2024,03,12, Tuesday
米映画界最大の祭典、第96回アカデミー賞の発表・授賞式が10日、ハリウッドで開かれ、『君たちはどう生きるか(宮崎駿監督)』は長編アニメーション賞、『ゴジラ-1.0(マイナスワン)山崎貴監督』が視覚効果賞をそれぞれ受賞した。小欄は旬ネタ、小ネタ、ローカルネタを扱っております。しかし日本人の矜恃を、記しておかねばならないとも考える。詳細はマスコミ報道でどうぞ。
私は同じく新聞報道の、「アマゾンがふるさと納税に参入」すると言うネタに飛びつく。アマゾンは、過去には本屋さんだと考えていましたが、今は田舎にも昔あった『よろずや=金物屋』のイメージです。欲しいものが何でも揃っているあの店の感覚です。釘にしても、長短は勿論太細やねじを切っているモノまで揃っていて、ばら売り(欲しい量だけ)してくれていました。 インターネット通販最大手アマゾンジャパンが来年3月にも、ふるさと納税の仲介業務に参入する方向で準備を進めていることが11日、自治体関係者への取材で判明したと報じられています。仲介手数料を一定期間引き下げるプランを用意して自治体に参加を呼びかけており、サービスや手数料を巡って既存の他サイトとの競争が激化しそうだ。 仲介市場は、『ふるなび』など大手4社がシエアの大半を占めているという。手数料が10%超のサイトもあるなど高止まりしており、アマゾンの参入によって構図が崩れれば、他サイトの手数料引き下げにつながるとの期待も出ている。アマゾンの参入は、マーケットキラーとなり得ると私は考えます。プラスかマイナスかは、分かりません。 そもそも『ふるさと納税』は、国内の総税金を各自治体で奪い合う構図で、俯瞰してみれば自治体はサイト運営者に手数料を支払い、『返礼品』をプラスして出費していることになります。確かに人口の多い自治体に税金が多く集まり、過疎や限界集落に税金が集まらない現状はよく分かります。自治体関係者は、創意工夫でこれまで以上の税金がぶんどれる。税を産みだしているという感覚は、危険だ。 『ふるさと納税』は、本来的には返礼品なしが本旨でしょうが、バックボーンは正義でも、入口は損得感情が成功の秘訣のように思います。産みの親は菅義偉元首相だと言われていますが、大きく育ったモノだと感心します。私も使っています。ふるさと納税の制度で、母校への寄付が出来るようになればいい。 各都道府県市町村に、『教育』のために使って下さいとふるさと納税することがあります。その下に、まずは公立高校の引出を作る。どうだろう、母校への寄付で『返礼品』を求めますか。拡大すれば、中学校でも小学校でも可。私立学校も成り立つのではないでしょうか。 |
2024,03,10, Sunday
久しぶりのライオンズ農場です。前回の収穫は昨秋、サツマイモが沢山獲れました。今回の計画は、ジャガイモ2千個の種芋を植え付けて1千㎏の収穫を目論んでいます。耕作面積が300坪あるから大部分を使ってコスパーを上げようという考えです。事前にL尾崎康宏が、乗用トラクターでほぼ全面を使います。指揮はL佐久間勝、会長のL那須雅人も一兵卒で働いています。
今日のアクティビティにはメンバー13名、家族や友だちこども孫まで9名が参加してくれています。耕作面積が広くなると作付けが増えて、その分人が必要になります。L佐久間勝の指揮の下、まずマルチをかけます。ひとむね50メ-トルあるようですが、マルチの穴の間隔が30センチ、つまり1メ-トルのシート幅に二つの穴があいています。 種芋は『ライオンズ農場』の隣にある『ダイキ』で購入し、開店と同時にもらいに行きましたが、L尾崎康宏に言わせると「店頭見本より大きい」かったようで、その分だけ数が少ない。私的には種芋は半分のサイズでもいいように思いましたが、それには事前の準備がいります。