讃岐のうどんを研究しているライター萬谷純哉さんが、私の実家松野製麺所の事を聞きに来られたことは、先の小欄で紹介した通りですが、その彼に香川県産干しうどんのルーツについて、逆に私が教えられたのですが、西讃・観音寺市の「高原うどん」が明治33年創業で最古参、それから遅れること6年、1902年(明治39年)創業合田照一商店のうどんが続きます。いずれにしても、100年前のことです。
こだわり性のライター萬谷純哉さんは、何とその両店の「讃岐うどん(乾麺)」を持ってきてくれました。確かに私の作っていた乾麺=干しうどんと、形状は同じです。食してみましたが、どちらの麺も美味しかったですね。かみさんも、一緒に乾麺を作っていたのですが、「美味しい」と言っておりました。
今では「生麺」とか「半生麺」がお土産品では、一歩リードしている感はありますが、讃岐のお土産麺は、干しうどんが主流でした。面白いことに「合田商店」は、200年近く前から、瀬戸内海と本州を繋ぐ帆船物流をしていました。当初から、日持ちのする産品が物流の中心だったことは、否めない事実だったと思います。
ライター萬谷純哉さんへのお礼の意味もあって、山田竹系著「随筆うどん・そば」を2階の書庫で探してみました。そこの17頁に、豊浜町姫浜の合田照一製麺所の社長・合田照一氏の話として書き綴っています。しかしそこには、創業が明治39年4月で最初に始めたとありますが、高原通商店のホームページには、明治33年1月創業と書かれています。
後先多少のずれがあったとしても、讃岐の乾麺のルーツはここ観音寺市豊浜町にあるのは間違いのないことのようです。67頁には「仏生山のうどん」についても触れられています。いずれにしても貴重な歴史本で、新聞記者だった山田竹系氏が足で書いた名著であります。
最近香川県宅建協会が50年、島原ライオンズクラブが60年、香川県不動産同友会が40年、横田めぐみさんが拉致から40年と続きますが、この本は昭和52年10月に発行されています。こちらも、40年です。彼にお礼として贈呈しようと思いましたが、「持っています」と言われてしまいました。恐るべし、ライター萬谷純哉さん。彼の取材力もさるもの、確かに足で稼いでいます。