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オイスカ四国研修センターでベトナムからの研修生修了式
ベトナムから研修に来ていた「トゥ(Ms.Dao Khue)25女性」さんが、1年半の研修を終えて、今月末帰国します。今日はたった一人の修了式にもかかわらず、大勢の関係者が集まっています。「トゥ」さんへは、小野隆オイスカ四国研修センター所長から、中野悦子オイスカ理事長からの修了証書が代読されます。私も初めての参加で、英語で書かれているのには驚きました。

流石オイスカ・インターナショナルは、「すべての人々がさまざまな違いを乗り越えて共存し、地球上のあらゆる生命の基盤を守り育てようとする世界」を目指して1961年に創立された、現在34の国と地域に組織を持つ国際NGOです。また四国研修センターは、国内に四つしかない研修センターの一つです。

現在、公益財団法人オイスカ四国支部の事務局長をされている塚田修一氏は、オイスカを古くから知る人物の一人ですが、民主党政権前にはオイスカへも年間2億円の補助金が交付されていたとか。それが「仕分け」によって、補助金がゼロになったそうです。その頃と今も同じように、国内4研修所で海外からの研修生を受け入れています。

国からの交付金がなくなった今でも、会員の会費が招聘費用の一部に充当されています。従って私なども、オイスカ入会を知人を頼りに真剣に働きかけています。ライオンズクラブなどの奉仕団体にも私は所属していますが、このオイスカの方が、より具体的に活動が「見える化」されています。この「トゥ」さんも、今日の研修生スピーチを聞いていて、日本語が格段に上手になっています。

帰国後は、日本で学んだ「家政コース」、おもに日本の食事に関する学習ですが、ベトナムはこれまでオイスカの関与も少なく、十分とは言えず、これからの体制づくり役も「トゥ」さんの双肩にかかってくるのでしょう。オイスカは木を植えて、人材育成に傾注します。自然環境が破壊されつつ、国と国との利害関係がギクシャクする中、オイスカは自分たちの活動領域を広げています。

そして10月11日(金)16時から、ホテルパールガーデンで「第27回オイスカ四国のつどい」が予定されています。オイスカを、知ることが出来るイベントです。記念講演は、「海岸林再生プロジェクト」宮城県名取市でオイスカが10年計画で取り組んでいるプロジェクトの報告です。中野悦子オイスカ理事長も来ます。皆さんで、「いのち輝け」の斉唱をしましょう。






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| 社長日記 | 09:38 AM | comments (0) | trackback (0) |
8月は15日と25日が自分の中の記念日と旧日本軍の小野田寛郎少尉
8月15日は終戦記念日、日本が連合国に負けたことを、昭和天皇がラジオで国民に知らせた日であります。また25日は、父茂が病魔に負けた日です。24日夕方、思い出したように墓じまいに行きました。墓じまいと言ってもお墓をなくすことではなくて、お盆のために飾り付けた灯籠等を片付けるために行きました。

父親が亡くなったのは、昭和37年8月25日。今から57年も前のことになります。同じ年の母サチ子は37歳、私は10歳妹の恵三子は6歳でした。夏の暑い日が、葬儀告別式でした。高徳寺の蝉がガンガン鳴いていました。今のように40度に届こうかという気温ではなかったのですが、暑かった記憶が鮮明に今でも残っています。

残念なことに闘病中の父親と、話しをすることはほとんどありませんでした。肺がんを患っていた父親は、痰が絡んで随分苦しそうでした。私が背中をさするのですが、若かっただけに進行も早く、随分苦しんで彼岸に亘りました。私は少しでも家の中を明るくしたいと思い、父親にも語りかけていました。「ノブヒロはおしゃべりやの」と言われる始末。

10歳の私に言うことがなかったのだと思いますが、父親と話しが出来なかったことが悔やまれます。翻って今の私、二人の男の子と話しをしていません。こうして私も、やがて彼岸に亘るのでしょうね。もう一つ、なぜだか思い出すのは、フィリッピンのルバング島で旧日本軍の小野田寛郎少尉が見つかり、1974(昭和49)年私が大学生の頃ですが、およそ30年ぶりに日本へ帰国されたことです。