私も非農家ですが、ユーチューブを先生として勉強しながらの知識ですが、事前に種芋を二つに割り、灰をつけて少し乾かせて植え付けました。自分の畑は、こうしました。 今から急に半分にする訳にもいかず、若干の追加購入で粗々とほぼ全面積に植え付けを終えました。予想通り植え付けのスクワット(座っては立てるの繰り返し)は、じじいには堪えました。次ぎに芽かぎをする時は、椅子が必需品です。一つ気になっていることは、畝を立てていないことです。耕耘はL尾崎康宏が丁寧にやってくれていますが、畝ができません。 これだけの面積になると、人海戦術でも畝づくりは難しい。無くても良いという意見と、どうしても必要だと言う意見など入り交じって喧々囂々、結果畝なしで通しました。ここが、次ぎからの課題かと思います。収穫量などを検証し、必要であれば次の一手を考えなければなりませんが、まあとりあえず今年は経過を見ていきます。船頭が多くても、船が遭難します。 収穫量が1トンになれば、これまでのように高松第一小学校子ども会だけでなく新規に『こども食堂』へ配ると言いますが、豊作になっても怖いモノがあります。とりあえず予定通り着床したら、芽カキや草抜きが待っています。私は自分の畑もあることから、泥縄式ですがユーチューブを注視しながら、両方が収穫まで辿りつけたらと願っています。 |
2024,03,09, Saturday
日本人の乗った『日本丸』はレーダーが弱い。起きるとわかっていても、最悪の事態について考えることをやめてしまう。日本人は、起きて困ることを直視せず、とりあえず目先のことをやる、几帳面で、真面目で、一面困った人たちである。帯にそのように書かれています。2013年3月第1刷発行、私が読んだのが第4刷、2023年3月に朝日新聞出版から出た朝日新書の1冊。
国際日本文化研究センターの磯田道史教授は、1970(昭和45)年岡山県生まれの54歳。慶応大学大学院卒で、NHKテレビにもよく出てくる歴史家です。話しぶりには『温故知新』の考え方が徹底されていて、古文書(歴史書)を読んで今に役立てようとしている感じがし、私は好きなタイプの知識人だとみています。年のわりに若く見えて、学者らしい屁理屈が今風で面白い。 中身は解説書をご覧頂くとして、歴史研究者として、長期的に日本の歴史を見ていると、日本人は外部から大きな変化の波をうけると、変わりやすい。また政権の中枢が変わって本気になってトップダウンで改革命令が出ると、改革がとても効率的になりますとの下りは同感であります。アメリカからも独立し、日本独自の内政外交路線をさらに懸命に歩いてもらいたい。 またリテラシー(識字率)について、興味深い記述があります。『伊賀忍者の真実』で触れているのですが、明治15年の滋賀県の女性の識字率は5割で非常に高く、男性は9割に至っています。同時期の鹿児島県は滋賀県に比べていたって低く、男性で読み書きのできたのは3割ほど、女性は5%前後の状態でした。伊賀忍者の生い立ちも興味がありますが、『近江商人』がここの出身です。 日本が明治以降すばやく近代化ができたのは、識字率が高く、知的な国民だからとよくいわれていますが、実は全国均一に識字率が高いわけではなかったのです。明治前期までの日本では、識字率は京都の周辺と、東海・瀬戸内が非常に高く、東日本や東北・南九州は低かったのです。民がさぼっていたわけではなく、必要がなかったのです。 いまでもヨーロッパのEU諸国で所得の高いのは、かつて識字率が高かった諸国です。1850年頃、すなわち160年前の識字率の高低がそのまま経済格差となって、今日まで続いています。おそらく1600年から1900年までの300年の間、地球上では北欧を除けば甲賀もそうですが、京都周辺が最も民衆の識字率が高い農村です。このあたりは東アジアのなかでも、いちばん読み書きのできる人たちが暮らしていました。 