オイスカの石見康雄四国支部事務局長が、20時前にSOHOに駆け込んできた。事前に、名取の鈴木英二(『名取市海岸林再生の会(鈴木英二会長)』)氏から、名取防砂林養育活動に参加した8人にそれぞれ一式が届いているとの連絡がありました。明日でも良いとは言いづらく、SOHOで首を長くして待っていました。勤務地の四国研修センターを、出るのが遅くなった石見康雄四国支部事務局長。二日後の日曜日には、尾の瀬山のオイスカ憩いの森の下草刈りイベントを控えています。
名取でのわれわれの仕事を評価して下さったと言うより、持参した支援金が野菜を届けるパワーになったのかも知れません。本当に地元農家の新鮮野菜が多く、箱詰めされています。この野菜を作っている農家のみなさまが、オイスカの海岸林事業を支援して下さった人たちです。石見康雄四国支部事務局長はその他の参加者へも届けたのだろうか、中には日曜日に受け取る会員も8人の内にはいるのだろう。
拙宅と石見康雄四国支部事務局長の自宅は、同じ町内にあり距離も近い、加えて24日の日曜日は朝から熊野神社清掃、その後にライオンズ仲間の祝賀会があり、尾の瀬山のオイスカ憩いの森アクティビティに私は欠席になります。そんなこともあり、無理して届けてくれたのだと、冷静になったら判断できるのです。
かみさんが野菜の名前と調理法が判らないと言うので、スマートフォン内の『Google』アプリで写真に撮ったその野菜の名前を尋ねてみました。『白菜』だという答えですが、調理法はここには書かれていませんでした。山歩きなどしていたら、道ばたの花の名前が分からないときがたびたびあります。その際に、同じように撮影してグーグルに聞いてみます。覚えられないのが、玉に瑕ですが。
オイスカは木を植え、米を作り、人を育てて60年間やって来ていますが、日本での植樹はこの名取が最大規模であります。500メートルの幅で20㎞(100ヘクタール)に及ぶ広大な土手に、種から育苗した苗をオイスカは1本1本手植えをしています。ボランティアが植えた苗は、名取市海岸林再生の会(鈴木英二会長)のプロが見直しします。オイスカの海岸林再生の担当部長、吉田俊通さんはまず植え付ける土壌が大事だと言います。
しかし土壌は国が防潮堤工事として、近傍の山から採取した土で3mのかさ上げを一律にしています。その山土の質によって大きくその後が変わるようですが、それはもう仕方がない。次は苗の質と植え方とか、いろいろ専門的な理論はあるようです。3.11東日本大震災の津波災害直後には防砂林として広葉樹が適とされたこともあったとか、オイスカの海岸林再生の担当部長、吉田俊通さん(55)らは、『黒松』が最適だと力説し、今日に至っているようです。
オイスカの海岸林再生の担当部長、吉田俊通さんらの活躍で、名取市海岸林再生計画はこの後も順調に推移することでしょう。10年と言うから、この先息の長い活動になりますが、現場で私が見た植え付け地、例えば林野庁のOBが植え付けたエリアは俗に言う「ボウボウ」で、そこからはえたツタが、生育の良いエリアまで侵食してきています。これが害して、健全なマツが枯れていきます。
やはり植え付けただけでは、真の海岸林再生にはならない。10年かけて植え続け、その後の育成が少なくとも10年かかる。その間に植え付けた松の干ばつも、マツの成長とともに必要になっています。こんなところにオイスカの矜持と、それをやらせてくれている名取市海岸林再生の会(鈴木英二会長)の地道な活動があります。