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竹を割って束ねてそのままボイラー燃焼・バンブーLCCボイラー開発
2月18日(木)四国新聞ワイドKAGAWAに、『束のまま竹燃焼可能に』という記事を見つけました。小欄のネタは、『地元・旬・褒め』に関することに徹しているつもりです。話題も『竹の使用』で、建築の壁材に使われなくなった竹は、今では瀬戸内国際芸術祭の作品に使われる程度で、竹林の整備も出来ないまま。その竹を使った『バイオマス(生物由来資源)ボイラー』を、小山雄正(60)氏=高松市出作町=が作ったと言う報道です。

なに高松市出作町と言えば、弊社の住所と被る。インターネットで調べたが分からず、古い電話帳を引っ張り出して調べます。同時にデジタル地図を駆使して、『小山』姓を探します。同時ヒットで、電話をしてから厚かましく、突撃訪問をして来ました。と言うのも新聞の写真では、過程がよく分からなかったのです。

突然の訪問も、次の来客の予約時間が迫っているのにもかかわらず、気さくに話をしてくださり、一式の説明を受けました。まず①伐採した竹を、『自走式竹割機』(小山氏自作で150万円ぐらい)で竹を割ります。②横に並べている『自走式竹結束機』で結束し、燃料化が完了。③その竹の束をホッパーに供給し、そのままボイラー燃焼室へ自動供給で連続燃焼が出来るという、新規開発・特許出願中のシステムであります。

小山氏はこれまでも竹バイオマスボイラーを、約10年前から淡路島でチップ状にした竹を熱源利用する事業に取り組んでいたそうです。今回4年前から取り組んでいた改良は、これまでの仕組みでは竹をチップ状に加工しなければならず、ボイラーとは別に大がかりな設備を整える必要があった。今回のボイラーは、燃焼炉の側面からコンベヤーで竹束を挿入するすると、先端から燃えていく仕組み。

さらなる工夫は、竹を燃焼炉内で浮かせることで、溶融灰による炉内の根詰まりなども軽減できるという。また燃えた竹が、炭の状態で炉底に落下し、そのままの状態で回収できる。竹炭は土壌改良などにも利用でき、販売益も見込める。竹をチップ化しないため、チップ工場に必要な経費が一切不要。新聞写真で分からなかった工程も、くっきりハッキリ私のような素人にも理解できました。

ボイラー本体は利用現場に備え付けになるが、『自走式竹割機』と『自走式竹結束機』の2機は、軽トラックに積んでどこでも移動が出来る。つまり竹林に軽トラックで出向いて、その場で竹結束まで出来て、それをボイラーのホッパーに投入する。予備の結束された竹は、野積みでブルーシートを掛けておけば良いだろう。大幅な費用削減に繋がる。

あまり詳しく書いて、特許侵害(な訳ないだろう)になっても困るのでこの程度にしておきます。私の所属しているオイスカでも、このシステムは利用できそうだ。新聞では、温浴施設や農業用ハウスなどでの利用を見込み、今後は自治体や地域団体、農事組合法人などと連携して実地検証を重ねるとありました。

小山さんは、前職ゲーム機の製造をしていたとか。その後大学や研究機関で勉強され、今日に至るという経緯です。これまでは『大』がもてはやされ、経済効果は『マス(大)』で図られていた。しかし初期投資をしなくて良いのは、コスパーとしてもベスト・パーフェクトであります。徳川家康が江戸を選んだのも、一つには関西・中国・四国に『木材』、つまりエネルギーがなかったからとも言われています。




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| 社長日記 | 09:27 AM | comments (0) | trackback (0) |
県内の外国人労働者は過去最多
香川労働局のまとめによると、県内で働く外国人労働者数(2020年10月末現在)は、前年同月比2.4%増の1万422人だった。統計を開始した07年以降で最多を更新したモノの、前年からの増加率は6年ぶりに10%を下回った。新型コロナウィルスの感染拡大に伴う雇用情勢の悪化に加え、感染拡大で渡航できなかった人がいたことから、増加率が鈍化した。国別では、ベトナムが中国を上回りはじめて最多となった。

県内の外国人労働者数は、2015年に5千人を超えて以降、人手不足の深刻化や日本人若年層の3K現場での労働回避などから急速に増加しており、毎年二桁の増加率で推移していた。弊社にも、外国人労働者の居住用賃貸物件の斡旋依頼が来ていたが、そのほとんどが『社宅扱い』でした。それでも総務担当者が24時間付き添っているわけではなく、生活習慣の違いからのトラブルもありました。