ヨーロッパでは、北西へ行くほど識字率が高くなります。南東へ行くほど低くなります。なぜかというと、北欧など北西ヨーロッパはプロテスタントで、自分で聖書を読まなければならないからです。ところが南のスペイン・イタリアでは農奴制が強く残っているうえ、カトリックで教会の権威も強かったのです。 大袈裟に言えば、教会に聖書が1冊置いてあるだけで、神父様の言うことを聞いておれば天国に行ける。プロテスタントほどには、印刷された聖書を読む必要がなかったと言われています。また東ヨーロッパの方へ行くと、ギリシャ正教の地域も、同じように教会の権威が強く、農奴制が残存していましたから、識字率は高くありません。 教育は重要です。ヨーロッパで幕末の1850年に識字率が高かった国と、1979年になってGDPが1万ドルを超えていた国は一致します。つまり教育の高低は、100年以上のスパンで、その国の経済生活に影響を及ぼします。歴史学の目から見れば、短期的な景気に一喜一憂するよりも、100年後のことを考えて子や孫たちに、きちっと実のある教育をするのに税金を使った方がいいという結論が出ています。 紹介がほんの一部になってしまいましたが、面白い1冊です。『司馬文学を解剖する』も興味深いモノでした。お奨めします。 |
2024,03,08, Friday
ごく最近、『大黒弁天』さんが届いたのです。大黒弁天は、七福神の一人で、日本の伝説や信仰において重要な存在です。元々はヒンドゥー教の神様でした。彼は戦いの神様で、ヒンドゥー教の中で最高位に位置するシヴァ神の一面であるマハーカーラとされています。マハーカーラは「大いなる暗黒」を意味し、シヴァ神が世界を灰にする際にこの姿になるとされています。
また大黒弁天は、財産や商売繁盛をもたらすと信じられています。彼は日本に伝わった際、財産に関連する幸運をもたらす神様として広く信仰されました。現在は、お金に関連する幅広いご利益があるとされています。持参下さったのは二従兄弟のMさんで、実家の整理をしていたら出て来たと言うのですが、恐らく御尊父が信心深い人であり大切に祭っていたのでしょう。しかし残念ながら私には、信仰心がありません。 また、大黒弁天は戦いでの勝利をもたらす神様としても信仰されており、戦国時代の武将たちに守護神として崇められていました。大黒弁天は、その多様な側面と神秘的な存在感から、多くの人々に愛されています。いずれにしてもありがたいものですから、自宅のどこかに置きます。危なくなかったら、通学路から見えるところに安置して子どもらが大きなお腹に触れて福が来たら良いですね。 この大黒弁天さんを頂いて、思いだしたことがあります。もう随分前になりますが、もう1体の巨像、『坂本龍馬像』を頂戴したことがありました。私が確か龍雲中学校のPTA会長をしていた頃(30年前)、高知県で夏に日本PTA研究集会が開催され、分科会の報告者として講演をされたのが山崎清朗先生でした。先生は高知情報ビジネス専門学校(学校法人龍馬学園)の 学校長をされていました。 その時の話しは、坂本龍馬の下りだったと記憶していますが、やはり地元の龍馬研究家は微に入り細に入り勉強されています。現代は四国は一つと言われますが、龍馬が生きた時代の土佐はどこにもない独特の藩風があったのでしょうね。高知黒潮ライオンズクラブのメンバーをみても、龍馬のDNAを受け継いでいると思われる強者が多くいます。 その後に山崎清朗先生がご子息同伴で、高知から写真の『龍馬像』を持参されたのでした。「あんたの先祖だ」と言うようなことを言われて、突然だったモノで、十分なおもてなしもできず先生は帰られました。山崎清朗先生は熱心に龍馬談を語りますが、ご子息はどうお考えだったか、いまだにすまない気持ちで一杯であります。 大黒弁天像を頂き、12年前のことが思いだされました。 ここをクリック |