二日の朝は、日本国中『箱根駅伝』、5位で5区へ襷をつないでも、何と往路優勝まで駆け込んだ青山学院大。明日の復路優勝、総合優勝が一層楽しみになりました。それにしても明治大の姿がないのが、何とも寂しい。5区へつないだところで、今日も熊野神社へ出かけます。神社三昧ですが、その前に宿題が、旧盛和塾機関誌を再読し、気づきを12グループの仲間に送ります。
その原稿をここに紹介するわけには参らぬが、機関誌125号には、お釈迦様の仏説比喩経について稲盛和夫塾長が解説しています。その概要を紹介します。
木枯しの訪れも間近い、晩秋の夕暮れ、旅人が家路を急いで帰ろうとしています。ふと見ると、足元に白いモノがいっぱい落ちている。よく見れば、それは人間の骨です。「なぜ、こんなところに人の骨が」と気味悪く、不思議に思いながら家路を急いで進んでいくと、向こうから一頭の大きな虎が吠えながら迫ってきます。旅人はびっくり仰天し、なるほど、この骨はあの虎に食われた哀れな連中のなれの果てかと思いながら、急いできびすを返して、いま来た道を一目散に逃げていきます。
しかし、どう道を迷ったモノか、断崖絶壁につき当たってしまう。崖の下は荒波逆巻く海。後ろからは虎。進退窮まって、旅人は崖っぷちに一本だけ生えていた大きな松の木によじ登ります。しかし、虎も木に登れるわけです。恐ろしく大きな爪を立てて、松の木を登りはじめている。今度こそ虎に食われるのかと観念しかけましたが、目の前の枝から一本の藤づるが下がっているのを見つけ、旅人は藤づるをつたって下へ降りていきました。しかし、つるは途中で途切れており、旅人は宙ぶらりんの状態になってしまいます。
上の方では、虎が舌なめずりしながらにらんでいる。しかも下をよく見ると、荒れ狂う海には赤、青、黒の三匹の竜が、いまにも落ちてきそうな人間を食べてやろうと待ち構えています。さらに、ガリガリと音がするので、目を上げると、藤づるの根元を白と黒のネズミが交互に囓っているではありませんか。そのままでは、つるはネズミの歯にかみ切られて、旅人は竜の口へと真っ逆さまに落下するほかありません。まさに絶対絶命です。
旅人は何とかネズミを追い払うべく、つるを揺すってみました。しかし、いくら揺すってみてもネズミは去ってくれません。すると、なにか生ぬるいものが頬に落ちてくる。なめてみると甘い蜂蜜です。つるの根元の方に蜂の巣があり、揺さぶるたびに蜜がしたたり落ちてくるのです。
旅人は、その甘露のような蜜の虜になってしまいました。虎と竜の挟み撃ちに遭い、たった一本の命綱であるつるをネズミに囓られているにもかかわらず、そうした自分が置かれている絶体絶命の状況も忘れて、何度も何度もその命綱を自ら揺さぶっては、うっとりと甘い蜜を味わうことを繰り返します。藤づるを揺す、れば揺するほど、また藤づるの根元がネズミに囓られてだんだん細くなっていきますから、自分の体を支え切れなくなって落ちるのは必定であります。それでも、揺すっては甘い蜜が落ちてくるのをなめながら、それに酔っている。
これが欲にとらわれた人間の実相であると、お釈迦様は説いておられる。それほど切羽詰まった危機的な状況に追い込まれてもなお、甘い蜜をなめずにはいられない。それが私たち人間のどうしょうもない性(さが)であると述べておられるのです。少し長くなりましたが、確かに人間の生き様、あるいは人間の持つ欲望の根深さを表現したたとえ話としては、これ以上のモノはないように思われます。