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オイスカ四国支部第12回幹事会と春のつどい2022
4月20日(水)14時から、オイスカ四国研修センター(綾川町)において標題のイベントを、新型コロナウィルス感染症対策をしながら、恐る恐る開催しました。一番の契機は、研修生の入所が始まり約3年前の研修センターの賑わいが戻ってきたことにあります。今日の懇親会には、来日して隔離期間が過ぎた5人が会員と生交流をしていました。まだ隔離中の2人は、リモート参加でした。

公益財団法人オイスカは、1969年にオイスカ・インターナショナルの基本理念を具体的な活動よって推進する機関として生まれ、主にアジア・太平洋地域で農村開発や環境保全活動を展開しています。また人材の育成に力を入れ、各国の青年が地域のリーダーとなれるよう研修を行っているのです。研修を修了した各国の青年は、それぞれの国で農村開発に取り組み、国や地域の指導者として活躍しています。

春のつどいに先立ち、関西研修センター所長・清水利春(きよみずとしはる)氏から、『オイスカ技能実習生受け入れについて』と題した講演がありました。オイスカの歴史は60年、昭和38年からアジア太平洋地域の優秀な若者を日本の4研修センターへ招き、研修をしてきています。多くが世界各地の研修センターで、研修後の来日です。これに加えて『技能実習生』制度が出来て、私の頭の中でも2つが混在しています。

技能実習制度(Technical Intern Training Program)および外国人研修制度(Foreigner training system)は、1993年(平成5年)に導入され、「技能実習」や「研修」の在留資格で日本に在留する外国人が報酬を伴う技能実習、或いは研修を行う制度であります。

1993年に、国際協力の一環として始まった技能実習制度。 その数は増え続け、2018年には25.8万人の外国人が技能実習生として働いています。 ベトナム人が最も多く、次に中国人やフィリピン人が続きます。 長い歴史を持つ技能実習制度。 最近は、企業と実習生との間で起こるトラブルが問題になっています。 過酷な労働環境で命を落とす人や失踪してしまう人も後を絶ちません。

オイスカの研修制度は、『研修後』の母国での活躍に期待するモノですが、技能実習制度の研修生には『今の労働』が期待されています。日本人の若者層人口が減り、かつ引きこもりなどから働かない若者に業を煮やし、海外の若者を頼ったモノと私は考えています。違っていたら、ご指導下さい。

集合研修期間の2カ月、研修生を受け入れる企業は20万円×2カ月の40万円を支払、各企業に受け入れます。1年後に日本語の習熟度の試験があり、規定に達していなければ母国に送還されます。3年後にも試験があり、ここも壁になっています。そんな中、2010(平成22)年度に入管法が改正されてから、入国1年目でも技能実習生は在留資格を得ることが出来るようになり、急激に人数が増えました。

ワーキンクホリデーやEPA(国がやっている研修生お助け機関)による外国人看護師など、特別活動の在留資格を取得して就労している外国人は約2.6万人となっています。清水利春(きよみずとしはる)氏の話を聞いても、私の中では、オイスカの研修生と『技能実習生』(特定技能実習生を含む)は似て非なモノと映りました。オイスカは、時代の変遷と共に変わりゆく部分と変わらない不易な理念に裏打ちされた活動を、これからも続けていきます。











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| 社長日記 | 10:21 AM | comments (0) | trackback (0) |
最高裁判決やりすぎ相続対策の敗訴確定
路線価などに基づいて算定した相続マンション価格について、最高裁第3小法廷は19日、国税当局が再評価して追加課税した処分を適法と認めた。判決は国税当局が評価を覆す『伝家の宝刀』を使う場合に合理的な理由を求めたが、適用自体は適法であると追認した。不動産を使った節税への影響は、避けられないとみられる。

