高校時代の同窓生が大阪より帰省して、わざわざSOHOまで、コトデンに乗ってその後歩いてきてくれた。前日親の法要が高松市内であって、今日の約束はしていたのですが電話をくれたら出迎えするつもりにしていたら、かみさんが案内して友が来た。高商同窓会紫雲会大阪支部の総会などで、最近も逢っている。彼が実家の処分を相談したいとやって来た。事前に高松市からの『固定資産税評価証明書』を、カメラ撮影でもらっていた。
もらった資料から実家を特定し、彼からの連絡を待っていたのだが、久しぶりのコトデンだと仏生山駅まで来て、そこから歩いたようだ。幼い頃の仏生山町には『菊人形展』があって、遠足で来たことがあると懐かしんでいた。今になっては『仏生山菊人形展』を知る人も少なくなったが、われわれの世代は覚えている。街の有志に支えられて、20年くらいやっていたと思います。
仏生山菊人形展は、昭和30年代から40年代にかけて香川県仏生山町で開催されていたイベントです。このイベントは、地元の農業祭とともに秋の楽しみの一つとして親しまれていました。菊人形展では、菊の花を使って作られた人形が展示され、多くの見物客を集めていました。今なら大谷翔平選手を象った菊で出来た人形が登場していたことでしょう。
しかし、後に仏生山での菊人形展は高齢化のため中止され、庵治町のマリンパークで開催されるようになりました。その結果、仏生山での菊人形展は姿を消し、5~6年して香川県からも完全に消滅してしまいました。創意工夫がちりばめられた、今で言う町おこしイベントだったと思います。
このイベントが、法然寺の近辺にある仏生山公園で行われていて、幼少期(小学生)にこのイベントによく出掛けていました。芝居小屋では当時の最新舞台演技などが行われ、菊花展とともに大変賑わっていました。ここの飲食店にうどんを納品していて、売れ具合を実家に連絡するのが私の仕事でありました。そんな関係で私も仏生山菊人形展は、いまだに忘れられない思い出であります。
同窓生の実家は一宮町にあり、香川県住宅供給公社が宅地開発したモノです。この地に築後60年近い木造平家建ての住宅が1棟あり、付近の区画では真新しい建物が建ち始めています。丁度新旧の交代期にある団地の一角です。この頃にしては珍しく、道路幅員が5Mの東南の角にあります。家屋の中は、流石に歴史を感じるモノですが、立派な庭がついています。
彼の親父さんの自慢の庭だったようですが、今は樹木も切り込まれ、庭石の撤去が大変だと見えました。他人の居宅ですが、話を聞くと人ごとながら苦労を重ねてこの家があるように思えて、涙が出そうになりました。こうした思い出の実家を、売却させて頂ける仕事が私に与えられています。第3者に売却しますが、子育て世帯の若夫婦を買主と想定し、恐らく新しい家が建つことになると思いますが、土地は地球から借りている有限資源。必要としている人の手に渡れば、土地も私も本望です。