小野田さんは陸軍中野学校の出身。「生きて虜囚の辱めを受けず」とする戦陣訓の教えとは異なり、中野学校の一番の目的とするところは、最後の一人になっても戦え、玉砕してはならず捕虜になっても死んではいけないとするもので、主力の撤退後も任務を全うするよう教え込まれ、反撃に備え敵陣内で諜報を行う残置諜者(ざんちぼうじゃ)となるよう叩き込まれた。

帰国後小野田さんは兄のいるブラジルへ渡り、牧場経営をはじめます。その後小野田さんは結婚をし、日本では子どもたちに「生きる意志の大切さ」を伝える小野田自然塾を開塾。2014年91歳で亡くなりました。当時の米紙ニューヨーク・タイムズは、「戦後の繁栄と物質主義の中で、日本人の多くが喪失していると感じていた誇りを喚起した」と世界に発信しています。なぜか、セットで思い出す8月の出来事です。


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| 社長日記 | 09:48 AM | comments (0) | trackback (0) |
ライオンズ農場の草刈り2019夏
今日も、楽しい草刈りでした。高松栗林ライオンズクラブでは、青少年の健全育成という観点から、高松中央小学校(旧松島小学校)子供会と共同して、子ども体験農場を、もう30年以上にわたり取り組んでいます。今年の収穫品は、サツマイモです。子どもらと一緒に、5月連休前に植え付けをしています。

私もサツマイモの作付けを、自分の畑でもしていましたが、水の管理等が容易で、植え付ければ収穫できるという優れた農産品です。しかし草は、追肥の影響もあり、どんどん伸びています。今日は、L藤本尊載が委員長の委員会メンバーを中心に、8時から作業にあたります。私とL那須雅人が草刈り機を持ち込み、入り口付近の雑草を刈ります。

L藤本尊載は弁護士で、草刈りの経験などありません。その点を考慮して、私も所属委員会は違いますが駆けつけました。前日は高知にいて、「泊まれ」と言われたのですが、今日の作業のため、最終便で帰って来ました。金曜日のコトデンは「零時便」があり、心ゆくまで呑んで帰れます。

作業は1時間ほどで終わり、と言うより1時間ぐらいしか出来ないのです。このところ「草刈り」と縁がある私ですが、1時間ぐらいして休憩して、そしてもう1時間程度はできると思いますが、ここでの小休止が「作業完了」の合図となります。この後は、近くのファミリーレストランで「お茶」にします。

このお茶の時間が楽しいのです。朝食を食べて来た者も、「モーニングセット」を注文します。米が主食の「和定食」も用意されています。コーヒーを飲みながら、ライオンズクラブに関する話題を自由闊達に討議します。比較的会歴が浅いメンバーが中心ですから、私などが疑問への回答者の一人となります。

この農場の状態であれば、秋には豊作のサツマイモが収穫できると思います。子ども体験農場、暑くて面倒ですが、今年もそれなりの効果を発揮することでしょう。みなさん、お疲れ様でした。私はこれから着替えて、オイスカの「トゥ」さんの研修修了式へ駆けつけます。


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| 社長日記 | 10:07 AM | comments (0) | trackback (0) |
四国新幹線計画に思わぬアクシデントと慶事
23日東京で行われた四国新幹線計画の決起集会、四国4県の知事のうち浜田恵造香川県知事だけの参加になったようだ。高知県の尾崎正直知事は今月21日、4選に出馬せず、次期衆院選への立候補を目指す考えを表明。後継者として、総務省の浜田省司総括審議官(56)に立候補を打診していた。

その浜田省司氏は、23日総務省を辞職し、週明けに高知県内で記者会見をする予定という。11月7日告示、24日投開票の高知県知事選に立候補するのは間違いない模様。このような動きに呼応してか、先の決起集会に、尾崎正直高知県知事は出席せず、また飯泉徳島県知事も次期全国知事会長に就任する予定だが、欠席だったようだ。中村時広愛媛県知事は「維新」だから、自民党主流の決起集会に顔がないのは理解できる。

