かみさんからライン(携帯電話での文章のやり取りアプリ)に、「稲盛さんが亡くなりました。ネットで大騒ぎ」とTVの速報を伝えてきた。「え」私は思わず絶句、言葉が出ませんでした。ネットには、京セラとKDDIの創業者で、日本航空(JAL)の経営再建にも尽くした稲盛和夫(いなもり・かずお)さんが24日午前8時25分、老衰のため京都市内の自宅で死去した。90歳だった。葬儀は近親者を中心に執り行われた。後日、お別れの会を開く。喪主は、長女金沢しのぶさんとある。
稲盛和夫氏は、多方面からの知己が多いが、私には経営者の真剣道場・盛和塾の塾長です。稲盛和夫塾長の体調が悪いとは聞いていなかったモノで、驚きました。90歳ですか、かねてから私は塾長が生きた期間、真似して生きようと考えていました。1日1週一ヶ月、そして一年間塾長の寿命が延びれば、私もそれ以上生きると決めて、日暮らししていました。
残念ながら私も残り20年と決まったこの期間、生まれて来た時より少しはましな人間になって、魂の旅立ちを迎えるその日まで日々精進して生きていきます。私だけの塾長ではないのですが、2007(平成19)年今から15年前の55歳の時に、「肉声を聞くなら今しかない」と考えて盛和塾香川の門を叩きました。
入塾が許されて、それまで以上に本を読みビデオを拝見しました。そして年間5回ぐらい、国内64塾・海外10塾(当時は若干少ない)の中から選ばれた国内外の地区塾長例会の追っかけをしました。無駄とも思える時間を潰しての例会出席者の業績が存外良かったので、塾長も「また来たのか」という呆れ顔で温かく迎えて下さいました。
人間というモノは、『思い』で動くので、塾長例会で稲盛和夫塾長の講話を聞いて、思い描き一層元気を出して社業に励みます。次の塾長例会まで休まず働き、また塾長の話を聞いて、ポパイになった気分で会社へ帰ります。私は盛和塾が1983(昭和58)年7月に京都で『盛友塾』として25人で発足(稲盛和夫塾長51歳)してから24年後、塾長75歳の時に入塾したわけです。
入塾前から本とかビデオとか、自分なりに稲盛フィロソフィを勉強して入塾したつもりでしたが、肉声はやはり期待以上の効果を私に授けて下さいました。稲盛和夫塾長は当時でも多くの講演録を残していて、これで中小中堅企業経営の勉強は十二分にできます。しかしそれが血肉化するかしないか、そこが成功するか、またその成功が継続し進化発展するかどうかの分かれ目であります。
私は教えを乞うて経った15年ですが、生きている内に稲盛和夫塾長の肉声が聞けたことに感謝です。そして、塾長の周りに集まる『利他主義』のソウルメートにも出会えました。2010年に変形性頸椎症頸椎弓形成手術、つまり頸(首)のしまりから手先が痺れる症状の手術も、盛和塾生のアドバイスと援助のお陰で成功し、今もこうして元気に仕事が出来ています。
極めつけは、盛和塾機関誌を読み直して毎週、そこから感じたことをグループの仲間にメールで送る『機関誌マラソン』を継続しています。2周目ですが昨日のお題は、『人生について思うこと』。人間が生きていく上では①体の管理②頭の管理③心の管理があるという切り口に、感心しました。実に分かりやすいですね。体の管理ばかりでなく、心の管理が大切だと。前回もここを読んでいたのですが、2度目がより深い。
そして人生は『運命』という縦糸と『因果の法則』という横糸によって織りなされる布が綾をなして、それぞれの人生を作っているのではないか。ここに東洋哲学を広く世に説いた安岡正篤さんの『運命と立命』で、袁了凡の陰隲録が登場する。納得出来る話しです。善きことを思い、善きことをすればよき結果が現れる。またその逆もしかり。この因果の法則の横糸が、運命という縦糸より少しだけパワフルなのです。
決まっている運命も、善きことを思い、善きことをすればよき結果が現れるという因果の法則、これだとこれからの努力次第で自分の人生も善き方向へ変わるであろう。私はそう信じて、今週も機関誌マラソン第111号から感じたことを、10名ほどのグループソウルメイトへ発信したところでした。
その盛和塾は、新型コロナウィルスの感染拡大前の2019年12月に解散しています。COVID-19の感染拡大を予見したような、稲盛和夫塾長の英断でした。ご冥福をお祈りします。今からの20年間、魂の旅たちまで日々精進します。