そんなこともあって最近の傾向として想像するのは、『自社物件での居住』に替わっているのではないか。外国人労働者を雇用している企業では、その数が一人でなく数人となっている場合が多くなっていて、中にはグループ会社全体で、外国人労働者居住建物を手配しているように見受けられます。私の耳に届くトラブルは、ほとんどなくなっています。

20年の労働者を国別でみると、先に述べたように1位ベトナムが3184人(30.6%)、2位中国人2782人(26.7%)、3位フィリッピン1481人(14.2%)、4位インドネシア905人(8.7%)、その他19.9%となっている。いずれにしても東南アジア人で、われわれからは区別がつかない。彼らに共通しているのは、自転車移動が圧倒的に多い。コトデン琴平線車内で見かける彼らには、オイスカ四国研修センター(綾川町陶5179-1)の研修生も散見される。

在留資格別では、技能実習が前年同比0.9%増の6275人で最多。日本人の配偶者など身分に基づく在留資格が同6.2%増の1860人、留学など資格外活動が同3.0増の896人で続き、ワーキングホリデーなど特定活動(同8.1%減)を除いて前年を上回った。新型コロナウィルスの感染拡大がなければ、軽く1万2千人ぐらいになったのではないか。肌感覚では、外国人労働者が確実に増えているように思います。

この影響か三豊市が、県内初の夜間中学の設置準備に入りそうだ。県内の外国人労働者は西讃に集中していて、三豊市内には約千人の外国人が暮らしており、日本語などを学びたい外国人や不登校を理由に小中学校に通えなかった人らのニーズが、一定程度あると判断した。実施したアンケートでも、「外国人であり、日本語や知識・技能を学びたいから」という意見が30%程度あった。

夜間中学を設置する場合、文科省から準備の2年間、開校後の3年間に事業費の3分の1をそれぞれ上限400万円、250万円の範囲で補助してもらえる。問題は、その後の取り組みだろう。


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| 社長日記 | 09:39 AM | comments (0) | trackback (0) |
東証30年半ぶり3万円台回復
週明け15日の東京株式市場の日経平均株価は大幅反発し、終値が前週末比564円08銭高の3万0084円15銭と、バブル経済期の1990年8月2日以来、約30年半ぶりに3万円台の大台に乗せた。13日に、約10年前の『東日本大震災』規模の余震が発生したばかり。確かに死者が出ず、津波の被害も少なかったことから、株安の要因にはならなかったようだが。停電など、学習効果は確かに10年を経ている。

日米欧が新型コロナウィルス禍の景気対策で進める大規模な金融緩和や財政出動に加え、日本の昨年10~12月期の実質国内総生産(GDP)速報値が大幅なプラス成長だったことが追い風となったようだ。確かに新型コロナワクチンへの期待も後押ししたようだが、ワクチンはこれからの接種で少なくても国内ではその真価はまだ分かっていない。

評論家はバブルだと言う人もいるが、私は株取引のシステム進化の影響もあるのではないかと考える。AI(人工知能)搭載マシンを駆使して、上がると売る、下がると買うの一点買いで、こんな時期にもかかわらず市場に溢れた資金が、株式市場に流れ込んでいるのではないかと思っています。専門家はさておき、私はこのまま一本調子で上がることはないように思います。

現に新型コロナウィルスの感染拡大に伴い緊急事態宣言が再発令されており、今年1~3月期のGDP(国内総生産)は、再びマイナス成長に陥るとの見方が強い。景気の先行きは依然不透明で、株価上昇は実体経済と乖離しているとの指摘もある。新年の賀詞交換会も、日本全国でほとんど行われていない。成人式も中止、あるいは夏以降へ延期されている。

日経平均株価はコロナによる経済活動の停滞を懸念し、昨年3月に1万6000円台まで下がった。だが世界主要国の中央銀行が、危機対応での強力な緩和措置を打ち出すと、将来の景気持ち直しへの期待から株価は回復に転換。金融緩和であふれた投資資金が、株式市場に集まる流れとなり、上昇基調が続いてきた。

トヨタ自動車など大手製造業が顕著な輸出に支えられていち早く業績を立て直し、ソニーやソフトバンクグループといったIT関連銘柄が株高を牽引しているのに対し、営業時間短縮や自粛ムードが続く飲食、観光、小売りは助成金などの政策支援で何とか凌いでいるのが現状だ。