今回のケースは、2009年に約13億8700万円で父親が購入した2棟のマンションを、2012年の相続で相続人側は国税が定めた路線価で計算した約3億3000万円で申告した。この際マンション購入時の借金が多く残っていたので、相続財産はなかった(マイナス)としていた。この申告に対して国税局は2016年に、鑑定評価額の約12億7300万円が『時価』であるとし、追徴課税していた。これまでに一審二審で勝訴し、最高裁判決でも勝訴し確定した。

問題は、相続財産の評価は『時価』で評価すると相続税法で規定されているのだが、国税庁は土地などの不動産の場合は、『路線価』が評価基準になるとの内部通達を公表していること。国税庁は時価の算定基準として、取引価格の8割程度とされる路線価などを示している。国税庁の考えでは、「安く評価するのだから文句はないでしょう」と胸を張る。

ただ算定額が『著しく不適当』な場合には、国税当局が独自に再評価出来るとする例外規定があり、訴訟では適用の是非が争われた。第3小法廷は、国税当局の算出方法について『路線価などによる画一的な評価を行うことが実質的な租税負担の公平に反する事情がある場合は、(例外規定を用いる)合理的な理由がある』との初判断を示した。

その上で本件では相続税の負担軽減を意図して不動産の購入などが行われ、実際に相続税額がゼロになったことを指摘。「他の納税者との間に看過しがたい不均衡が生じ、租税負担の公平に反する」として例外規定の適用を認めた。裁判官5人全員一致の結論。過度な不動産節税に警鐘を鳴らす、司法判断といえる。

時価の具体的な立証は、不動産鑑定士のおこなう『鑑定評価』によることが一般的。多くの場合は、国税当局の判断に相続人側が鑑定評価を入れることが多かったが、今回の件では、国税当局が鑑定評価に頼った結果。一律に評価をせざるを得ない路線価などでは、マンションの下も上も同じ価格で評価せざるを得ない。これに対して販売価格は、下が仮に2千万円だとしても、上は1億円かもしれません。この差を利用して、これまでは相続対策と言われていました。


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| 社長日記 | 10:07 AM | comments (0) | trackback (0) |
国内どんじりのドクターヘリ運航だが香川の救急医療充実へ
医師や医療機器を乗せて救急現場へ急行する『ドクターヘリ』の運航が、18日にスタートした。全国で唯一導入のなかった香川の救急医療が、飛躍的に充実することが期待される。昨年末まで導入のなかったのが東京都と香川県。その東京が今年1月に、『ドクターヘリ』の運航を開始。最後になった香川は、日本一狭い県で、救急車搬送で対応出来そうだが、数多くの島しょ部や山間部を抱える香川県も、『ドクターヘリ』の運航が、ながく望まれていた。

『ドクターヘリ』は、事故や災害などで救急患者が発生した際、消防機関の要請を受けた基地病院の医師と看護師らが乗り込んで出動する。基地病院は、香川大学医学部付属病院と県立中央病院が1週間交代で担当し、運航範囲は島しょ部を含む県内全域となる。

県によると、2022年3月末までに、共同配備も含め46都道府県がドクターヘリを導入。救急車による搬送と比較した場合、救命率は約39%、後遺症の軽減率は約13%向上するという。運航時間は原則午前8時半~午後5時半。県内では年間243件の運航を見込んでいる。と言うことは一日1件弱の出動を予定しているというのか。何だか少ないような気がするが、少ないのにこしたことはない。

浜田恵造香川県知事は、「時速200キロで現場に急行し、県内全域を約15分でカバーする。救命率の向上や後遺症の軽減などの効果を期待している」と強調。秋に退任する知事の置き土産になったら良いが、使われすぎても別の問題が出てくる。今の時代の新しいことの成就は、やってみなければ分からないと私は考える。先のことばかりを考えすぎても、結果がどうなるか分からない。今必要かどうかで、決定すれば良い。

