗談です)。日本バンケットのヘッドチーフ小田浩子さんに確認したら、「何着かある中の1着」だそうで、出来すぎの演出に合点。 参加者一覧を見ると、北海道に斉藤伸一郎(50年政経)さんの名前がありました。徳島の島勝伸一(46年商)さんも名簿にあります。明日探してみます。明日も盛りだくさんの企画が、目白押しです。 |
2023,11,17, Friday
オイスカ四国支部高松推進協議会(小生が代表です)の2回目のゴルフコンペが17日、鮎滝CCで50人が参加して行われました。曇り雨のち晴れ午後から雨と、讃岐路では久しぶりの強い雨になりました。高知の早明浦はじめ、多くのダムや池が潤います。みなさま「絶好調」を口にしながら、流石に静かにスタートしていきます。
さてオイスカ四国支部ですが、9の推進協議会と香川青年会の十本の手足があります。最近の傾向として、会員増強と四国研修センター運営資金獲得にどの推進協議会とも知恵と汗を出しています。その総数900名に及び、大台の4桁に向けて理解者を増やしています。年間会費(個人)から半額の1万円が、海外からの研修生招致に使えます。20名の研修生を迎えられたら、四国研修センターは今以上に活性化します。 同時に新規人材獲得にも、資金がいります。職員・教員とも現地調達採用が原則です。『四国研修センター』は地元で、人も金も調達することが原則です。1996(平成8)年橋本行政改革頃から、政府補助金7億円がなくなり、オイスカの世界中の活動は、自炊した資金で賄うことになりこれまでの30年間でそれが定着して来ました。そのかわり会費は、『寄付金控除』の対象となり、払う側の実質負担は減りました。 もう一つの収入源は、寄付金です。個人からの寄付金が多いのですが、企業の労働組合からの寄付もあり、会費+寄付金で四国研修センターの運営費(本部負担金を除く)を賄っていますが、私は更に『収益金』が稼げるイベント参加や今日のチャリティーゴルフを考えて多くの協力者を集めています。 しかし今年は大名行列まつり(高松市仏生山町)もこのゴルフも2回目となり、伸び悩み期を迎えてしまいました。焦りにも似た空回りですが、これも成長の試練かと受け止め、静かに耐えています。今年も7名の研修生を迎えて、まもなく十ヶ月間の研修を終えます。ウズベキスタンからのジャンボは大学教授の地位確保のために致し方なく帰国しましたが、12月9日(土)が6名の研修終了式となります。 オイスカの人材育成は農業分野が対象と思われがちですが、海外研修生の受け入れの歴史は、工業分野の研修からスタートしました。1963年、フィリッピンのマプア工科大学からやってきた6名がオイスカの研修生第1期生です。研修生の数を増やせば、農業・工業・商業とより多くの専門性を学ぶ若者が来日出来ます。 全く同じだとは申しませんが、ブラジルの航空機メーカーであり、ブラジル最大の輸出企業で、世界第3位の旅客機メーカーでもあります『エンブラエル(EMBRAER)』は、日系人技術者が飛行機を飛ばしたそうです。農業大国と航空機生産のブラジルは、似ても似つかない相性ですが、航空機は日本人2世3世の業績と聞きました。可能性に期待し、海外研修生を来期もお呼びします。 オイスカは冬募金を始めております。会員様は会費で、非会員はチャリティー募金で協力下さい。ありがとうございます。 2023オイスカ冬募金<11/10~1/20> - 公益財団法人オイスカ (oisca.org) |
2023,11,16, Thursday
政府観光局が15日発表した推計によると、10月の訪日客は251万余人で、月別で新型コロナウィルス禍前だった19年水準を初めて超えた。円安と航空路線の運行再開が、寄与したとみられている。1~10月の合計は1989万人余りで、このまま推移すれば23年は2500万人に届くと見込まれる。観光旅行関連業者は、胸をなで降ろしていることだろう。
過日の京都、『四条河原町温泉空庭テラス京都』でも、外国人旅行者に多く出会った。特に23時過ぎの露天風呂は、ガタイの大きな外国人ばかりでありました。タクシードライバーは、「中国人が少ない」と話していましたが、何も中国人でなくても外国人が来てくれることは嬉しいことだ。京都という土地柄もあると思うのですが、外国人が新たな観光スポットを発掘してくれています。 TV報道は極端な事例を現代のトレンドとして報じるが、宿坊宿泊体験やら坐禅、また真言宗の寺の護摩炊きも見学地となっている。これまでのトレンドとは、明らかに違ってきている。外国人が「こんな良いところがある」と、われわれ日本人に教えてくれているようだ。日本人の常識を打ち破った『こと観光』に、彼らは日本の良いところを見だしてくれている。 問題はコロナ禍で職場を離れた従業員が、まだまだ職場復帰が出来ていないことだ。働ける環境が再構築されても、一度首を切られた職場はもう二度と嫌だという論理も、分からなくもない。だが国民が見聞してきたように、100年に一度の災害で経営者に大きな過失はない。千分万分の一の確立で、400人のホテル従業員の雇用を守り抜いたという経営者体験も聞いたが、それは稲盛哲学を十二分に学んだ塾生だから出来たことで、その他はほとんど一端解雇となった。 一端解雇して、状況が回復して再募集をかけても、それでも戻ってこないと経営者は嘆くが、それもやがては落ち着くだろうが、当座はミスマッチで大混乱だろう。日本人の若年労働者は、手厚い日本の福祉制度に依存し、失業保険金を受領した後は再就職をせずに、生活保護に頼るケースも散見される。交通事故死亡者数は1万人をはるかに下回っているが自殺者は3万人を下らない。心が病んでいる若者が増えている。 話しが飛びすぎたが、もっと多くの外国人訪日客が欲しいと言う欲望も理解できるが、このくらいで質の研究をする方向に観光行政をシフトした方が良いと私は思うのですが。足るを知る。落ち着いた対応が、必要ではありませんか。 |