2021,02,10, Wednesday
加ト吉の流れをくむテーブルマーク(東京)は9日、県内の6工場のうち3工場を10月で閉鎖すると発表した。『エライこっちゃ』というのが、報道を聞いたときの私の感想です。西讃の観音寺市のファミリーレストランへ入ると、奥にたむろしているのは冷凍食品関連企業で働く外国人労働者と思われる若者たち。
閉鎖は生産体制の再編成の一環で、築後50年を経過する本社や工場の機能を集約するモノで、当然と言えばそうとも取れるが、閉鎖3工場で働く従業員は計276人で、周辺にある協力業者などで働く従業員の数は計り知れない。私が心配するのは、工事集約で働く人の雇用がなくなるまたは制約されることであります。 同社は『日本たばこ産業』が、株式公開買付により『加ト吉』を子会社化して2008年1月に設立されています。『加ト吉』の子会社化もその当時、大変驚いたことを覚えています。加ト吉は4月24日、弁護士らによる外部調査委員会がまとめた循環取引の調査報告書を公表。加ト吉の水産管理部と東京特販部、子会社の加ト吉水産について過去6年間で、合計約984億円分の売上高が水増しされていることが明らかになった。 ただし、循環取引はあくまで高須稔・元常務(68)の「独断」と結論付けた。高須氏は創業期からの最古参幹部で、「大番頭」と呼ばれた人物。1,000億円近い取引を「たったひとり」でやるとは、まさに神業というほかはないが、責任を一人で被り「会社ぐるみではない」という点を守りたかったのだろう。 6年間に1,000億円の循環取引を行っていた加ト吉は、総額約150億円の損失を出した。報告書は「社長のワンマン経営と同族経営の弊害」と指摘し、「取締役や従業員が社長に意見することがなかった」と結論付けた。超ワンマンの加藤氏は“裸の王様”になっていた。波瀾万丈の人生を歩んできた加藤氏は、最後の最後につまずいた。その後9月に、米国でリーマンショックが発生。 2008年、このサブプライムローンが不良債権化することにより、世界中で売りさばかれたデリバティブ商品が大暴落、こうした商品を大量に抱えていた金融機関が次々と倒産した。これがリーマンショックである。加ト吉問題は、2008(平成20)年のリーマ・ショック前のことだが、『ミニバブル化』していたところがあったのかも知れない。 東讃の手袋産業に対して、西讃の水産加工冷凍事業は、加ト吉後も順調に発展していたように思っていました。栄枯盛衰、いつまでもそのまま続くモノではありませんが、本社工場で製造する『お好み焼き』と多度津工場の『お好み焼き』は高速道路脇に新たに建設された中央工場に、善通寺工場のうどんは綾上工場に移される。 |