20年10~12月期は輸出が前期比11.1%増、設備投資が4.5%増で、実質GDPを2四半期連続のプラス成長に押し上げた反面、個人消費の伸びは2.2%にとどまっている。また総務省の20年家計調査によると、2人以上の勤労者世帯の預貯金は、平均で前年比15万7186円増と過去最大の増加幅を記録した。多くが消費に回らず、備えとしてため込まれた現実を示している。

東京都内で喫茶店を営む女性は、「感染が収まっても間引きを続けるしかない。昔の売上にはもう戻らない」と、座席の間隔を広く空けた店内でつぶやいた。これが多くの日本人の、今の立ち位置を象徴しているように思う。日本の敗戦からの立ち上がりは、来るところまで来た感がし、せめてJOC会長の選出だけでも、公平公正透明性を追求して、次へのステップにしてほしいものだ。


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| 社長日記 | 11:11 AM | comments (0) | trackback (0) |
加ト吉創業者加藤義和氏が死去85歳
数日前に、加ト吉の後継企業『テーブルマーク(東京)』の話題を小欄に書いたところでした。そこには遠慮して敢えて触れませんでしたが、加ト吉と言えば創業者加藤義和(かとう・よしかず)氏です。今月5日午後、観音寺市内の自宅で死去されたそうです。一世を風靡した、私にとっては郷土の星の一人でありました。ここだけの話ですが、加藤義和氏と中山芳彦氏が私の中では、なぜか対比してみていたのです。

加藤義和氏は1936(昭和11)年、観音寺市生まれ。中学卒業後、家業の水産加工業を継ぎ(失礼ながら私と同じ母子家庭だった?)、20歳で加ト吉の前身の『加ト吉水産』を創業した。1962(昭和37)年日本の高度経済期に合わせたように、冷凍食品の製造販売を開始し、冷凍エビフライが大ヒット。事業拡大の礎を築き、一代で冷凍食品の国内トップメーカーに成長した。

また加藤義和氏の経営者として異質なところは、1967(昭和42)年に観音寺市議となり、75年の同市長選に39歳で出馬して当選。4期16年にわたって、地元観音寺市の首長職を務めた。市長就任に伴い、加ト吉では代表権を持つ会長職に就いていたが、退任後の96年に社長に復帰した。県内では『今太閤』と言われ、講演会にも積極的に出ていたのですが、選挙では苦労したと聞いています。経営と市長という相容れない立場の矛盾が、得票数に微妙に表れたのでしょうか。

市場のニーズを先取りし、優れた経営手腕で、2006年3月期には連結売上高3398億円まで伸ばした。県内ではダントツの売上高を誇り、観音寺商工会議所会頭などを歴任された。しかし07年に社内で、循環取引が発覚し、経営責任をとって社長を辞任された。その後は数日前の小欄に書いたとおり、『JT日本たばこ』から『テーブルマーク(東京)』へと加ト吉は変貌した。

加藤義和氏は、10代の頃毎朝3時に起床し、当時はインバウンドはなかったものの大勢の参拝客で賑わっていた『琴平町』まで、かまぼこの行商をして加ト吉の礎を築いたというのは有名な話であります。この報道を見て、書庫で『加藤義和ものがたり』を探しましたが、残念ながら発見には至らず。このあたりの下りも、その本の中には確か記載されていました。

高度成長期以降の時流に乗って、食卓のニーズの変化を捉えた斬新な発想で、冷凍エビフライ、冷凍讃岐うどん、ピラフや常温の無菌米飯など次々にヒット商品を世に送り出した。また事業の多角化や企業の合併・買収(M&A)にも積極的で、ホテルやレジャー施設を手がけるなど観光振興にも寄与した。大企業になっても本社を観音寺に置き続け、関連企業や協力会社が県内で発展。雇用などの面でも、地域に貢献された。

もう20年になると思うのですが、香川宅建協会の役員会が琴平町内の加ト吉ホテル(紅梅亭)で開催され、故植本義明会長の尽力で加藤義和氏のプチ講演がありました。20名程度の少人数ですから本音のところも包み隠さず、経営とはこうするのだという『教授』を頂きました。確かに時事に通じた、政治経済学でありましたが異常に数字の羅列が多いのに驚きました。