『ドクターヘリ』の運航には、年間200億円ほどかかると言われている。一見無駄遣いのように思われるが、あるとないとでは安心感が違う。特に島しょ部での急患発生は、これまで高速艇で大きな病院まで運んでいたが、この問題は大いに改善されると期待される。あくまでも副次的だが、『瀬戸内国際芸術祭2022』の安心安全にも貢献するだろう。

これまで緊急搬送に使われてきた『防災ヘリ』は、本来の任務に専念出来るし、災害時には2機のコラボレーションで3倍4倍の効果が期待される。駐機整備等は、2機とも高松空港内の四国航空が担当する。医大付属病院の救命救急センター長は、「関係機関とのコミュニケーションを図りながら、『オール香川』でより良い医療のために取り組みを進めていきたい」と意気込みを述べていた。安心感が広がる。


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| 社長日記 | 08:44 AM | comments (0) | trackback (0) |
TAG会第23回新春芸能発表会
今年2月に開催予定の新春芸能発表会が、新型コロナウィルスの感染拡大に伴い、讃岐では桜が散る頃の本日高松空港近の香川町のザ・チェルシーで開催されました。規模を縮小したと言いながら、9時~15時の6時間たっぷりと自慢ののどを披露していました。私が見た時間帯に若者はいませんでしたが、退職後の趣味としては大きな声をだし大いに笑って、元気の素かと思います。

今日の開催で23回、TAG会は故松熊義美さんらが中心となり、平成9年1月に発足しました。TAG会とは『高松エアポートグループ交流会』の略で、『高松空港』を中心に1市10町(高松市と、三木・香川・香南・塩江・綾上・綾南・国分寺・庵治・牟礼・直島)の有志が、各種の人的交流の輪を通じて相互が共とも学び合い、助け合いにより連携協力の土壌をつくり、地域発展に寄与することを目的にしています。

そして平成23年に香川県知事の認証を受け、特定非営利活動法人(NPO法人)に組織変更しました。今ではその権限が、高松市長に委ねられています。従って、今日のこのイベントも窓口『高松市男女共同参画課』へ報告されます。発足から23年を迎え、発足と同時に始まった新春芸能発表会は、平時であれば500人を超える参加者で年々盛会となっています。

また同会は芸能発表会のみならず、文化交流会、各種研修会、ゴルフ大会、ボウリング大会等を開催して、高松空港盛り上げに腐心しています。高松空港が民営化され使い勝手が一層善くなるとは松熊義美さんも考えていなかったと思いますが、ある意味将来(25年後の今を)を俯瞰した組織化だと感心します。

また高松空港に対する政策提言も、多数行っています。主たる8大テーマの中にある①水の問題対策向上をはかる⑥災害問題対策の向上をはかる⑧次世代エネルギー及び資源開発研究会など、多岐に渡り高松空港の国際化、地方空港の雄を目指しより高いレベルを常に求めています。②滑走路の延長もテーマにありますが、私は高松空港への離着陸誘導レーダーの整備と同じように滑走路整備を考えています。

高松空港の課題は、何と言っても濃霧欠航問題です。着陸誘導システムが今よりワンランクアップすれば、この問題もほとんど解決するように聞いています。計器による着陸ですが、今より数段欠航が少なくなると思います。私も一度、高松空港濃霧のため大阪伊丹空港へ着陸して往生した経験があります。高松商が神宮球場大会に優勝した、2015年秋のことでした。

過去の一般社団法人香川宅建高南支部総会で、その動機づけを故松熊義美さんに聞いたところ、高松空港は開港前瀬戸内海沿いの生島町にほぼ決まりかけていた。国内多くの空港が、海岸部に位置し、将来の高松空港のあり方は内陸部が良いのではないかという意見で、松熊義美さんらが尽力して現在地に誘致したとか。

濃霧の問題を解決すれば、南海地震など想定されている災害時の基幹空港としても、高松空港は、中四国有数の災害対策基地としての機能を発揮すると考えます。高松(香川県初)に18日から、やっとドクターヘリが就航します。高松空港には、立体駐車場が完成しています。災害時には、平地駐車場は災害対策に使えます。残るは、着陸時誘導レーダー網の整備です。

