83歳とは随分早いなぁ惜しいなぁと思いながら、堺屋太一(本名・池口小太郎)さんの死に心より哀悼の意を表します。戦後第1次ベビーブーム世代を指す、「団塊の世代(1947(S22)-49(S24))の3年間」の名付け親で、通産官僚だった氏は、大阪博覧会や愛知万博、沖縄海洋博をプロデュースし、また小説を書くなど実に多彩な才に恵まれ、実践した人であると思います。
98年7月、橋本龍太郎総理が参議院選挙で惨敗した後の小渕恵三内閣で、民間人閣僚として経済企画庁長官に就任し、第2次森喜朗内閣の2000年12月まで努めた。堺屋太一氏の入閣時(30日)は、和歌山毒入りカレー事件 (25日)で世がさわぎ、同10月にはいまだに中四国一の販売量を誇る「ゆめタウン高松店」がオープンしている、あの頃の話しです。
在職中、タクシー運転手や居酒屋店主などに話を聞き、「街角の景況感」を探る景気ウォッチャー調査を始めた。昨今の日銀短観などで、「おやー」と思うことがあるが、堺屋太一氏のような市井の景気ウォッチャー調査をしていると、数字と実感が一致するように思い、また国民もそうだと納得するように思う。厚生労働省のみなさん、ここは原点回帰ですよ。
退官後はテレビの対談番組で司会を務めるなど、元NHKアナウンサー鈴木健二氏を彷彿とさせるが、幅広く活躍された。85年発表の「知価革命」では、ポスト工業化社会では知的財産が価値を持つとし、情報化社会論を先取りしている。この知価革命もそうだが、団塊の世代もある意味造語だが、この造語づくりの名人でもある。
私も気に入っている「団塊の世代」は、通産省の鉱山石炭局で覚えた「ノジュール」という鉱業用語の訳語だったことはよく知られている。出世作の「油断!」とともに、行政統計を駆使した官庁エコノミスト的な手法で日本の将来を的確に映し出した。
未来小説は官庁エコノミストの延長線上と理解できるとしても、NHK大河ドラマの原作にもなった「峠の群像」や「秀吉」「豊臣秀長-ある補佐役の生涯」といった歴史小説まで次々に手がけるとは、どんな秘訣があったのだろうか。
最後に平成23年今から8年前になりますが、財団法人不動産流通推進センター(当時は不動産流通近代化センター)が募集する、「不動産業者の地域を元気に!マスター」に「子どもたちに目の輝きを「高松冬のまつり」」で応募し、審査委員長の堺屋太一氏から表彰をされているのです。自慢げに書いていますが、堺屋太一さんという偉大な人と、ほんの少しだけ縁があったと言いたい。また、息子に叱責されるだろうな。