四国新幹線の自民党議員の旗振りは、高知第2選挙区の山本有二衆議院議員(現在は比例四国)。2014年12月の第47回衆議院議員総選挙でも、高知2区で9選。2016年、第3次安倍第2次内閣で農林水産大臣に就任。2017年8月3日の第3次内閣改造で大臣を退任し、自由民主党財務委員長に就任。

2017年10月の第48回衆議院議員総選挙では、野党統一候補として出馬した無所属の元参議院議員広田一に破れ、重複立候補した比例四国ブロックから復活し、10選を果たしている。尾崎正直知事は、この第2選挙区から立候補するモノとみられている。となると、山本有二衆議院議員との闘いとなる模様。これがアクシデント。

一方慶事は、飯泉徳島県知事が次期全国知事会長に就任することだ。正式には、9月3日に都内で開く全国知事会議で正式に選出される。浜田恵造香川県知事が代表となり、全国30人の知事の推薦をうけての立候補。他に立候補がなかったことから、飯泉徳島県知事が選ばれることになった。

四国から全国会長が選ばれるのは初めてで、任期は2021年9月までの2年間。この間に、整備新幹線計画に入れば、四国新幹線計画も現実味を帯びてくる。高知2区の闘いも気になるところだが、尾崎正直知事の市井での評判はすこぶる良い。出来ることならば、県知事・国会議員が手を合わせて、四国新幹線計画に邁進してほしい。


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| 社長日記 | 04:09 PM | comments (0) | trackback (0) |
履正社が甲子園初優勝星稜破り令和初の王者
第101回全国高校野球選手権大会は、履正社(大阪)が5-3で星稜(石川)を下し、初優勝した。高松商も出場した今大会、私も関心を持って観ていました。それでも仕事がある関係で、昼食時や、クルマ移動の時だけ、彼らは野球が任務、私はまだ仕事が、課せられた責務であります。有り難いことに今日は定休日で、14時前から、決勝戦を堪能しました。

選抜大会で2度優勝している履正社は、春夏を通じての初の甲子園大会制覇で、昨年覇者大阪桐蔭に続き、2年連続大阪勢の勝利。過去に名を馳せた、PLや浪商を彷彿させるものがあった。そしてもう一つ確信を持ったのは、「私学有利」。公立高校には色々と足かせがあり、私学の自由度がうらやましい。

試合についての内容は色々なメディアで報道されているとおりで、あらためてここで述べることはありません。別の面から一言、私は高校生も「木製のバット」を使って試合をしないと、不公平だと感じました。過去に、甲子園の「ラッキーゾーン」が廃止になった。高校生の体格が年年大きくなり、金属バットを振り回したら、「芯にあたる」ことなくホームランも出るし、ヒットもあるだろう。

高野連も日程の工夫をしたり、投手ケアーをいろいろ考えているように思うが、最後は木製のバットへの回帰だと思う。確かに木製のバットと金属バットは、価格が違う。また木製バットは、折れたり損傷が多い。プロ野球は木製バットを使っているが、プロとアマチュアでは、収入が違う。この点からも、金属バットが導入された。納得する。

星稜の奥川投手は、本当にバランスの良い投手だと思いました。しかしその日本一の投手を履正社は、打ち崩した。聞くところによると、今年の春の選抜で、履正社は星稜の奥川投手に3安打完封されたようだ。春は投手優勢、夏は打者優勢と言われるが、履正社はその敗戦を糧として、「打倒奥川」を掲げて精進した。

確かに履正社4番の井上選手が、3回の打席で、前の二人が四球で出塁後、ストライクを見越したように一球目のスライダーをホームランとしたのは立派だ。あの場面は井上選手をほめるべきだが、二つの四球は、この試合の結果を予見させるモノだったと私は思う。奥川投手は、攻めて四球を出したのだが、そんな投球を井上選手は見ていた。前の回の打席も、脳裏に残っていたのだろう。

また履正社の、2番手岩崎投手の好投も勝利の方程式の変数だった。彼の好救援が、試合の流れを履正社に戻した。同点に追いついた後も、星稜は、勝ちきれなかった。二年生の岩崎投手を中心にして、暫く履正社の天下が続くように感じました。それにしても選手は、甲子園という大舞台で、成長するモノなのですね。良い試合でした。


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| 社長日記 | 10:16 AM | comments (0) | trackback (0) |
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