9月6日(金)午後10時から、テレビ東京の人気番組『ガイヤの夜明け』で、私が2010(平成22)年9月、今から14年前に受けた『変形性頸椎症頸椎弓形成手術』の病院だった大津市民病院が紹介されていました。懐かしさとともに、あの病院が医師不足で廃院のピンチだったことが報じられています。報道されると言うことは、ピンチのピークは越えて、回復基調にあるからと少し安心しました。
私は医療界のことは良く分かりませんが、よく言われる『医局』の問題で、京都大学医学部のトップが、大津市民病院へ派遣した仲間の待遇等に不満があり、彼らを市民病院から引き上げたようだ。板前の世界でも、このような徒弟制度がいまだに残る。経営者が魚の両身を使ってくれと言えば、板前の親方は片身を使いもう片身は売って金にして、その金で弟子らをコントロールしているから、経営者の言うことは聞かない。「上がらせて貰います」と、調理人一同をつれて親方が退社する。
大津市民病院もこれとよく似た話で、市民病院が誰のために存在するのかは二の次三の次の話しで、自分たちだけの『利己』を通そうとする。その為に大量の医師不足を招き、機能しなくなった。2019年からの新型コロナウィルスの流行対策で裏目に出たことも、解決を遅らせていた。そこに再生の白羽が立った医院長と理事長が、悪戦苦闘の戦いを続けて数年。徐々に、市民病院らしさを取り戻してきた。
興味のある御仁は、ティーバなど番組無料再生があるから、ご覧下さい。私が手術を受けた平成22年頃は、病院は至って平穏だった。盛和塾に入塾して、その会合で「左手がしびれて首があるところで激痛がする」と塾生の竹中右門(名古屋塾)さんに打ち明けたところ、同じ塾生の成田仁孝氏(東京塾)を紹介して下さり、大津市民病院のK先生に辿り着いた。そのコネで、迷うことなく先の手術を受けて今に至っている。日常生活が出来ているから、これほどまでの幸せはない。
頸椎の手術は微妙で、大量の出血時には輸血も必要になり、後遺症で半身不随になることも告げられた。番組の中で登場した麻酔科の橋口光子先生は、私の術前カンファレンスで「たまに目覚めない患者もいる」と脅した先生だ。随分はっきり言う先生だと、腹も立ったが、同情しても仕方ない。いまだに覚えている。彼女も医局組だが、麻酔科がなくなれば病院が機能しないと踏みとどまった貴重な一人だ。地域医療として、市民病院の手術室を、町医者のオペに麻酔科付きで貸し出したりもしている。
まさに市民病院ここに有りで、彼女がこの先副医院長として、医院長を補佐していくようだ。この先長く停止している、新生児の誕生にも取り組む。私も高齢者ですが、高齢者医療はそこそこ大事だが、それ以上に産科や婦人科・小児科はもっと手厚く取り組んで貰いたい。残せるモノは人材だ、大津市民病院でも若い医師も育っているし、市民病院らしく訪問診療もドクターカーまで作って取り組んでいる。
院長先生は私も毎日通った病院内の生協で買ったインスタント昼食で、昼は済ませている。若い女先生は、この病院へ赴任して「カルテを書くパソコン操作と食事が早くなった」と明るく喋る。ここには、小さな矜持に突き動かされている医者がいる。最後に付け加えておきますが、私の主治医はもっと早く騒動の前に京都市内にクリニックを構えて独立しています。『頸友数人』で、記念の机を贈りましたから、間違いありません。