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第30回オイスカ四国のつどい
今年のオイスカ四国のつどいは、30回の節目で、30年継続会員の表彰がありました。勿論そのさらに上の『50年継続』や『40年継続』の会員表彰もありましたが、残念ながら臨席適わず、後日お届けで差し上げることになります。その他『30年継続』と『20年継続』、こちらは支部表彰となりますが、泉雅文会長から参加者全員一人一人に渡されました。

オイスカは会員の会費と寄付金がすべての原資で、会員動向が組織運営上は一番の関心事になります。『山・林・SUN体験』や『子どもの森』づくりなどアクティビティは数ありますが、どれも資金が必要で、やはり会費収入で活動の量が測られます。四国研修センターでも毎年6名程度の海外研修生を受け入れていますが、会員100名で研修生一名の受け入れが出来る勘定です。それで会員1千名が、至近な目標となっています。

さて今日は令和6年度の『オイスカ四国のつどい』で、東京本部から中野悦子オイスカ理事長をお招きし、到着すぐから『高松市長』『四国電力』『四国新聞社』等への表敬訪問をしてから、つどい会場入りした中野悦子オイスカ理事長でした。「何かのきっかけづくり」が口癖の理事長は、小さな体にもかかわらずよく動きます。

今日の講話『オイスカ活動に生きる日本の精神文化』に、思わず涙を禁じ得な
い私でした。太平洋終戦の無条件降伏から、9月に行われた昭和天皇とマッカーサー連合国司令官の会談。モノの本によれば、当時その現場にいたモノの証言をまとめた本ですが、命乞いに来たと思ったマッカーサー連合国司令官は、昭和天皇の「わが身はどうなってもかまわない、戦争責任はすべて私にある」という発言を聞いて、大変驚きました。

どの敗戦国君子も、戦争責任はわれにないと『命乞い』をするようだが、日本国昭和天皇は、「国民の生命の安全と生活物資の援助を」とマッカーサー連合国司令官に懇願した。天皇の訪問を出迎えなかったマッカーサーだが、帰りは玄関まで昭和天皇を見送りに出た。この会談以降、マッカーサーのまた連合軍の態度が変わった。食料支援は昭和21年から27年の6月まで続きました。

私もその後の学校給食、『コッペパン』と『脱脂粉乳』で大きくなった一人です。その後に『朝鮮動乱』が勃発して、韓国が戦場と化すがマッカーサー元帥は毎日のように韓国に向かい戦線を視察しても、1回も韓国で宿泊することはなく、遅くなっても日本の飛行場に帰り、自宅でくつろいだと言われている。そのほか紙幅の関係で多くは書かないが、あの荒廃の極致にあっても日本人は、われわれの先祖や先輩は人間らしく生きたのであります。涙腺が緩い私は、思わず涙していました。いい話でした。


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| 社長日記 | 11:13 PM | comments (0) | trackback (0) |

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