そんな中、昨年冬には世界最大の旅行プラットホーム『トリップアドバイザー』において日本で唯一高松市が、注目の観光地として世界17位に選出されています。新型コロナウィルス禍の終息と共に、高松空港から全国へまた世界へ飛行機が離着陸することを待ち望んでいます。


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| 社長日記 | 09:13 AM | comments (0) | trackback (0) |
本人が持参された田村日出男随想録
4月14日(木)の午後、突然田村日出男様が来社された。奥様運転の若者車の助手席に座るようで、米寿が過ぎたと言いながらお元気です。ご子息の田村正之さんが、父親の米寿の記念に限定出版されたモノです。バーコードがついていないので、一般的な本とは言わないのかもしれない。日本経済新聞社に勤務されている正之さんが、知らないわけはない。あくまでも父親(日出男様)の生きた記録の一遍として、活字にされたモノでしょう。

田村日出男様は、明治10年創業『宗家くつわ堂』(㈱宗家久つ和堂)の第六代当主。弊社オリジナルの『顔せんべい』を、社長の頃より長く作ってくれています。元はライオンズクラブの関係で、『くつわ堂総本店(分家)』ではじめたモノを、トラブルの末に引き継いで頂いたのです。香川県中小企業家同友会でのご縁です。それから20年くらい続いていますか、いまだに『詫び行脚』に使っています。見た人が、相好を崩します。

全142項ですから、比較的読みやすい装丁です。読み進めていると、『追悼 萩森宏一(はぎのもりこういち)君』がありました。平成29年5月3日に旅だってしまった、と書かれています。高松高校で同級、萩森宏一氏は徳島大学医学部を卒業されて、高松赤十字病院に転じ、副院長・整形外科医長で定年を迎えた。当時は私と同じ、高松栗林ライオンズクラブのメンバーでした。

萩森宏一先生を、私も尊敬していました。もう30年ほど前になりますが次男がハチ北ゲレンデ(兵庫県)で骨折し、現地で手当ての後そのまま高松赤十字病院に運んで、萩森宏一先生の世話になりました。「泊まっていくか」と言われたのですが翌朝は元旦、流石に遅く長男次男をつれて帰宅しました。随想録に、日赤を退職されてから、老人介護施設『渡りの郷』の施設長として勤務したとありましたが、ライオンズクラブを退会されて疎遠になってしまいました。

79ページからは、慶事が綴られています。2016年秋、田村日出男様は旭日双光章を受賞され、翌年の記念祝賀会では、発起人の一人として私の名前があり、大変驚きました。この時が長男の田村正之さんとお目にかかった最初かと思います。正之様の出版物は、そのたびに御尊父から贈呈され、専門書はもとより小説までも頂戴しました。最初の作品は、馬鹿な私は酷評し、御尊父には大変失礼なことをしました。

ところが小説第2作目は、これは秀逸作品でした。勿論この感想も、田村日出男様にお送りしました。経済専門書の類いは、微に入り細に入り解説が具体的で、非常に分かりやすいモノです。そのほとんどを、無料で拝読しています。そうそう4月10日の週だったか、テレビ東京の朝番組『モーニングサテライト』にコメンテーターとして、自宅からリモート出演されていました。

時には東京有楽町で、田村親子さんにばったり出会ったり、私にはかけがえのない縁者であります。老舗菓子舗の跡継ぎ論争など、親子の葛藤はこれまでも多くあったと思いますが、日本経済新聞記者として活躍する田村正之さんに、『宗家くつわ堂』を継ぐことは叶うまい。現川崎照夫社長にエールを贈ることが、くつわ堂をこよなく愛する『ヘビーユーザー』の務めのように思います。



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| 社長日記 | 08:51 AM | comments (0) | trackback (0) |
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