■カレンダー■
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31   
<<前月 2024年10月 次月>>
■お問い合わせは■
松野不動産電話番号:087-888-0011
■過去ログ■
社長日記過去ログ
■メニュー■
松野不動産ホームページ
■管理者■
ADMIN ID:
ADMIN PW:
■新着記事■
■カテゴリー■
■月別アーカイブ■
■リンク■
■その他■
■来訪数■
合計: 2861696
今日: 13697
昨日: 5879

ヤクルトの父『代田稔』物語が手元に届いた
事務所がSOHOになったのにもかかわらず、ヤクルトレディが毎週やってくる。彼女と意見のバトルもあるのだが、わざわざ来てくれるので、継続して購入している。『シロタ株』というのは、1899(明治32)年4月に長野県飯田市に誕生した代田稔が、後年培養に成功したことから命名されたそうだ。今はもっぱら『Yakult1000』を愛飲しているが、私は幼少期から腸が弱くて、夕方帰宅するのにハラハラするくらいの経験を多く持つのです。

しかしこの年になると流石に腸の調子も悪くなく、飲まなくても問題ないのを彼女(ヤクルトレディ)にアドバイスされ、今は『Yakult400』から『Yakult1000』に変えて飲んでいる。何でも良いと言ったら叱られるが、ヤクルトレディは、熱心だ。彼女は「ヤクルトは飲料水を売っているのではなく、健康を売っています」と言うが、多くが働くのは利幅が多いのにも要因があると思う。訪問販売と言うあきないの中でも、ヤクルトは優等生だと聞いている。

『Yakult1000』は、「ストレス緩和・睡眠の質向上・腸内環境改善」と効能が書かれている。高齢者の私には、ストレスや睡眠不足が心配されると彼女は言うが、私にはどちらも心配がない。ヤクルトは、代田稔が京都帝国大学在学中に微生物の研究で強化・培養に成功した乳酸菌(L・カゼイ・シロタ株)を飲料として販売したのが始まりだ。物語では1935(昭和10)年、福岡市浪人町に『代田保護菌普及会』が作られ、ヤクルトの製造販売が開始されたと書かれている。

さらに昭和14年1月、下関に『代田研究所』を作り、西日本を中心に各地へヤクルトの販売組織を作り、本格的に販売に乗り出したのです。「誰もが願う健康を誰もが手に入れられる」ように「ハガキ1枚、タバコ1本の値段で健康を!」というスローガンで売り回った。この後の日本は太平洋戦争で、ヤクルトは生産も休止。昭和25年に販売再開、昭和30年代田稔は本社を東京に移し、「ヤクルト」の名を全国に高めていきました。

そして昭和39年、ついにタンク内での大量純粋培養に成功しました。これから本格的に全国販売ができ、今は読者の皆さんの方が商品には詳しいと思います。この年代田博士六十五歳で、これまで以上に儲けたことでしょう。先生は昭和57年3月、八十二歳で死去されました。この物語、どこかで読んだ記憶もうっすら。出来すぎていて、あまり面白くなかった。それで記憶が薄いのか。今日は村上選手の3ランHRでやられた。青木選手お疲れ様でした、好きな選手でした。





| http://nobuchin.0011.co.jp/index.php?e=6470 |
| 社長日記 | 11:37 AM | comments (0) | trackback (0) |

PAGE TOP ↑