経営は『数字』でするモノですから、決して間違っているとは思わず感心して聞き入っていましたが、経営者としてのもう一つの重要な側面である、『人のこころ』の部分が欠落しているのではないかと感じました。寝言のようなことを言っていては3,000億円企業の維持拡大は出来なかったと思いますが、いずれにしても加ト吉は身売りをする結果に陥りました。

晩年について、長男清司さん(51)は「昔の姿からは想像もつかないでしょうが、孫やひ孫と遊ぶのを楽しみにしていた普通のおじいちゃん。ご苦労様と言いたい」と話したそうだ。郷土の星の一人がまた一人逝った。残念ではあるが、昭和が終わったと実感する。先に書いたように、もう一人の郷土の星の一人中山芳彦社長は、元気でまだ現役です。新型コロナウィルスの感染拡大に伴い、少しの苦戦はされているようですが、ご活躍を楽しみにしています。


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| 社長日記 | 06:56 AM | comments (0) | trackback (0) |
JR西日本プレゼンツ日本旅行が新しい観光の提案
JR西日本が、おうちにいながら、瀬戸内が誇る美しい海と多島美を楽しめる「オンラインツアー」を、2日間にわたってユーチューブ無料配信しました。映像の先に広がる瀬戸内ならではのおすすめスポットや、景色をお楽しみくださいという新しい観光の模索。このようなメールが入ってきて、『完全無料』と言うモノで指定時間から机に座って、ユーチューブ配信を観ています。

日本旅行が新型コロナウィルス下の「あたらしいツーリズム」を模索し、JR西日本へ持ち込んだ企画かと思います。『瀬戸内しまたびTRIP』と題した初日は、13時から20分間導入部分が配信されて、広島港から出航した『クルーズフェリ シーパセオ』からのライブ配信で、男女二人(日本旅行浪速のカリスマ添乗員の平田進也氏とMC泉ゆうこ)の掛け合いで、話が進んでいきます。

まず呉港に入港して新規のお客様を乗せて、一路松山観光港を目指すという企画です。呉の街並み紹介は、二日目のお楽しみです。オンラインビジネスが急遽立ち上がり、売り込みが盛んになっています。しかし今日のこの類いのONLINEは、私も初めての経験で、なかなか面白いなと感じました。

瀬戸内を陸から!海から!おうちで楽しめるオンラインツアーを配信。旅行になかなか行きにくい今、皆様に旅気分を2日間に渡って無料でお届けします!というのも納得気分。前もって、『非日常』である『旅』を刷り込んでおく。新型コロナウィルスも、永遠に続くはずもない。アフターコロナの下準備としては、なかなかの工夫。

初日13日の一部は、まず「瀬戸内海の移動を楽しむ、みんなの公園」をイメージしたクルーズフェリー「シーパセオ」からツアーのみどころをご紹介!そして二部では、よしもと住みます芸人の「うっつん」さんが語る愛媛県の魅力や、テラスから眺める瀬戸内の多島美を提供。愛媛県を「笑媛県」にしたい!そんな愛媛県の魅力や思わず笑ってしまう思い出をピン芸人らしく熱く話しています。

夜は日本最古の温泉と言われる道後温泉へ。道後温泉本館の坊ちゃんの湯は、日本最古の湯として記紀の中でも紹介されていて、道後舘からトークライブを放映していました。因みに『古事記』の完成は712年のこと。同じ四国内のある道後温泉は、由緒ある温泉です。

14日の二日目は、瀬戸内海に浮かぶ島々と、御手洗港からの古い街並みなどの紹介、大山祗神社(おおやまつみじんじゃ)から生樹の御門へ、続いて村上海賊ミュージアムへ。ライブ配信は全9巻に渡り、各20分ごとの時間割で、これが終わると30~90分の移動休憩が入ります。途中で電波が途切れるなどのアクシデントはありましたが、アフターコロナでは、『行ってみたい』と思わせる企画になっていました。

最近はデジタルを駆使した新企画が登場していて、その多くは『廉価』ですが有料になっています。もう良いなと思っているところに、『無料』のこの企画。新鮮な好感を、食傷気味の私に贈ってくれました。直接的には訴求効果のないと思われている新幹線のJR西日本、広島までは新幹線で来てねと言う、間接的な訴えも『さもありなん』と好印象。


| http://nobuchin.0011.co.jp/index.php?e=5156 |
| 社長日記 | 09:52 AM | comments (0) | trackback (0) |
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