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心と生き方稲盛和夫・KCCS実践経営講座
PHPから、標題の本が出ています。「心のあり方」「考え方」次第で、人生や仕事の結果を大きく変えられるという。これからの日本経済をリードする若い人へ、稲盛和夫塾長が贈る成功の哲学です。主な内容は、人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力/前向きで明るい考え方が人生を好転させる/災難をも感謝の念で受け止める。

善行、利他行が運命を好転させる/6つの精進で素晴らしい人生を/人生の目的は心を高めること/周囲の事象はすべてわが心の反映である/人はみな、利他の心を持っている/利己を抑えれば、利他の心が現れる/正しい判断を行うには勇気が必要/どうしてもこうありたいと強烈に願う/地味な努力を一歩一歩堅実に

前書きに戦後、日本経済は成長を続け、私たちは豊かな生活を享受できるようになりました。しかし、1990年代初めバブル経済が崩壊して以来、30年近く日本経済は低迷を続け、回復の兆しはまだ見いだせていません。その間、社会に出た若い方々は、日本経済がもう成長することはないとあきらめ、現状に満足してしまい、新たなことに挑戦することも少なくなっているように感じています。

私は稲盛和夫塾長信者の一人で、塾長の言うことは何でも素直に受け入れるのですが、そうでない人も当然います。それも考え方ですから、色々あっていいと思います。しかし明るく前向きな考え方が、すべてを解決するという現実も知ってもらいたい。この本では特に、西郷隆盛遺訓集の読みと解説があったので、ここに紹介しておきます。

西郷南洲遺訓集24番
道(みち)は天地自然の物にして、人は之(これ)を行うものなれば、天を敬(けい)するを目的とす。天は人も我も、同一に愛し給(たま)ふゆえ、我を愛する心を以て(もって)人を愛する也(なり)。

西郷南洲遺訓集25番
人を相手にせず天を相手にせよ。天を相手にして己を尽くし、人を咎め(とがめ)ず、我が誠(まこと)の足らざるを尋(たず)ぬべし。

西郷南洲遺訓集1番
廟堂(びょうどう)に立ちて、大政(たいせい)を為すは、天道を行うものなれば、些(ち)とも私(し)を挟(はさ)みては済(す)まぬもの也(なり)。いかにも心を公平に操(と)り、正道を踏み、広く賢人を選挙し、能(よ)く其(その)職(しょく)に任(た)ふる人を挙(あ)げて、政柄(せいへい)を執(と)らしむるは、即(すなわ)ち天意(てんい)也。夫(そ)れ故(ゆえ)真に賢人と認める以上は、直ちに我が職を、譲る程ならでは叶はぬものぞ。故(ゆえ)に何程国家に勲労(くんろう)有るとも、其の職に任(た)へぬ人を、官職を以て賞するは、善からぬことの第一也。官は其の人を選びて之を授け、功有る者には俸禄(ほうろく)を以て賞し、之を愛し置くものぞと申さるるに付き、然(しか)らば尚書(しょうしょ)仲虺之誥(ちゅうきのこう)に、「徳(とく)懋(さか)んなる官を懋(さか)んにし、功(こう)懋(さか)んなるは賞を懋(さか)んにす」と之れ有り、徳と官と相配し、功と賞と相対するは、此の義にて候(そうら)ひしやと請(せい)問(もん)せしに、翁(おう)、欣然(きんぜん)として、其(その)通(と)おりぞと申されき。

仮名をふっていてもなかなか読みづらい文章ですが、最初の遺訓から「敬天愛人」が出ていて、京セラ本社にもこれが掲げられている。天を敬い、人を愛す。この裏側には、決して自分を愛し(大切に思うこと)てはならないという警鐘があります。第二電電を作るときに稲盛和夫塾長は6ヶ月にわたり、「動機善やりや、私心なかりしか」と己に問い続けたと聞いています。




| http://nobuchin.0011.co.jp/index.php?e=4145 |
| 社長日記 | 11:16 AM | comments (1) | trackback (0) |
>明るく前向きな考え方が、すべてを解決するという現実も知ってもらいたい。

こういう言い方には危険性もあります。この対偶命題が「解決を得られないなら、考え方が明るく前向きではない」となるからです。たとえば、解決に時間がかかる問題を解いている最中、「解が得られないのは考え方が明るく前向きではないからだ」と反論のできない無料紙を利用して石を投げる塾生が現れます。

自力で登りきるしかない地点に来て初めて、問題を把握することがあります。明るいとか暗いとか、どっちを向いているかすらも手放した地点です。その地点で初めて人を相手にせずに天を相手にすることができる、というなら分かりますが、明らかに不正を働いている者の不正を指摘することが明るく前向きではないというならそれは違うと思います。

出来合いのものを日本へ輸出するような簡単な仕事で解決できることなどは最初から問題すらではありません。単なる経営ごっこだと思います。本当に日本のためにデザイン思考を紹介したいのなら、「あのシリコンバレーの有名企業も」、「あのスタンフォードの」といったバズワードを並べて煽るのではなく、最初からシリコンバレー流のデザイン思考と他のデザイン思考とは何が違うのかを明確にした上で、講座を販売すべきです。講師は日本人でもいいはずなんです。わざわざ外人の講師を呼んで講義をさせるのは、デザイン思考を明確化したいというのとは逆向きの、雰囲気売りの魔術化です。システックも気づかないといけません。どの辺がシリコンバレー流なのか?英語でそれを知る意味は何か?と。「英語でエクセルを学ぼう」というのと変わらない、という時代はすぐにやってくるのですから。

>人を相手にせず天を相手にせよ

これも言う相手を間違えると、人々が天を向いている水面下でやりたい放題するということが、起きます。
| お言葉を返すようですが | EMAIL | URL | 2018/05/20 04:14 PM | JRuz5hSw |


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