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仏生山大規模防災訓練に老若男女200人超が自主参加
仏生山コミュニティーセンター内の自主活動の一つに、『自主防災(萬藤一美代表)』があったのですが、今では仏生山連合自治会(町会)の中に『防災部』を置き、同じ顔ぶれが役割を果たしています。本日は防災部が中心となり、仏生山コミュニティーセンター全組織総出で、『令和7年仏生山地区防災訓練』が仏生山小学校体育館とグランドを使って、盛大に行われました。よく考えられたプログラムで、3班に分かれて遊ぶ人がいない真剣な学びの一日となりました。

私は2班に編入され、10時開会の挨拶を聞いてまず『避難所体験』からスタートします。この小学校体育館も『南海トラフ地震』の避難場所の一つですが、簡易ベッドや段ボールでは、とても寝られたモノでないことが分かりました。出来たら自宅で避難生活をするのがベターだと聞いて、防災対策に興味が移りました。私は災害時には避難場生活が当たり前と考えていましたが、自宅待機という選択肢があるならば、それに越したことはない。

次がAED体験と応急措置ですが、その前に『西村JOY』のブースへ立ち寄りました。自宅待機となると、窓ガラス破損防止シートや家具倒壊防止材に関心が向きます。AEDは過去にライオンズクラブの主催するセミナーで、操作を一通り学んだことがあります。機械も進化しており、より使いやすくなっている感じがしました。

応急手当は、ナイスでした。毛布1枚で、けが人を運びます。手軽ですが大人6人がかかります。マンパワーがある場合ですが、次の右腕骨折疑いの応急措置は、タオルと新聞紙とガムテープとストッキングでやります。私がけが人になり、やってもらいましたが、こちらは少数でも実効性を感じました。こういうとことで見聞しておくと、いざという時に役立つかもしれません。

簡易トイレは、部材を早速西村JOYへ買いに行きます。二人世帯ですから、そう多くはいりませんが、これは必需品です。食べない苦痛は少々我慢も出来ますが、排泄は、通常のトイレが壊れたら風呂の水も流せなくなる可能性が大です。戸建てならまだしも、共同住宅であれば階下が水浸しになる可能性もあります。一回ごとに大小関わらず、凝固剤で固めて生ゴミとして出しますが、災害時はゴミ集荷も滞ります。臭いは何としても防ぎたい。

次は『煙避難』と『消化器』の操作、煙は特殊テントの中に無害の煙を炊いて、歩行の前途を遮ります。通常の火事は、二酸化炭素が充満して先が見えないばかりでなく、ガスそのものを吸引することで死に至りかねません。消化器は安全ピンを抜いて、的めがけて放水しますが、通常は本物の消火剤です。果たして水のように消えるモノか。

最後は『女性の会』の炊き出しです。おにぎりは自分でサランラップに注がれた白米を握ります。豚汁は、美味しかった。これで解散かと思いきや、先の簡易トイレの再見聞がありました。避難所での下水道マンホールの使い方が先のDVDでしたが、簡易トイレのシンプルな現物や、使う凝固剤の再確認です。やはり非常時は、トイレが一番の心配ごとのようです。

南海地震がこれからの30年間に必ず起こるという見解を、町民のみなさんも共有しており今日の防災訓練は私のような初心者をはじめ、自主参加が多かったようです。このあたりはため池も多く、大型地震で決壊の恐れも言われています。暴風雪害の少ない四国ですが、地震は絶対視されはじめています。良い訓練でした、高松南消防署から、仏生山消防団第1第2分団から、赤十字奉仕団も応援に駆けつけ、規模の大きい自主参加が多かった防災訓練でした。

計画運営のキーマンは、元高松市消防局長辻本哲彦さん。上手いはずだ、まさにプロだ。地元活動には、定年退職もありません。頼みますよ。







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| 社長日記 | 06:33 PM | comments (0) | trackback (0) |
高松商第104回全国高校サッカー選手権大会壮行会
4年ぶりで全国大会へ出場するサッカー部の壮行会が29日、高松国際ホテルで100人を超える選手・父兄・関係者を集めて行われました。来賓の大山一郎香川県議会議員が、サッカー部顧問だと今日知りました。同時に野球部顧問と議員に言われ、恥じ入るばかりであります。こうした生徒を交えた会があるのも、参加は初めてであります。

