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沖縄那覇市の首里城が未明に全焼
31日午前2時半ごろ、首里城から出火、木造3階建ての正殿が全焼するなど、主要7棟の合計4千㎡以上が燃え、約11時間後に鎮火した。私も、5時頃のNHKテレビ中継で、崩れ落ちる小屋組を見た。首里城は、那覇市の高台にある琉球時代の建物を再現したモノ。当時の建物は1925年に正殿が国宝指定されたが、太平洋戦争でその当時の建物はすべて焼失した。

92年に主要施設が復元され、2000年の九州・沖縄サミットでは北殿が、各国首脳の夕食会場となったこともある。また2000年には、首里城趾(国史跡)や今帰仁城趾(国史跡)、国王の陵墓である玉陵(国宝)など九つの構成遺産が、「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」として世界文化遺産に登録されている。

しかし復元なった正殿など新しい建物は、世界遺産から外れているため、建物外側に水の膜をつくり外部からの延焼を防ぐドレンチャーは整備されていたが、スプリンクラーなど建物内部の初期消火に役立つ防火施設は整備されていなかった。私などは、正殿を含めてすべてが世界遺産だと考えていたのだが。

私は45年前の1974年に、鹿児島から船で沖縄へ渡り、当然「守礼の門」へは行った。当時既に、沖縄県指定有形文化財となっていた「守礼の門」ではあったが、その先にはまだ建物はなかった。その後沖縄へは何度か足を運んでいるが、92年には正殿など建物整備がなされ、それでも正式に復元の完了は今年2月だったと聞いた。

出火の直前までイベントの準備で人が大勢いたようだが、正殿へ入った人はなく、施錠もされていたという。電気火災との噂も出ているが、原因究明と対応は専門家に任せるとしても、沖縄県民は一日も早い復興を目指し、クラウドファンディングを旗揚げしたらどうだろうか。政府に依存しても、震災復興中の熊本城など、先に手がけている案件を追い越すことは出来まい。

私もあの首里城だけは、何としても一日も早い再建を祈念する。琉球王国の象徴で、その時代があったからこそ、今の沖縄いまの日本があるのだ。首里城は、ノートルダム寺院がフランスのみならず、欧州人の心のよりどころだったように、沖縄だけでなく日本の象徴でもあると私は思う。もちろんクラウドファンディングが立ち上がれば、私も協力したい。


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| 社長日記 | 09:16 AM | comments (0) | trackback (0) |
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