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稲盛和夫氏の功績をしのぶ
このところ、稲盛和夫塾長に関係する話題が多くなっています。月並みでありますが、私が関係したところでの稲盛和夫という人の一面を、思い出と共に振り返って見たいと思います。昨日は高松商先輩の吉田勝昭氏今日は、日経新聞9月6日(火)の記事からヒントを得ています。そこには2010年に経営破綻した日本航空の再建に尽力した時のことが、日本航空会長・植木義晴氏の口から述べられています。

「いまのJALになるきっかけをつくったのが稲盛氏であることは、紛れもない事実だ」。「周りが反対する中で決断し、改革の先頭に立って頂いた」、植木義晴会長はそのように稲盛和夫塾長を評している。興味深いエピソードも記載されている。『安全性』に対する双方の意見の対立。

植木義晴会長が、「我々は公共交通を担っている。一番大切なのは安全。利益を出すのは難しい」と言った。稲盛和夫塾長は、「安全にはお金がかからないのか。そのお金は誰が払っているのだ」と植木義晴氏に問いかけた。植木義晴氏は言葉が出なかった。「お金は他人が払うんじゃない。自分が生み出す利益から生み出すんだ」。これが稲盛和夫塾長の答えだった。利益を出すことを実践を通じて徹底的に、たたき込まれた。

「幹部に対してはここまでやるのかという一番厳しい叱り方をする。会議が終わると立てなくなるくらい。皆が出ている会議で皆の前で叱る。でもそれは本物の情熱と愛情を持っての叱り方。稲盛氏の人徳だからこそ、ついていけた」。稲盛和夫塾長は、人たらしの名人とよく言われる。京セラもKDDI(au)もそしてJALも、もう一つ加えるなら盛和塾もそうだ。

どんなに叱られても、盛和塾生はまた次の塾長例会参加を目指して、四六時中頑張る。私も盛和塾を通じてではあるが、植木義晴氏を見てきた。稲盛和夫塾長が、再建JALの最初に社長に任命したのは大西賢社長。灘校から東大工学部を卒業後JALに入社した、誰もが認める超エリート。次がこの植木義晴氏となる。

植木義晴氏を、私は往年の銀幕のスター片岡千恵蔵の息子と紹介する。慶応大学卒業後に、パイロットの資格取得のため専門学校へ入る。稲盛和夫塾長は安全運航の象徴であるパイロット経験者を、次の社長に大抜擢した。植木義晴氏は気さくな方で、盛和塾世界大会(国立横浜国際会議場(パシフィコ横浜))で開催されたイベントにも頻繁に顔を出した。

当時盛和塾生『50万人JAL応援団』を結成し、JALの利用を経営者は勿論社員の皆さんにも推奨し、励ましのメモを渡した。盛和塾もJAL再生に少しは協力出来たと私も喜んでいる。そんな植木義晴氏が、稲盛和夫氏の功績をしのんでいる。





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| 社長日記 | 09:14 AM | comments (0) | trackback (0) |
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