私の認識不足もありますが、新型コロナウィルスの流行に伴い、過去の善習慣が途切れています。野球部の壮行会も、同窓会紫雲会の正副会長になってもお誘いはありません。初めての経験ですが、生徒のみなさんを背中に感じて舞台の挨拶を聞くと言う経験も新鮮です。彼らが反応する箇所は、若者らしい儀礼のない盛り上がったところです。

17時から校長も参加する会、勿論アルコールはありません。食事はバイキング形式で、生徒や保護者の会も列をなしています。挨拶ですが、私のところへも回ってきて焦りました。全く言われてなく、突然ですが『年会費回収のための封筒』を土曜日にもかかわらず高木事務長に無理をお願いして、500部以上持ちだしてきました。私の仕事は、会費の納入願いだけであります。

12月末には、新しいスクールバスが納品されます。紫雲会だけの成果ではありませんが、『高商の部活』は半端ではなく、野球・サッカーに代表される体育会の多くがバスを使っています。近い将来には、OBのプロドライバーで退職者を低賃金で雇用したいと願っています。その前段階として、故障の少ないバスの安定供給が紫雲会の役割の一つと考えています。そのためにはまず年会費(二千円)の徴収で、目標金額一千万円。

肝心のサッカー部の試合ですが、来月29日に福島県そうし高校と試合をします。強豪校でインター杯の4位、確かに格上のチームですが、サッカーは一発逆転があり、分かりません。私も29日は初めて現地へ行きます。神社歳旦祭の飾り付けも、地元商店街の大売り出し抽選会もゴメンナサイ。今は高商サッカー部が最優先です。

全国大会ベンチ入り30名が呼ばれて登壇しました。みんな長髪で、格好良い生徒です。今では坊主だと、サッカーの試合は勝てない雰囲気です。写真のようにサッカーのマスコット八咫烏は熊野神社のシンボルでもあります。2本の足でしっかと大地を踏みつけ、もう1本で蹴り込みます。大先輩住谷幸伸は、「大きく思わないと一つも勝てない、優勝を目指して試合に臨むように」という檄が飛んでいました。印象深い壮行会でした。がんばれ高商イレブン、『カマタマーレ讃岐』のJ3残留も決まりました。カマタマーレ讃岐は高商サッカーOB会が母体だそうです。






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| 社長日記 | 01:15 PM | comments (0) | trackback (0) |
高松市塩江町の赤松食堂70年の歴史に幕を下ろす
SNSで『赤松食堂』が今月末で閉店と知りあと3日、夜は着物がよく似合う女性を同伴だが昼間はそうもいかず、かみさんに詫びを入れて急遽昼ご飯に出かた。最近塩江町の道の駅までは、干し柿を求めて何度か行きました。帰りに『谷岡食堂』へ立ち寄ることはありましたが、道の駅からまだ南、つまり徳島県方向にある『赤松食堂』は恥ずかしながら、初めてであります。

思いつきの出発ですから、辿り着いた駐車場にはすでに沢山のクルマが並んでいます。時間は丁度お昼時、食堂の中も超満員、働き手が老夫婦二人だからもう出来ないと閉店するのもうなずける。どんぶりの片付けも出来ていない。手伝おうかとやりかけると、常連さんが「向こうも置くところがない」と教えてくれる。かみさんはこうした片付けの出来ていないところが嫌で、帰ろう帰ろうとする。

座るところもままならず、見かねた別の常連さんが招き込んでくれる。注文も出来ないが、私は一期一会だからと腹を括って戦闘が収まるのを待つ。30分もすると嘘のようにお客さんが引いていくのだが、「長い間ありがとう」の一言をみんなが言って支払いを済ます。驚くことにPayPay(ペイペイ)支払いが、この店でも出来る。私もそうした履歴に、『手作りチャーシューの店赤松食堂』1,660円の記録が残る。

最後の方で、戦闘が収まりかけた頃、大将と話が出来た。先代(父親)からの商いで、70年以上続くという。現在の国道が出来ると言う話で、移転してきたという。国道193号線の東側に旧道があるのは、『辻食料店』へ何度か行って知っている。だが国道が出来る前の話となると、この地が『塩江温泉郷(香川郡塩江町)』として賑わっていた頃まで遡る。

