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香川県立三本松高等学校同窓会大中三高会報No.54
先述の『香川県公立高校同窓会協議会』を通じて、標題の会報誌が届きました。初めて拝見するモノで、高松商校も5月1日に『紫雲会TIMES』を創刊しており、比較しながら興味深く拝読しました。他校の会報誌(16ページ横書き)を読むと、参考になることが多い。三本松高校は、1900(明治33)年に高松中学(現高松高校)の東讃分校として開設され、常に『東讃の雄』として輝かしい歴史を刻んでいます。

一番に紹介されるのは東京大学総長をされた南原繁先生だが、生成AI解説で南原繁(なんばら しげる)先生は、1889年(明治22年)香川県大川郡南野村(現・東かがわ市)生まれ。幼少期に父が家を出たため、母の手で育てられました。教育熱心な母の影響で、1907年に香川県立大川中学(現・三本松高校)を卒業し、第一高等学校を経て東京帝国大学法学部政治学科に進学しました。

戦時中は法学部長として終戦工作にも関与し、1945年12月に東京帝国大学第15代総長に就任。戦後の混乱期において、教育制度の再建、日本国憲法の草案審議などに関与し、平和と民主主義の理念を教育に根付かせる役割を果たしました。彼の母校・三本松高校では、南原先生の功績を顕彰する活動が続いており、「南原ウォーク」などの行事や、図書室に掲げられた書「真理」などがその精神を伝えています。

また、彼が9歳の時に書いた「我ガ望」という文章には、「勉学し、他国でも学んで教育を進歩させる」という志が記されており、初志貫徹の精神がうかがえます。南原繁先生は、香川が生んだ偉人として、教育と平和の礎を築いた人物であり、その精神は今も地元や学界で語り継がれています。このこともこの会報誌で、触れられています。

もう一人樋端久利雄(といばな くりお)氏について、彼は旧制大川中学校(現・三本松高校)を卒業し、海軍兵学校・海軍大学校をいずれも首席で修了した帝国海軍きっての秀才参謀です。海軍航空隊に所属し、航空兵器の改良や戦術の考案に尽力。彼の名を冠した「樋端ターン」と呼ばれる攻撃法も生まれました。1943年4月18日、山本五十六の前線視察に同行中、ソロモン諸島ブーゲンビル島上空で米軍機に撃墜され戦死。享年39歳。

樋端久利雄氏は、南原繁氏と並び、香川県立三本松高校(旧・大川中学校)が輩出した偉人の一人として、教育・軍事・国際分野で多彩な才能を発揮しました。私は三本松高校と聞けば、常にこの二人が浮かびます。時代が違いますが、三人目が許されるなら迷うことなく赤澤庄三(帝國製薬)氏を思い浮かべます。また今年の総会で3期6年の会長職を、予定通り辞した名渕薫会長ご苦労様でした。高松支部長に就任された藤本博之さん、先の県立同窓会協議会のまたどこかでお目に掛かります。

そして三高さんも一緒かと思うのが、会費徴収の苦労ですね。年間231万円は大きく負けていますが、高松商紫雲会も頑張ります。ご指導、よろしくお願いします。



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| 社長日記 | 06:36 PM | comments (0) | trackback (0) |

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