京セラの設立に尽力し、その後の20年を見守ってきた青山政次(社長・会長歴任)さんが、昭和62年3月30日に初版上梓したものを、35年ぶりに孫の青山敦(立命館大学大学院教授)さんが復刊の許可を与え、9月21日(水)に京都で行われた大会主催者・心を高める経営を伸ばす世界大会連絡事務局が第2版として、増刷したものです。残念ながら当日会場で配られたモノで、書店には並んでいません。
稲盛和夫塾長の回想録でも度々登場する青山政次さん、昭和30年4月に『松風工業㈱』に入社した稲盛和夫氏の上司に当たります。青山政次さんは前年昭和29年に、松風工業に再入社(42歳頃)されて取締役をされていました。鹿児島から京都へ来た、稲盛和夫を間近に見てきた人です。その後上司と衝突し松風工業㈱を退社する稲盛和夫について退社し、昭和34年の京都セラミック設立に一肌脱いだ御仁です。
これまで稲盛和夫氏が書いた書籍類は数多くあり、旧盛和塾生は、このあたりの出来事は、成功した稲盛和夫のスタート地点として、関心を持って知ろうとしていました。しかしこの本のように、側面から第三者的にまとめたモノはありません。それは私が知らないだけかもしれませんが、旧盛和塾生のネットワークでも存在しません。
加えて昭和62年当時の初版の存在も、知りませんでした。その内容は、600ページにも及ぶ大作で、頂いてからすぐ読み始めて今に至り、恥ずかしながらまだゴールしていません。知っている、聞いたことがある内容ですから比較的どんどん進みますが、持ち歩きに不便で、過日の栃木国体へも持参できませんでした。勝ち進むことを考慮し、着替えが場所を占拠していました。
内容を詳述することは叶わず、青山政次氏の前書きから拾ってみますが、「しかし新社長の人選を誤り私(青山政次)も稲盛も退社するのやむなきに至り、昭和三十四年京都セラミツク㈱を設立した。数年後に松風は倒産し、京セラはどんどんと発展し続けた。(中略)それ以来私は稲盛と行を共にした。稲盛が松風にいた四年間にしたいろいろな事柄を見るとき、大学出たての秀才というだけでは到底成し遂げられるモノでないことを知った。
更に京セラを設立してわずか7年後にして早くも世界的なニューセラミックメーカーにまで成長せしめた素晴らしさに驚き、いかにかくまで成し遂げ得たかをこと細かに書き残し従業員の皆様や世の人々に伝えたいと念願した」。以上が青山政次氏の前書きの一節であります。青山政次さんは明治35年姫路に生まれ、京都帝国大学工学部を卒業し、松風工業に入社し、20年後退社されて、昭和29年再入社されています。