香川県内の貴重な地形を地域活性化に活用する『せとうち讃岐ジオパーク構想』の推進に向けたシンポジウムが3日、高松市幸町の香川大学で開催された。地質と食の関係などを研究する『ジオリブ研究所』(大阪市)の巽好幸所長は、魚やうどんといった香川が誇る食文化について、地質や瀬戸内海の成り立ちに基づいた魅力の伝え方などを提案。参加者は多様な視点で、構想実現へ考えを深めるシンポジウムになったと新聞は伝えている。
具体的には香川の魚介類を挙げ、「備讃瀬戸などの潮流の速い場所の魚は、泳ぐためのエネルギー源である『アデノシン三リン酸(ATP)』が豊富だと説明。「ATPはうまみ物質の源になるため、香川の魚は美味しい」と解説。また土器川の伏流水は上流域の地形の影響で硬水であることに触れ、「軟水に比べて小麦粉内のタンパク質がグルテンに変化しやすく、コシの強いうどんが生まれた」とうどんと水の関係も解説。「讃岐うどんはジオが作った」と結論づけている。
この記事を読みながら、過去に読んだ本を思い出した。PHP文庫竹村公太郎著「日本史の謎は地形で解ける(2013年10月)」と「日本史の謎は地形で解ける[文明・文化編](2014年2月)」と「日本史の謎は地形で解ける[環境・民族編](2014年7月)」の3冊だが、私はこれらの本に非常に驚かされた。ここでは解説をしないが、目から鱗の世界で、言われてみれば至極当然。コロンブスの卵のような合理的納得を得た。
竹村公太郎氏は、国土交通省(旧建設省)の局長だった。少しだけ引用するのだが、「信長の比叡山焼き討ちに関しては、大きな疑問が残されたままだ。その疑問とは、なぜ、信長は徹底して僧侶たちを虐殺したのか?である。人文社会の分野では、原因を信長の狂気に押しつけてしまう。
しかし、地形から比叡山焼き討ちを見ると、その疑問はあっと言う間に解けていく。信長は、逢坂(大阪)と比叡山の地形に心から怯えていた。恐怖に駆られた信長は、僧侶たちを徹底的に抹殺せざるをえなかったのだ。歴史は、概ね古文書をもとにして時の勝者のために書かれることが往々にしてある。竹村公太郎氏は仕事柄まず地形を見て、そこに繰り広げられた歴史的出来事をそこに置いて、原因を推測する。
先の3冊のどこだったかに、今NHK大河ドラマ『べらぼう』で描かれている『吉原』に関する徳川幕府の思惑も地形にあると書かれている。あれは幕府が普請した水運改修、つまり川の付け替えの公共事業の一環だったと竹村公太郎氏は書いています。幕府公認で吉原遊郭をあの場所につくり、大勢の人流が川の堤防の地固めとなったという話し。橋の手前までは船で行っても、橋から先は歩きだけ。勇んでいく人々のエネルギーが、堤防を強くしたのです。そこは年寄りの行く寺ではなく、若者が行きたがる吉原だったのです。江戸中期の中だるみに差し掛かった頃の、徳川幕府の政治の一環です。