一般社団法人香川宅建の女性クラブ実行委員会(濱井晴美委員長)は4日、前日が暦の上の立春と言いながら今季最強の寒波に遭遇し、雪花を見ながらバスで日本発祥の地と言われている兵庫県の淡路島へやって来ました。バス2台で総勢64名の大所帯です。一行は女性クラブと言いながら、男性も混じり、私もその一人であります。
2年に一度こうしたプチ旅行を、その隔年は研修会を開催しています。不動産業に携わる女性目線で、研修会もこのプチ旅行も企画されています。災害被害が多かった熊本へ出掛けて惨状を知り、そこの代表者を香川へ招聘し、災害が起こった際の不動産業者の対応を学んだ年もありました。発足当時の金森幹子委員長は現在も常務理事として残り、後輩の指導を続けています。
ここ淡路島は高松から見ると、関西圏へクルマ移動する途中の高速道路の橋脚の街で、私も島内の下道を走るのが久しぶりでした。高速道路から見る島内は観光に特化し、パーキングエリアで販売する名産物例えば『タマネギ』『たこ煎餅』などを生産するといった好循環を続けているように見えていますが、下道を走ると、使われなくなった家屋が随分散見されます。
ここもご多分に漏れず、若者が都市部の関西圏に移っているようです。そんな中の島内も、観光目的と言えると思いますが道の駅に併設して『阿波人形座』浄瑠璃鑑賞館を新設しています。とは言いながら知らないのは私だけで、完成からもう何年も経過しているようですが、私ははじめて来ました。演目は『傾城阿波の鳴門・順礼歌の段』(けいせいあわのなるとじゅんれいのだん)。
おなじみの「ととさんの名は十郎兵衛、かかさんはお弓と申します」という順礼の娘お鶴の台詞がよく知られる傾城阿波の鳴門は、明治5年に竹本座で初演されました。現在では、十段あるなかの八段目のここだけが上演されます。盗賊の一味となって敵を探す立場の親は、親子と名乗るとこの子まで盗賊にしてしまうことから母親だと名乗らずわが子を追い返す場面でお約束の涙です。
あやつり人形は3人一組で、リーダーが左手で頭面(120年モノ)を操り、右手で人形の右手を、もう一人が人形の左手、さらに足の運びをもう一人が担当し、まるで生きているように操作します。特に頭面は表情を作るため、目や口、眉毛まで精妙に動きます。人形が泣くシーンでは、手に取ったタオルを動かさず、顔を手に近づけて泣きます。人形遣い独特の所作が、随者に多くちりばめられています。もう一つのお約束『おひねり』を、舞台へ投げますが届きません。前の観客は大変です。
食後は『おのころ島神社』へ参拝、日本列島が出来る課程で一番がこのおのころ島だと『古事記』に書かれています。次に淡路島がそして四国九州、最後に本州が出来あがります。この頃北海道はまだ認識されていませんが、東北すらなかったのかと思われます。ユーチューブ解説だと、ここ淡路島の近くの『伊勢神宮』、島根県の『出雲大社』ともう一つ『石上神宮』が日本三大神社と言われているそうです。
私も知りませんでしたが『石上神宮(いそのかみじんぐう)』は、奈良県天理市に位置する日本最古の神社の一つです。主祭神として布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)を祀り、健康長寿、病気平癒、除災招福、百事成就の守護神として信仰されています。 境内には、国宝に指定されている拝殿や、樹齢300年以上の神杉など、歴史的価値の高い建造物や自然が多く存在します。
また、国宝の七支刀をはじめとする貴重な宝物も収蔵されています。また石上神宮は、物部氏の総氏神としても知られ、古代から武門の棟梁たる物部氏の信仰の中心でした。さらに境内には多くの鶏が放し飼いにされており、訪れる人々の目を楽しませています。石上神宮は、日本最古の道とされる「山の辺の道」沿いに位置しており、歴史的な散策と併せて訪れるのもおすすめのようです。
以上が淡路島プチ旅行ですが、実は10年位前に高松栗林ライオンズクラブつり同好会でここの沼島へ釣行したことがあります。L吉村屹やL大高保雅L喜多俊雄など退会し、他界されたメンバーとも実に楽しい宴会(勿論つりが主)をしたことも思い出されます。一緒したL塩田博志、L馬場基尚と私は元気しています。