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大分市佐賀関の170棟焼失大火の教訓
18日午後5時45分頃、大分県大分市佐賀関で発生した火災は、日本中を震撼とさせた。地震や津波と違って、火災はどこでも起こる災害で、これからの時期乾燥したところに強風が吹き荒れ、ボヤだった失火が初期消火が出来なかったため、大変な被害になってしまう現実を、全国の人は目の当たりにした。少子化のため初期消火が出来ず、空き家も多かったことが誘因とされている。

瀬戸芸の舞台となっている瀬戸内海に浮かぶ島々も、道路は人が通る程度の幅しかなく、自動車社会が誕生する前に出来あがった集落が広く続く。佐賀関の町並みも想像するに、瀬戸内海の島々とそう変わらない風景だったと予想できる。先の大戦の惨禍がなかっただけに、入り込んだ木造住宅が密集して建っている。近代建築基本法が施行される前の家屋で、一番の致命傷は、集団規定つまり道路や隣接家との立地規程がないことだ。

1919(大正8)年の『市街地建築物法』『旧都市計画法』前で一般的に昔の家は、どこにでも建設できて、躯体がしっかりしていれば問題がなかったのですが、戦後住民が増え住宅が密集するにつけ、危ないところなど都市計画法で場所が規制され、道路幅員が4㍍(雪国にあっては6㍍)以上求められるようになりました。これは1950年(昭和25年)の建築基準法の施行から、今日まで続く規制です。これは国民の命と財産を守る方策で、自身のためにあります。

建築基準法第42条により、都市計画区域内では「建築物の敷地は、原則として幅員4㍍以上の道路に2㍍以上接していなければならない」という接道義務が設定されました。これが現在まで続く「4㍍道路」の起点です。なぜ 4㍍なのかといえば戦後、火災時・救急時の通行や避難を確保するため、消防車が通行できる最低幅員として4㍍が採用されました。

1950年施行時点で、既に市街地には4㍍未満の道路が多く存在したため、既存の狭い道路は“(建築基準法第42条)2項道路”として指定可能とされ、その場合は 中心線から4㍍を確保するように双方に2㍍セットバックする仕組みが導入されました。その時に既に住宅が集中していた道路は、今度の立て替えの時には道路中心線から(それぞれが)2㍍下がって敷地境界線とすることになり、幾度かの改正を経ても今もこれが大原則です。

法律が後追いのため、5~6㍍としたいところ、やむなく4㍍になったわけですが、この後退規制も長く適用が緩く、違反箇所が市内でも数多く見られます。昭和25年当時から、個人の建築確認申請では2㍍後退しますと書きながら、実際には後退せず建築するか、後退しても、そこに花壇を作ったりしているのが当たり前でした。

特に高松市の案件でも、香川県が処理していた時代には行政が人手不足から現場確認出来なかったことが横行し、『位置指定道路』などでも幅員4㍍申請で、現場は3㍍しかないという場所が、信じられませんが今でも多くあります。社会インフラの原点である、みんなが使う道路がこの体たらく。本来の道路部分として残すところを、先輩の不動産屋は敷地として売って金にしたのです。

今回の大規模火災が、この狭わい道路だけに原因があるとは言いませんが、人の欲が70年の歳月と共に仇になった側面もあると思います。同時に顕著化しているのは『空き家問題』で、住まなくなった空き家は解体して空地にしておけば火災時でも延焼緩衝帯として大きく貢献するのですが、自費で解体(概算木造2階建延べ30坪で300万円程度)しても、先の狭わい道路沿いではその土地を売却するのが難しいのです。

さらに空き地で駐車場にすると、土地の固定資産税が約5倍になります。相続人は、売却代金で補えるなら建物解体もやぶさかでないのですが、追い金を出してまで相続不動産を処分しようとは考えないモノです。佐賀関の火災跡地は、公共機関が残地処分をして、再開発事業の『土地区画整理法適用事業』(各自が自分の土地の一部を無償譲渡し道路などにする)としてやれば理想だが、時間と人口が足りない。

この現状から、評論家のように「空き家は解体して空地を作りましょう」と喧伝しても、まさに絵に描いた餅状態で終わってしまいます。津波もそうですが、人間は便利なところに建物を建築します。火災も、密集して便利がゆえに大規模災害化してしまいます。人の欲、先祖の欲だったかもしれません。お互いに『足るを知る』ことですね。このコミュニケーションが、幸いに佐賀関の多くの人の命を救いました。


| http://nobuchin.0011.co.jp/index.php?e=6904 |
| 社長日記 | 09:32 AM | comments (0) | trackback (0) |

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