以下にチャットGTPがまとめた、塩江温泉郷(旧・香川郡塩江町)の戦前〜戦後を中心とした歩みを、分かりやすく紹介します。塩江温泉は開湯伝説を持つ古湯で、奈良時代の行基の発見、空海(弘法大師)の修行伝承があるとされ、地域の湯治場として長く親しまれてきました。地名は「潮江(しおえ)」に由来し“塩気のある泉”という意が伝わります。

昭和初期に仏生山(高松近郊)〜塩江を結ぶ「塩江温泉鉄道」(ガソリンカー)が開通(昭和4年=1929年11月12日)。これにより高松市街からのアクセスが劇的に改善し、湯治客・行楽客が急増。旅館や娯楽施設が整い、少女歌劇なども催され「讃岐の宝塚」と呼ばれるなど賑わいを見せました。芸者さんが踊る写真も、残っています。古き良き湯治場で、たいそう賑わったそうです。

しかし、わが仏生山駅発の鉄道(ガソリンカー)は1941年5月10日に営業停止・廃止され、以後は交通の利便性が低下。さらに1930年代後半〜戦時下の物資・人手不足、戦争動員などが温泉地経営に影響し、繁栄期は次第に陰りを見せました。塩江温泉郷の戦前戦後をまとめて見ると、以下のようになっており、非常に残念です。今では昔の面影が、この赤松旅館(食堂)で皆無になります。

1.古くからの伝承を持つ湯治場としての長い歴史。
2.1929年のガソリンカー開業で一気に観光地化、娯楽(少女歌劇)などで最盛期。
3.1941年の鉄道廃止と戦時体制で衰退、戦後も完全な回復は難しく、施設喪失や宿数減少が続く。
4.近年は地域再生・観光活性化の計画が進められており、歴史・自然を活かした持続的活性化が課題。

こんな浮き沈みの中で赤松食堂は、赤松旅館も兼業しながら塩江温泉郷と共に今月末まで生き抜いてきました。婦人が熱中症にかかり、救急搬送されるに至り廃業を決断された。旅館業があるからか、夜の食堂営業もある。大変な重労働を、自らに強いてきた半世紀だと思います。私ら夫婦は、『中華そば』と『ちゃあどん』を注文し、半分ずつ頂きましたが、お世辞抜きで美味かった。久しぶりに田舎食堂を堪能しました。大満足です。ありがとうございます。





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| 社長日記 | 09:07 AM | comments (0) | trackback (0) |
栗林公園のライトアップ30日まで
高松市の栗林公園で行われている秋のライトアップは、最終日の30日まで残り4日間となってきました。ここ栗林公園は、約四百年前、生駒家の治政の時代に築庭が始まり、その後、1642年入府した徳川御三家水戸藩の御連枝、高松松平家の初代藩主松平頼重(よりしげ)公に引き継がれ、歴代藩主が約百年かけて修築を重ねてきた大名庭園です。

栗林公園(香川県高松市)は、国の特別名勝に指定されています。特別名勝は全国でも数が少なく、文化財として最高ランクの評価を受けている名園です。背景としては、江戸初期から改修・整備されてきた大名庭園で、紫雲山を借景にした広大な回遊式庭園が特徴ですね。季節ごとに表情が変わるのも魅力です。その園内がライトアップされています。

私も昨年まで何度か行きましたが、園内の紅葉は今が見頃、東側駐車場がいつも満車で公園北側の県営駐車場か、民間駐車場に置くことになります。点灯時間は午後5時から9時までですが、8時半までが入場可です。特に人気なのは和船の夜間運航で、船から見る幻想的なライトアップは、見るモノを魅了します。このライトアップは、殿様も見たことがない光景です。ただし乗船予約は、もう入らないと思います。

園内では29日に、フィナーレのイベントが予定されています。掬月亭では午後7時から『和の調べ~飛天の会~』、6時から商工奨励館北側でも香川県出身津軽三味線の筒井茂広師匠と、阿波おどり連の威風連のコラボレーションパフォーマンスが行われます。若い入園者は有料ですが、われわれ『長寿手帳』を持つモノは招待客です。暖かくして、お越しください。



