昭和37年8月25日が、父・茂の命日で、あれから60年になりました。仏教では50回忌は聞いたことがありますが、60回忌は一般的には言われておりません。最近叙勲祝賀会の人生70年ビデオの制作で、過去の写真などを引っ張り出しています。十数冊に渡るアルバムを解体し、新しい整理ジャンル毎に収納し直しています。将来誰が見るか分かりませんが、折角の機会ですから思う存分時間をかけて整理しています。
その中で、私の胸に刺さる写真の数枚が、37歳で夭折した父親に関するものです。私は10歳でしたが、その後の母親との生活は妹と祖母を含めて濃厚なモノでした。またこの状態が、あたりまえのように感じていました。恐れ多くも叙勲の栄に浴し、考えるのはもっぱら父親のことであります。
そんな折、今春の叙勲ですでに祝賀会を開催された高松商の先輩、樋口高良様から丁寧な詫び状と冊子を頂戴しました。『旭日単光章を受章して感謝感謝です』と題したモノです。詫びは、祝賀会に呼べなかったことが書かれています。この気持ちは今の私のモノと同じです。限られた中で、招待客を選び、またその返事に一喜一憂しています。対象者がおしなべて皆感じる、偽らざる葛藤だと思います。
その感謝感謝の中に、父・樋口佐一氏の旭日双光章受章(昭和58年11月3日)の記事など、佐一氏に関するモノが数多く収録されています。またとても驚いたのですが、平成20年7月20日実弟の樋口浩良氏の叙勲に関するモノがありました。この席には私もお呼ばれして、その日の会長日記に書きました。そのページもそのまま転用されていました。
こうして他人の受章の喜びをみてみると、私が叙勲を機に夭折した父親のことを思うのは、決して特別なことではなくて、みな一緒かなとあらためて感じております。先の小欄にも書きましたが、今日では母親のみならず父親の写真にも、毎日手を合わせております。私にとってこの70年間を振り返り、忘れていた大切な人を思い返す機会となりました。樋口さん以上の感謝感謝です。
60回忌と言って、何するモノでもありませんが、お盆法要も一区切りついて、静かになった墓所で一人新しい花を生けて、墓石の掃除をして蝋燭線香を上げるだけですが、一区切りついたな感じております。本来なら子々孫々集まって坊主の読経も必要かと思いますが、この酷暑の中、自分一人で濃密な時間を堪能しました。