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稲盛和夫氏追悼吉田勝昭氏からのメールを転載
吉田勝昭氏は、高松商の先輩。よくメールが届き、その内容が私の心に響く時、小欄で何度か転載させて頂いております。

35.稲盛和夫氏追悼
氏は2022年8月24日、90歳で亡くなった。「私の履歴書」に登場は‘01年3月の69歳の時でした。「経営の神様」と謳われた松下幸之助氏に次いで多くの経営者から敬愛を受けた方でした。氏は京セラを創業し、KDDIも創業、そしてJALの再建を成し遂げただけでなく、盛和塾で多くの経営者を育成し、そして私財200億円を拠出して京都賞を創設、世界の学術、科学、文化の振興に尽力された。氏の「私の履歴書」記載から経営の心構えの原点はどこにあるのかを考えてみました。それはきっとこの時点ではないかと想像するのです。それは次の箇所です。

1959年(昭和34年)、松風工業から行動を共にした同志8人で京都セラミツク(現・京セラ)を設立し、結束のため8名の血判状にも署名した。そしてわき目もふらずに働き続けて1年目から黒字決算を果たす。ところが創業3年目の1961年(昭和36年)、前の年に入った高卒社員11人が突然、「定期昇給とボーナス保証」の要求書を提出してきた。そして「この要求を認めてくれなければみんな辞めます」という。小さな会社であり、彼らのまじめな勤務ぶりは知っていた。就業時間は朝8時から午後4時45分となっていたが、実際には深夜まで残業が日常化していた。松風工業以来のメンバーは徹夜もいとわずという社員ばかりで時間の観念がなかった。ただ、中卒の社員は夜間高校に通うため定時に帰らせる。それが高卒になると、当然のように何時間でも上司に付き合わされ、時には日曜まで駆り出される。そんな不満が積み重なっていたようだ。

稲盛氏がいくら説得しても、「毎年の賃上げは何パーセント、ボーナスは何カ月と約束してくれなければ辞めるだけだ」と譲らない。そこで幹部とひざを突き合わせての交渉が3日間にも及んだ。氏は「来年の賃上げは何パーセントというのは簡単だ。でも実現できなければウソをつくことになる。いい加減なことは言いたくない」と誠意を込めて説得する。すると一人、そして一人とうなずき、最後に一人だけ残った。「男の意地だ」となお渋る一人に、「もし、お前を裏切ったら俺を刺し殺していい」と迫ると、氏の手を取って泣き出した。この時、氏は初めて会社責任の重さと経営責任の永続性に気付いたのだった。それを次のように書いている。

そもそも創業の狙いは自分の技術を世に問うことであった。この反乱に出会って私の考えは大きく変わった。こんなささやかな会社でも、若い社員は一生を託そうとしている。田舎の両親の面倒をろくにみられんのに、社員の面倒は一生みなくてはいけない。これが会社を経営するということなのか。この体験からこんな経営理念を掲げるようになった。「全従業員の物心両面の幸福を追求する」。私の理想実現を目指した会社から全社員の会社になった。生涯かけて追及する理念として、この後にこう付け加えた。「人類、社会の進歩発展に貢献すること」と。

この5年後の1966(S41)年に稲盛氏は社長に就任されるが、その間「全従業員の物心両面の幸福を追求する」の経営理念はゆるがない。これがのちに「京セラフィロソフィー集」に結実する。「人間として何が正しいのかで判断する」「公正、公平、誠意、正義、勇気、愛情、謙虚な心を大切にする」「利他の心」などを決めた。その後もKDDIなど新しい事業に取り組む前に、「国民の利益のためにという使命感に一点の曇りもないか」「動機善なりや、私心なかりしか」を自分に厳しく問い詰めて着手し、多くの人の支持や協力を得て、事業成功に導いたのでした。最近の著書「心。」をサンマーク出版から出された。「すべては“心”に始まり、”心“に終わる」という見出しで、いまでも「人生は心の持ち方が一番大切」と最重要視されている方でした。「虎は死して皮を残す」と言われますが、氏が亡くなっても、人財が残り、京都賞が残されています。経営者だけでなく、科学者、芸術家、アスリートなど多くの人から敬愛され、惜しまれた別れでした。2022/09/04

吉田勝昭
携帯電話:090-4014-1990
e-mail:yoshidamt@nifty.com
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(毎月更新しています)



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