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| 社長日記 | 10:17 AM | comments (0) | trackback (0) |
高松―上海便減へ春秋航空来月4日から週2往復に
高市早苗総理大臣の国会答弁で、中国習近平政権は自国民に、日本への『渡航自粛呼びかけ』を行った。理由は、高市早苗総理大臣の『台湾有事』に関する国会での発言だが、そこは中国らしいオグラートに包んだ言い回しで、『渡航自粛』や『水産物輸入禁止』など時間の経過と共に『お灸』が効いてくる。『発言撤回』を要求しているが、高市早苗総理大臣は今のところ撤回しない方針だ。

14日の中国政府の渡航自粛の呼びかけで、中国の航空会社各社は日中間の航空便を相次いで減便・運休している。香川県によると、春秋航空の高松―上海便は現在、(火)(木)(土)の週3往復運航しているが、12月4日(木)からは木曜日の運航を取りやめ、(火)(土)の週2往復に減便する。同線の10月搭乗率は93.7%で、11月に入ってからもそう大きく落ち込んでいないのにもかかわらず。

春秋航空は、高松―上海便の減便のほか、茨城―上海線を27日から運休するなど、日本路線のダイヤ見直しを進めている。他の中国航空会社も、同様の減便をやむなくやっている。中国政府の渡航自粛呼びかけ以降、県内のホテルでは中国人観光客の宿泊予約のキャンセルが出始めているようだ。また高松市は20日から予定していた友好都市提携をする南昌市への公式訪問団の派遣を延期した。

私にも声がかかったが、私は稲盛和夫塾長が中国各地で行った塾長例会にも、ほとんど参加しなかった。尊敬する追っかけ組の先輩から「塾長が行くところは、地の果てまでも同行するのが塾生の本分」と言われましたが、台湾へはお供しましたが、大陸での塾長例会はほとんど欠席しました。申し訳ないと詫びながら、どうしても参加する気になりませんでした。

それでも2019年12月盛和塾閉塾時の会員数は、うろ覚えですが邦人7千人に対して中国現地の塾生数は7千人を大きく上回っていました。終盤は雪崩を打って中国人経営者の数が増えて、国内外での塾長例会は中国人経営者が目立って増えていました。稲盛和夫塾長も、日本からの中小中堅企業の中国進出苦戦が気になったのか、たびたび渡中していました。中小中堅企業は大企業が中国大陸へ行くと言えば、ついて行かざるを得ないのです。

盛和塾は2019年12月に閉塾し、京都の本部は解散、地方の盛和塾は学びを継続してもよろしいというお墨付きを稲盛和夫塾長から頂戴し、今日まで学びを継続していますが、中国各地の盛和塾は、塾長死去のあとも同じように盛和塾活動を継続しています。燃えさかる燎原の火事のような勢いで、塾長死後、ますます盛んになっていました。アメリカMBA式経営に飽き足らない中国人経営者が、稲盛和夫式経営に目覚め、むさぼりつつありました。

さて今後中国との付き合い方ですが、中国には中国のどうしても譲れない『台湾問題』があり、日本にも『台湾問題』は存在します。私は直接の経済的打撃を受けてなく、暢気なことが言えるのですが、高市早苗総理大臣の発言は、確かに軽率のそしりは免れないと思いますが間違っていません。私は主張を撤回しないで、暴風に耐える施策を施すべきだと思います。

民主党菅直人政権時の、日本の海上保安庁監視船に体当たりしてきた中国魚船の船長を一端逮捕しながら『ただちに釈放した』判断は、2度としてはなりません。無理難題を言う『お代官様』ですが、われわれに『お代官様』をなくす方法はありません。強く言われたら、『御意』と舌を出しながら無視を貫けばいい。私はこれからも高市早苗総理大臣いじめが中国から続くと思いますが、どうか日本人の矜持にかけて撤回はしないで頂きたい。同時にこの軽はずみだが英断に、国民が応援したら高市早苗総理大臣も、枕を高くして4時間くらいは眠れる?のではないか。


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| 社長日記 | 11:10 AM | comments (0) | trackback (0) |
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